三
「俺を探していたな? 大木戸で待っていたんだろう? お前の名前は!」
「べ……弁天丸!」
俺は、ちょっと笑った。弁天丸とは、あまりに粋がりすぎる通り名である。
「ほう……。その弁天丸のお兄さんが、なぜ、俺を見張っていた? 俺が大木戸を通りすぎるのを、前もって知っていたとしか思えない見張りっぷりだな」
「し……知らねえ……。お前なんぞ、顔も知らない……。ただの、偶然だ……」
俺は全身の気力を込め、詰問した。
「嘘を言うな! 誰の命令で、俺を見張っていた? お前を手先に使った、親玉の名前を吐け!」
弁天丸は、きいきいと掠れ声を上げ、がくがくと顔を左右に振る。
「い、言えねえ……! 言ったら、俺が殺される! た、頼む、見逃してくれ!」
ふうむ、と俺は胸のうちで唸った。
普通、俺がこれほど気迫を強めて迫れば、こんな男なら、べらべらとありったけの秘密を吐露するはずなのだ。が、意外と奴は、俺に対し抵抗している。
弁天丸は、かなり強く、秘密を守るよう、指令を受けていると思えた。そんな真似ができるのは、俺と同じ【遊客】しかいない……。
突然の驚きに、俺は愕然となった。
では、俺を狙っているのは、【遊客】なのか?
江戸にやってくる【遊客】は、時代劇のヒーロー、ヒロインになりたくて、仮想現実に接続している。悪漢をばったばったとやっつける、胸のすくような活躍を夢見て、入府するのだ。
事実、仮想現実では、そんな子供じみた夢が、呆気なく叶えられる。
が、ごく稀に、時代劇の悪漢を演じてみたいという、現実世界での正体がヤクザか暴走族という【遊客】も存在する。もし俺の想像が当たっていたら、容易ならない敵だ!
俺は今度は、ありったけの気力を奮い、弁天丸を睨みつけた。
「おい! 俺の目を見ろ! そうだ、目を離すなよ……!」
弁天丸の両目が裂けんばかりに見開かれ、俺の命令で、ひたと視線が張り付いている。
俺は「かあーっ!」と喝を入れ、ぐっと指先を弁天丸の目に突き刺さんばかりに突き出した。
弁天丸の表情から、一切の感情が掻き消えた。瞬時に全身の力が抜け、くたりと両肩が下がる。
俺の催眠術に掛かったのだ。もう、奴は俺の意のままだ。おのれの意思が蒸発し、後には施術者である、俺の命令を白紙の状態で待ち受けている。
俺は、噛んで含めるように、ゆっくりと話し掛けた。
「今までの出来事は総て忘れろ! いいか、お前は大木戸で何も見なかった、聞かなかった。一日、大木戸で俺を見張っていたが、待ち惚けを食わされたんだ。そうだな?」
弁天丸は朦朧と頷く。
「俺は、何も見なかった、聞かなかった……。鞍家二郎三郎は、来なかった……」
「何?」
俺の頭に、かーっ、と血が昇る。
「俺の名前を知っているのか? どこで俺の名前を知った?」
ぐらぐらと弁天丸の顔が揺れる。ぽかりと開いた口から、たらーっと涎が零れ落ちる。
「死んだはずなのに、鞍家二郎三郎は、生きていやがる……。こいつは、殺せねえのか? いや、化け物か! 俺は厭だって言ったんだが、【暗闇検校】様は許しちゃくれねえ……」
「【暗闇検校】? 誰だ、そいつは? 俺が死んだのを、どうして知っている?」
思わず、矢継ぎ早に質問を重ねるという、俺にしては珍しい失態を演じていた。
がくり、と弁天丸の顔が仰け反り、膝頭から力が抜け、ずるずると背中を塀に押し付けるようにして、その場に蹲る。
「おい! 弁天丸!」
ばたり、と弁天丸は、仰向けになって、地面に横たわった。
俺は膝まづき、弁天丸の閉じた瞼を引き上げた。完全に裏返り、白目になっていた。
しまった!
俺は臍を噛んだ。
秘密を吐かせようと、つい、焦ってしまった。俺の脅迫と、【暗闇検校】とかいう謎の黒幕による命令に板挟みになり、弁天丸の乏しい精神のヒューズが焼け切れたのだ。
俺は弁天丸の身体を抱え上げ、肩に担ぎ上げた。そのまま目の前の寺の塀に、ひょいと投げ入れる。
次いで、弁天丸が取り落とした、馬鹿みたいに長い刀を放り投げる。
いずれ弁天丸は、時間が経てば意識を取り戻すだろう。その時には、俺の記憶は、ぽっかりと脳味噌から抜け落ちている。
しばらく、泳がせておくに限る。
【暗闇検校】か……。
多分、弁天丸の親玉だろう。だが、なぜ俺が検校と名乗る存在から狙われなければならないか、さっぱり見当がつかなかった。
が、これでも一歩前進には違いない。
待っていろよ……!
俺は、まだ見ぬ敵に、闘志を燃やしていた。