七
俺は、骨壷を納めた包みを長屋へ預けると、火付盗賊改方頭の榊原源五郎、その部下、品川芸者の吉弥と連れ立ち、吉弥の案内で【瑞兆楼】という由緒ある店へ出かけた。
本当は、もっと安直な店に行きたかったのだが、源五郎の体面というのがあって、自由にはならない。
吉弥の案内した店は、いわゆる「一見の客はお断り」の類だ。俺たちがぞろぞろと店口に姿を表すと、店の主人、女将が飛び出るように出迎えてくれた。吉弥がすでに話を通してあったと見える。
時刻は宵の五つ──午後七時頃──である。
史実では、暮れ六つには町木戸は閉まる決まりとなっている。だが、実際の江戸でも、午後十時近くまで開け放しになっていたらしく、こちらでも、深夜まで夜更かしの町人は歩き回っている。
江戸では外食産業が、今と同じくらい盛んだった。何より独身者が多かったせいもあり、住居環境も寝て、起きるだけの狭い棲家であり、わざわざ自炊するより、こちらのほうが安くつく。
俺たちの入った店は、食事も出すが酒も出す。が、その食事とは要するに会席料理である。もちろん、料理の使い回しなどという不届きなど、あるはずもない! 俺たちが席につくと、お品書きが出た。
俺が【遊客】なので、草書体ではなく、楷書体で書かれている。しかし、俺には出される料理の名前は、まったく珍粉漢粉の戯言だ。
近ごろでは、【遊客】の注文に応じ、肉料理すら対応している。もっとも豚、牛の肉を食うのは【遊客】だけで、江戸の町人は「薬食い」として、あまり注文しない。
お通しと、酒がまず出て、榊原の部下の一人が一礼して一口含む。目だけ天井を睨み、暫し、じっとしている。部下は源五郎に向かい頷いて見せた。
なんと毒見をしているのだ! 源五郎は、たまたま入ったこの店でさえ、信用していない。俺の視線に気付き、源五郎は苦笑した。
「儂の死に顔を見たいと切望する敵は多いからな。用心にしくはない」
源五郎の部下は、大人しく黙りこくっている。本来なら、俺のような正体不明の痩せ浪人が、対等の口を利く場面で、怒り出すのも不思議はないが、源五郎がよく薫陶していると見えて、一言も口を挟まない。
吉弥の前には、どっさりと料理が運ばれている。煮付け、刺身、大盛りの飯を無我夢中で、ぱくついている。吉弥には、高級な会席料理など、鯨が大口を開けたときに飛び込む、小海老ほどしか腹に応えないのだ。
俺は申し訳程度に、酒を飲み、源五郎に話し掛けた。源五郎は、俺が【遊客】であると承知しているので、このような対等の口を利く。
「どう思う? 俺は殺されたのだろうか?」
「ふむ?」と、源五郎は眉を上げた。渋い表情になって、首を振った。
「判らぬな。水死体で上がったのは間違いないが、他殺と決め付けられる確たる証拠があるわけではない」
火付盗賊改とは、現代で言えば特別機動捜査隊に当たる。凶悪犯逮捕のため、大幅な権限が与えられ、町人だけでなく、武士、僧侶、神官なども捕縛できた。武士も浪人だけでなく、旗本、御家人にすら手が及ぶ。
しかも捜査範囲は、江戸だけでなく、全国に及んでいた。その点から見れば、FBIのようである。もっとも、俺たちは日本全国丸ごと再現したわけではなく、江戸が存在するために必要な範囲だけだ。それでも、かなりの広範囲である。
町奉行が基本的に文官であるのに対し、火付盗賊改は武官の番方から選出されるため、捜査手法は熾烈で、しばしば誤認逮捕の弊害も指摘された。
そのため、廃止されていた時期もあったが、やはり必要とされ、捜査には慎重を期すよう勧告されている。
源五郎が「他殺だ」と決め付けないのは、本来の性格もあるが、誤認捜査を恐れているのである。もし誤認捜査で冤罪などという事態に陥れば、捜査の責任者は切腹、軽くて閉門、源五郎本人は遠島処分が待っている。とても軽々しくは、動けない。
俺は、顎に手をやった。
「判ってるさ。あんたは軽々に動けないってんだろう? しかし、俺が嗅ぎ回るのは勝手だな?」
源五郎は表向きであろうが、顔を顰めて見せた。
「あまり、無茶をせんで貰いたいな。お主は、無鉄砲すぎる! 今回もそうだ。三日前、お主は儂に、江戸の悪党が妙な企みをしていると、言いに来た。それで、自分で動いてみると言い残して、水死体となったのじゃ」
俺は源五郎の言葉に、吃驚して見せた。
「俺が? あんたに?」
「そうさ、憶えておらぬのか?」
源五郎の瞳に、またぞろ、疑い深い光が宿る。俺は首を竦め、手を振った。
「当たり前だ。仮想現実で強制切断されると、それまでの記憶は残らない。あんたも知っているはずだ」
「そうであったな……」
源五郎は首を捻る。
この榊原源五郎は俺たちと違い、純然たる江戸のNPCだ。しかし、火付盗賊改方という職掌柄、俺たち【遊客】の事情については、詳しい。
俺は、弁天丸という若い男の名前を挙げた。
「弁天丸じゃと?」
もう一度、源五郎は首を捻る。
「聞いた名前ではないの。誰かの手下か?」
俺は首を振った。
「俺が締め上げると、検校という名前が出た。恐らく、そいつが黒幕だ」
「本当の検校なのか?」
源五郎は声を潜めた。俺は首を振った。
「判らん。ただの渾名かもしれない。しかし、確かめる必要はある」
源五郎は厭そうな表情になる。検校とは、江戸で目の不自由な人間の、最高位である。寺社奉行の管轄でもあり、面倒事を予感したのだろう。
俺は源五郎を睨みつけた。
「どうする? だんまりを決め込むのか?」
源五郎は、ぶるっ、と首を振る。微かに顔が赤らんだのは、怒りであろう。
「まさか! 儂が心配するのは、お主だ。また、水死体となってお目に掛かるのは、御免蒙る! そうじゃ!」
不意に源五郎は明るい顔になった。
「お主に、相棒をつけよう!」
俺は驚いて鸚鵡返す。
「相棒!」
源五郎はニッタリと笑った。
「お主と同じ、【遊客】での。江戸で悪党を退治するため、儂の配下になりたいと申し出て来おった。それと、正式の与力をつける。三人いれば文殊の知恵とか言うではないか。火盗改の与力となれば、お主も色々調べるのに都合が良い。どうじゃ?」
俺は顎を掻いて、源五郎の顔を見る。源五郎は無表情を装っているが、その目は笑っている。
「なある……」
ほど、というのを省略する。
「あんた、その【遊客】を俺に押し付ける気だな? 与力がつくのは歓迎だが、その【遊客】は御免蒙りたいな」
わざとらしく、源五郎は腕を組んだ。
「二人揃ってじゃ! 条件は出した。いかが致す?」
「判ったよ……引き受けよう……」
俺は弱々しく応えた。
隣で吉弥が仲居に向け、大声を張り上げる。
「お替り!」