六
神田明神前の通りは、まるでお祭り騒ぎであった。
いや、実際にお祭りをしていた。
見渡す限り人の波で、巨大な山車が繰り出し、演台では半裸になった男たちが、一斉に太鼓を叩き、笛を吹く。吉原から呼んで来たのだろう、芸者たちが三味線を抱えて力一杯の演奏を続けている。
玄之介は演奏に耳を傾け、首を捻る。
「妙ですな、旋律が江戸のものとは、思われませぬが……」
聞き惚れていた晶が、不意に叫んだ。
「これ、ロックじゃない? ほら、太鼓のビートがそっくり!」
晶の指摘に、玄之介は目を剥いた。
「まさか! なぜ、ロックなのです? 誰がそのような曲を持ち込んだ……あっ! まさか、【遊客】が?」
俺は頷いた。
「その通り! ロックだけじゃないぜ。ほら、あれを見ろ」
指さす方向には、様々なド派手な扮装に身を包んだ、一団が思い思いのリズムで手足を舞わして踊っている。
この暑い季節に拘わらず、分厚い綿入れを身につけている者、高々とぶっ太い茶筅髷を結っている者。巨大な薙刀を背負っている者などが、顔には衣装に負けず劣らず、白粉、隈取などを塗りたくり、のし歩いている。
これは男供であったが、同じように、目がチカチカしそうな色合いの衣装に身を包んだ女たちの一団も見受けられる。赤、青、緑、などの三原色に、黒、白のハッキリとしたコントラストの襟、髪型はこういっちゃ何だが、現代のキャバ嬢そっくりである。むろん、黒髪は一人もおらず、赤や茶色、金髪などに染め上げている。
「な、何ですか? なぜ、このように【遊客】が集まっているのです?」
「全員が【遊客】じゃない。もともとの江戸の町人も混ざっている。多分、武士もいるんじゃないのか?」
玄之介は呆然となっていた。
「それで、この扮装は何ですか?」
「里見八犬伝じゃないかな? あっちは忠臣蔵かもしれないな。こちらはどうやら、真田十勇士らしいが……」
江戸時代の講談だけでなく、立川文庫まで混ざっている。
玄之介は益々混乱しているようだ。俺はそろそろ玄之介をからかうのが飽きてきた。通りに面して店を開いている、一軒に招き寄せる。店は本屋だ。
「これを見な」
俺の指さした方向を覗き込んだ玄之介は、店先に並んでいる、平綴の本の表紙を声を上げて読んだ。
「南総里見八犬伝……。珍しくもありませんな。これがどうしたと?」
「中身を見てみろ」
玄之介は一冊を取り上げ、ぱらりと開き、驚きに仰け反っていた。
「こ、これは!」
玄之介の手許を覗き込んだ晶は、叫んでいた。
「これ、漫画じゃない!」
晶は爛々と目を輝かせ、貪るように紙面を読み進む。本屋の親爺が、立ち読みに苦い表情を浮かべているので、俺はさっさと本の代金を支払ってやった。親爺は「おありがとう御座い……」と呟き、引っ込んだ。
開いたページは、現代の日本の漫画そのままに、駒割りがなされ、吹き出しが描かれていて、このまま現実世界へ持ち込んで製本すれば、即座に販売できそうである。
実際の江戸では、本は行商の貸し本屋が巡回して、それを回し読みするのが普通である。が、こちらの江戸では、小売が圧倒的に盛んになっている。
「江戸に入府してきた【遊客】が描いたんだ。入府の時、絵師と申請してきたんで、そのまま通したんだが、まさか漫画家とは思わなかった。まあ、絵師でも間違いじゃないが」
玄之介は本を手に持ち、ぶるぶると細かく震えている。相当、ショックだったらしい。
俺は解説を続けた。
「奴ら、江戸の秋葉原に根城を作って、江戸の浮世絵双紙の彫師、擦り師などと連絡を取って、漫画を普及させちまった。題材は、さすがに江戸町人が理解できるよう、八犬伝とか、忠臣蔵などを使っているが、まったく別物になっている」
玄之介は理解できないと言いたげに、ゆるゆると首を振っている。俺に顔を向け、弱々しく尋ねる。
「なぜ、そのように酔狂な真似を?」
俺はつい、苦々しげな顔になっていたろう。
「奴ら、この江戸に秋葉原のオタク文化を根付かせたいんだと! 漫画を出発点に、何とアニメまで持ち込みやがった!」
玄之介の口端が、笑いの形に吊りあがる。が、目は全然笑っていない。
「ば、ば、馬鹿な! 江戸にアニメなど、持ち込めるわけがない!」
「それができるんだな。ほら、あっちでは、新作のアニメを上映している」
通りの先が火除け地になっていて、そこに急造の芝居小屋が掛けられている。上映時間が近いと見えて、小屋の入口には、客が長々と入場を待っていた。
入口近くには、演じる出し物の大看板が架けられていた。内容は江戸の歌舞伎と同じだが、看板の絵柄はほとんど、アニメ絵そのままだ。
玄之介は憤然となった。
「行き過ぎではないですか? 江戸に現代のテクノロジーを持ち込むのは!」
俺は首を振った。
「いいや。現代のテクノロジーは、まったく関係ない。江戸時代にも、アニメがあったんだ。もっともアニメなんて呼び方じゃなく、江戸写し絵といっていたが」
玄之介の口が、ぽかりと丸く開いたままになっている、完全に、呆気に取られたという顔つきだ。
「写し絵!」
晶が質問してきた。
「何よ、写し絵って?」
俺は説明したが、段々面倒になってきた。
「幻燈のようなものだ。スライド式に、何枚もの絵を光を通して上映する。手法は原始的だが、今のアニメと通じる原理で、江戸時代には結構盛んだったらしい。まさか今のアニメ絵柄を、持ち込むとは思わなかったが」
晶は、ぱっと顔を輝かせた。
「あたし、見たい!」
「ふえっ?」
俺は妙な溜息を漏らしていた。まさか、この女忍者が、オタ女だとは思いもしなかった! 何も言わなければ、晶は芝居小屋に一散に駈けて行きたそうな勢いである。
「後にしろ! 俺たちの目的を忘れたか?」
玄之介が我に返ったように頷く。
「そうであった! まず、松戸検校なる御仁と会見せねば!」
可笑しなもので、俺が目的を思い出させてやると、早くも口調が武士らしく戻る。
晶は出鼻を挫かれ、口を不満そうに歪めた。
「で、松戸検校って、どこにいるの?」
「あそこにいる」
俺は指さした。
人並みを掻き分けるようにして、もう一つの山車が静々と近づいてくる。演台には黄八丈の振袖を着た、若い娘たちが踊りながら、歌っている。
その背後に、一段高く演台ができていて、一人の琵琶法師が彌環を抱え、撥を握って、嫋々と曲を奏でていた。
琵琶法師は眼鏡を掛けている。が、レンズは黒々と塗り潰され、サングラスそっくりに見えた。ちょっと、レイ・チャールズに似ている。
見物客が騒ぎ出した。
「いよっ! 検校様と、秋葉娘のお出ましじゃ!」「日本一!」「玉屋~! 鍵屋~!」「大統領!」
まるで場違いな掛け声を掛けているのは、恐らく半可通の【遊客】だろう。
見物客の声援を受けているのが、俺たちが会いに来た松戸検校であった。