二
大木戸を過ぎ、町内に入ると、家並みがごちゃごちゃと立ち並んできて、小さな路地が迷路のように交錯してくる。夕暮れが近づき、家路を急ぐ町人が、急ぎ足で通りすぎる。皆、俺を見て、物珍しげに見送っていく。
俺は身長百七十センチであるから、江戸では一種の巨人である。
何しろ江戸時代は、日本人の平均身長が最も低かったとされ、男子で百五十センチ、女子で百四十五センチというから、俺から見ると、まるで子供のように見える。
背後から尾行する若い男にとっては、見失う失態などありえない、絶好の標的だろう。
俺は男の姿を見た瞬間、記憶フォルダーに映像を保存していた。仮想現実に接続している間は、電脳空間の記憶領域は、俺たち【遊客】にとっての手軽なデータ保存先である。
江戸で暗躍する、他の悪党のデータを参照する。
しかし男の姿は、検索データに引っ掛かってはこなかった。つまり、新たな悪党の一人なのだろう。
江戸では一定の人数、悪党が出現する。江戸に入府する【遊客】の数と、江戸での町人たちの貯蓄率、幕府への好感度などを勘案し、コンピューターが自動でキャラクターを設定し、江戸へと送り出す仕組みだ。
知能、身体能力、特技など組み合わせ、容姿も設定され、同じ組み合わせの悪党は、二人と存在しない。
悪党は俺たち【遊客】に退治されるため、存在するのだ。
【遊客】の江戸入府の目的は、自分が時代劇のヒーロー(ヒロイン)になりたいからだ。そのため【遊客】たちは、電脳空間ではずば抜けた体力、筋力、反射神経を誇る、武道の達人である。
俺自身、北辰一刀流の免許皆伝所持者の技能を、何の修練もなく、身につけている。
ひたひたと、若い男の足音がつかず離れず、追ってくる。あまり尾行の経験はなさそうである。明らかに素人だ。
江戸の町中の道は、曲がりくねり、ちょっと歩いただけで、折れ釘のような角がいたるところにある。意図的に曲がり角を作っているのだ。敵に攻め込まれた際、直線路を通って来られないように工夫している。
俺は誘い込むように、門前町へと足を向け、細い路地を素早く移動した。さっと足並みを速め、大股になる。
背後で「あっ!」と小さな喘ぎ声が上がる。
俺が出し抜けに足取りを速めたので、焦ったのだ。たちまちばたばたと、見っともないほど慌しい足音になる。
俺は「くっく」と、小さく喉の奥で笑った。
誰だか知らないが、粗忽者を絵に描いたようなお兄さんである。
路地を抜けると、築地塀が長々と続く、寺の裏側に出る。
俺は塀の屋根に手を掛け、一瞬にして自分の身体を投げ上げる。【遊客】のみが出せる、爆発的な筋力が可能にする早業だ。
俺が屋根の上に潜んでいると、例の若い男が、泡を食って通りすぎる。
目の前に誰もいないので、呆然と立ち止まった。途方に暮れている。
俺は奴を逆に尾行し返してやろうと、待ち構えていた。が、男のあまりの阿呆面に、気を変えた。逆尾行なんて、手間を掛ける値打ちすらない。
俺は音もなく地面にひらりと着地し、大音声を上げた。
「誰を探しているんだね?」
男は棒立ちになり、ぎりぎりぎりと歯車が噛み合わされるような不自然な絡繰人形めいた動きで、やっと俺のほうへ身体を捻じ曲げた。
俺の顔を見て、蒼白になる。が、それでも精一杯の強がりを見せる。
「だ、誰も探しちゃいねえ!」
俺がずい、と一歩前へ足を踏み出すと、途端に弱気になって、今にも脱兎のごとく逃げ出そうという構えを取る。
俺は一喝した。
「動くんじゃねえっ!」
びくっ、と男の動きが止まった。両目がぽかんと虚ろに見開かれ、俺の顔から視線を外せなくなった。
【遊客】の一喝は、こいつらには雷に撃たれたような効果を見せる。俺は視線だけで男を金縛りにさせ、さらにもう一歩、近づいた。
よろよろと、男は俺の迫力に撃たれ、力なく後じさった。
どん、と男の背中が、塀に密着した。もう、逃げられない。がらんと長大な刀が手から離れ、地面に落ちた。ぜいぜいと、男は酸欠状態のようになって喘いでいた。