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電脳遊客  作者: 万卜人
第四回 火付盗賊改方与力と、もう一人の【遊客】登場の巻
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 翌日、俺は浅草に姿を表した。休息は現実世界で取っている。品川の、裏長屋の、あんな狭い部屋に寝転がるなど、考えられない。なにしろ、たった二畳の部屋なのだ。


 すでに小仏の関所で、登録を済ませているので、次回から出現するのは、江戸に幾つかある出現定点を利用できる。わざわざ品川の大木戸を潜って、えっちらおっちら江戸に入府しなくとも済むのだ。

 俺の利用したのは、浅草寺境内の、他人ひと目につかない場所だった。江戸にはこういった定点が幾つもあって、俺たち【遊客】が利用している。そのため、【遊客】は、江戸町人にとって、神出鬼没の不思議な連中と見做みなされている。


 火付盗賊改方頭の、榊原源五郎の屋敷は浅草清川神社の近くにある。三百石取りの旗本で、長屋門のある、広壮な屋敷である。

 通用口を潜り「頼もう!」と大声を張り上げると、昨日も見た同心が応対に出た。俺の顔を見て、胡乱な表情を浮かべた。


「源五郎はいるかえ? 鞍家二郎三郎が来たと、報せてくれ」


 俺に声を掛けられ、同心は厭そうな表情を浮かべる。

 歳は確か、四十過ぎで、主人の源五郎と同い年である。忠実そのものの性格で、俺のような胡乱うろんな浪人に、上役を呼び捨てられたのが面白くないのだろう。

 お生憎様、俺は【遊客】で、生まれながらの侍じゃあない。礼儀作法など、最初っから頭に無いのだ。


「どうした、報せに行かないのか? 俺が来るのは、源五郎も承知して、待っている。あんたが報せに行かないのなら、俺は勝手に屋敷に入るぜ!」

「待ってろ!」


 腹立たしさを顕わにして、同心はくるりと背を向け引っ込んだ。

 ほどなく、玄関に屋敷の用人を兼ねる、熊川左内という与力が姿を見せた。年齢はおよそ七十近く。江戸の平均寿命は五十に届かないとされるが、それは乳幼児の死亡率が高かったためである。壮年を無事に過ごせれば、長生きの人間は多かった。


 この老人も、七十近くではあるが、矍鑠かくしゃくとしている。役職は与力ではあるが、何しろ、七十近くである。主に屋敷内の細々とした仕事を受け持ち、家令のような役割を担っている。

 老人はじろり、と俺を睨みつけた。恐らく、さっきの同心が、俺の無礼な態度を御注進にあそばしたのだろう。

 無言で顎をしゃくり、案内に立つ。俺は履物を脱ぎ、大小を外して右手に持ち変える。このくらいの礼儀は心得ている。


「少し、口の利き方に気をつけて貰えぬか? お頭様はなぜかお主の無礼を咎めぬが、もそっと気を付けて貰いたい」


 左内は歩きながら小言を垂れた。

 うんうんと、俺は無言で頷くだけだ。


 老人は俺たち【遊客】については、源五郎ほど詳しくは知らない。しかも俺は、創設メンバーの一人という、特別な地位にある。将軍御目見の権利を持つので、旗本の榊原とは名目的にも、同じ身分と言ってよいのだ。


 渡り廊下を進み、客間のある離れへ向かう。

 庭には楠木くすのきの巨木が、樹影を、屋敷の屋根へ投げかけている。林泉があり、石灯籠が据えられ、小規模ながら約束通りの庭園だ。

 池を眺める場所まで来ると、老人は廊下に膝をつき、障子の向こうに声を掛けた。


「お頭様……鞍家殿と申される……」

「入ってもらえ!」


 間髪を入れず、障子の向こうから源五郎の声が響く。左内老人は「はっ」とかしこまると、両手を伸ばして障子をからりと開け放つ。


 十畳ほどの客間である。

 床の間を背に、主人の源五郎が正座し、向かいに一人の侍が座っている。二人の前には湯飲みと茶菓子が出され、俺が来る前に何か相談していた気配であった。


 侍には見覚えがなかった。初めて見る顔だ。

 ひょろりとした痩身で、年齢の見当が付き難い表情をしている。両目が鋭く、俺を見て視線が忙しく動いた。目の奥に、俺を素早く評価する光が浮かぶ。どことなく、浮世離れした雰囲気を漂わせている。

 火付盗賊改方頭の屋敷にいるよりは、江戸城の、御書物蔵に籠もって、書物と顔を突き合せていたほうが似合いそうな佇まいだ。

 俺は侍に顔を向け、ニタリと笑い掛ける。次いで源五郎に向かい、口を開いた。


「こっちのお客が、俺に紹介したいという【遊客】かね?」


 源五郎は、目を微かに見開いた。俺の口の利きように、左内老人がありありと顔をしかめる。何か言い掛けるその瞬間、源五郎が落ち着いた口調で命令した。


「左内! 下がってよいぞ!」

「はあーっ!」


 左内老人は這いつくばると、早々にその場を退散した。これ以上、俺の無礼な態度を見過ごすのは、居たたまれないのだろう。

 俺は、どかりと二人の中間に胡坐を掻いた。源五郎は腕組みをして話し掛ける。


「どうして、その御仁が【遊客】だと判る? まだ、名前も紹介しておらぬぞ」

「判るさ」


 俺は、ジロリと侍を見やった。


「俺たち【遊客】は、お互い【遊客】かそうでないか、即座に判るような仕組みを持ち合わせている。そうでないと、色々と不都合が起きる。さて、改めて御紹介頂こうか?」

松原玄之介まつばらげんのすけと申します」

 侍が口を開いた。ひどく掠れた、聞き取りづらい声音だ。

「成る程……」

 源五郎は納得したように頷く。俺は源五郎に向け、眉を顰めて見せた。

「昨夜の話じゃ、俺に与力の相棒をつけるって言っていたな。与力はどうした、まだ来ないのか?」

 ちらっと源五郎は、松原玄之介と名乗った侍に目をやった。

「その御仁が、儂が紹介する与力だ。火付盗賊改方与力、松原玄之介である!」

「何だって!」

 俺は言葉を失った。

「それじゃ、【遊客】というのは? もう一人いるのか?」

「御名答!」


 天井がかたりと音がして、俺が見上げると、天井の板がずれ、そこから新たな顔が覗いた。

 額に鉢巻をして、髪はポニー・テールにしている。袖無しの上着に、背中に短い刀を背負っていた。


 女忍者の登場だ!


【遊客】同士が確認し合うには、ある程度の距離内でないと無理である。天井に潜んでいたので、俺には女忍者の気配シグナルが感じ取れなかったのだ。

 ぶらんと逆さまに顔を出すと、くるりと蜻蛉とんぼをうって天井にぶら下がり、そのまま、すとんと座敷に飛び降りる。

 そこまでは良かったが、飛び降りた瞬間、尻餅をついた。どでん、と派手な音がして、女忍者は尻を掴んで蹲った。


「痛──いっ!」


 大袈裟に呻いて、顔を顰める。

 あきらだった。

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