四
検校の屋敷から、左内老人が管理する巣箱に鳩が戻ってきた。足には、文が縛り付けられている。
江戸では鳩の帰巣本能を使った、伝書鳩が普及している。もちろん、俺たちの江戸でだ。検校の屋敷に人を遣るとき、鳩を懐に入れて遣わせたのだ。
俺たち【遊客】の知識を、江戸の人間たちは即座に吸収し、俺たちも驚くような結果として表わしてくる。
俺たち創立メンバーは、よほど悪い結果をもたらすと思われる例外を除いて、たいてい黙認している。例えばマルクスの『資本論』を江戸に持ち込もうとした【遊客】がいたが、丁重にお引取り願った事件があったが──。
それはともあれ……。
検校の返事は、意外にも「すぐお出で願いたい」というものだった。与力の玄之介はともかく、俺のような正体不明の浪人にも会って良いとは、信じかねた。
俺たちは左内老人に手配してくれた礼を言い、源五郎の屋敷を後にする。
松戸検校の棲家は、そう遠くはなく、神田明神の近くにあった。現実の地理では、秋葉原の駅近くである。しかし、歩いて行くには、少し時間が掛かりそうだ。
俺は人力車を頼んだ。
人力車?
そう、江戸時代には存在しないものだ。明治以降盛んになったが、江戸時代では大八車以外に、車輪を使った道具はほとんど見かけられない。しかしこの江戸では、【遊客】の影響で、様々な新奇な道具が普及している。
江戸時代の常識として、幕府は新奇な道具を何でもかんでも禁止したように思われているが、決してそうではない。当時の技術レベルが、そこまで追いついていなくて、また社会的な背景が、許さなかったせいもあり、停滞していたように思われるが、様々な分野では結構、革新的な事物があった。
例を挙げれば、大坂の堂島では、世界初の先物取引が行われていた。また簿記の分野でも、現代とほぼ同じ複利計算とか、記帳の方法などが普及している。
発明家としては平賀源内が有名だが、幕末に現れた「からくり儀右門」こと田中久重がある。この田中久重は、現在の東芝の創業者でもある。田中久重が発明した「無尽灯」は有名である。
車輪を利用した乗り物──馬車とか──が受け入れられなかったのは、やはり道路事情があるのだろう。江戸時代に道交法がなかったように思われるだろうが、ちゃんと大八車で相手を怪我させたり、死亡させた場合の刑罰も定められていて、現在とは段違いに厳しい罰則が定められている。
その点、人力車は人が引っ張るもので、馬車などに比べると、江戸の道路事情に合っている。但し、明治時代の人力車と違い、ベースは大八車を改造したものである。木製の車輪がついていて、幅広の台に、乗客が座れるような毛氈が延べられている。
梶棒を引く先手と、後から押す後手の二人で動かすところは、駕籠と同じだ。
「あらよっ!」と掛け声を上げ、二人の車引きは、威勢良く人力車を走らせる。
がらがらと木製の車輪が道路を噛み、俺たち三人は、ぐらぐらと揺れる台の上から飛び出さないよう、郭と呼ばれる台車の手摺にしがみついた。
「まったく、ふざけておりますな! 江戸の町に、人力車とは!」
舌を噛みそうな揺れの中で、玄之介は忌々しげに叫んだ。がたがたと騒々しい車輪の音に負けまいと、声を張り上げる。
俺は叫び返した。
「気に食わないのか?」
「当たり前でしょう! この江戸は、てんで時代考証を無視しています。先ほどの伝書鳩は、なんです? あのようなものを、よく許しておりますね。貴殿は、この江戸を創立した一人とお聞きしましたが、時代考証については、どうお考えなのです?」
玄之介の顔は、真剣だった。俺は奴の勿体ぶった面つきに、ぷっと吹き出した。たちまち、玄之介は怒りに顔を赤らめた。
「あんた、考証派の一人だな?」
俺の指摘に、玄之介の視線は動揺を隠せない。




