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電脳遊客  作者: 万卜人
第二回 鞍家二郎三郎再びの江戸入りと、衝撃の出会いの巻
12/87

 不意に舟は、穏やかな川面を滑っていた。

 静寂が辺りを包み、女忍者は飽きずに悲鳴を上げ続けていた。


「もう、いい。終わった」


 俺は背後から、女忍者の背中を突っついた。

「え?」

 ぼんやりとした顔を挙げ、女忍者は目をパチクリとさせ、辺りを見回した。


 すい、と空中を、燕が一羽、視界を斜めに切り裂き、矢のように飛んでいく。


「ここ、どこ?」

「多摩川だよ。現代の地名で言うと、大田区の外れに当たる。俺たちは、すでに江戸に入っているといって良い。川の左が大田区で、右が川崎市だ」

「嘘! こんな田舎が、どうして……」


 女忍者の疑問は、もっともだ。川縁に見える景色は、一面の田圃で、江戸と言われて思い浮かべる、家々が犇き、無数の人々が行き交う光景は、どこにも見当たらない。

 現実世界なら、そろそろ多摩川大橋が見えてきて、国道一号線が通っている。都会のド真ん中とは言えないが、現実世界なら大小無数の建物がごちゃごちゃと立ち並んでいるはずだ。

 田圃の向こう側には、所々に農家が散見され、江戸というより、どこかの農村といった風景である。田舎らしく、ぷん、と堆肥の匂いが鼻腔を刺激する。

 が、江戸は中心部でも、半分は農地であった。十七世紀から十八世紀にかけ、江戸は人口百万を越え、世界有数──いや、世界最大の都会であった。それでも、半分の土地は農地であり、同時に世界最大の農村でもあったのである。


 舟は、広大な敷地の屋敷が立ち並ぶ、一画に入っていた。立ち並んでいるのは大名の下屋敷群だ。

 一つ一つの屋敷の敷地は思い切り広々としていて、塀に囲まれた内側には庭園が設えられ、樹木が高々と盛り上がって、屋根を覆っている。森の中に、屋敷の屋根が沈んでいるように見える。


 幕末から開化期にかけ、来日した外国人の手記を読むと、いかに当時の江戸に、樹木が多かったかを記している。


 ふと気がつくと、幾艘もの猪牙舟が、舳先を並べて桟橋に近づいていく。船客は、もちろん、【遊客】たちだ。皆、物珍しげに、初めて見る江戸の景色に、目を輝かせていた。

 多摩川から、支流に入り、桟橋が見えてくる。


 矢口の渡しだ。


 渡しに近づくと、途端に雰囲気は猥雑なものに変わる。渡しの周りには、川縁に落ち込みそうなくらい近々と、幾棟もの建物が立ち並んでいるのが見えてくる。川に面した方向に、沢山の窓が開き、欄干には厚化粧の女が、鈴なりになって、こっちを見ている。


「【遊客】の旦那! あちしと遊ばない? たっぷり可愛がってあげるよう!」

「一人だけじゃないよ、一遍に、二人、三人を相手にする気はないかえ?」

「あちしを見ておくれ! ほら、こーんなに旦那を待って、肌が熱くなっちまった!」


 きゃあきゃあと、姦しく騒ぎ立てる。皆、必死に自分を売り込もうと、身を乗り出し、手を振っている。

 品川宿は、まだ一里ほど先だが、こんな場所まで、史実と違って、【遊客】を目当てに遊郭が立ち並んでいる。まっ昼間から、ここまで娼妓たちの白粉の匂いが漂ってきそうだ。

 女忍者は、娼妓たちのド迫力に、圧倒されていた。目が合った娼妓の一人は「ふん!」とばかりに、競争相手を見る目つきで、険悪な視線を送ってくる。女忍者は、明らかな憎悪の感情に、戸惑っているようだ。


 何しろ、俺たち【遊客】は、江戸ではお大尽だ。


 江戸に入府する際、俺たち【遊客】には、一人当たり切り餅二つ──つまり、百両、現代人の感覚なら一千万円もの多額の支度金が受給される。

 その理由は、参覲交代がないからである。

 江戸は大消費地で、江戸にやってくる各藩の大名が、江戸で盛んに消費をした結果、人口が集まり、商業が栄えた。

 大名が盛んに消費したのは、幕府の役人を饗応するためである。目的は一つ。幕府の「お手伝い」を免れるためである。

 当時の幕府は、各藩の実力を削ぐ目的で、壮んに「お手伝い」を命じた。江戸城の修理、河川の整備、新田の開発……。それらは各藩の自腹で、幕府に命ぜられれば、拒否は不可能だ。

 つまり、公共事業をどうか、我が藩に命じないで下さいと、幕府の役人に頼み込むために饗応したのである。現代と、まったく逆だ。


 しかし、仮想現実の江戸では──。


 江戸にいる大名は、定府の大名である。つまり参覲交代の必要がない、松平姓を許されている譜代大名や、尾張、紀伊、水戸の御三家、田安、一橋、清水の御三卿。

 老中(現代でいうなら国務大臣)や若年寄(国務副大臣)、側用人(官房長官)の他にも、寺社奉行(文部科学大臣)や勘定奉行(財務大臣兼最高検検事)、町奉行(警視総監兼消防総監兼東京都知事兼金融大臣)、大目付(東京地検特捜部長)などの重職を務め、大名に取り立てられた幕臣なども、含まれる。

 幕臣以外でも、【遊客】の中には、物好きにも幕閣に参加する者もいて、それらも大名や大身旗本の身分を手に入れた。

 もちろん、俺たち江戸創設メンバーも、その気になれば、大名や諸奉行として取り立てられる。

 しかし、俺は一切、その気はない。こうして、浪人身分で自由を謳歌するのが、一番気に入っている。


 随分と列挙したが、それでも本来の大名の数からすれば、百分の一だ。


 これでは本来の消費都市として成立しない。そのため、俺たち【遊客】に不釣合いなほどの金を持たせ、江戸で大名遊びをさせようという魂胆である。

 矢口の渡しに到着した瞬間から、【遊客】には無数の誘惑が待っている。それに乗るのも一興、乗らぬもまた良し!

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