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電脳遊客  作者: 万卜人
第一回 鞍家二郎三郎の闇の本拠地への侵入と、悲劇的な結末の巻
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 ちゃぷりと、微かな水音を立て、船頭の留吉とめきちを動かした。きい……と、小さな軋み音に、留吉は全身でおののいて、俺を見た。

「二郎三郎の旦那……。どうしても、いらっしゃる御つもりでござんすか?」

 俺は無言で頷いた。むっつりと、俺が押し黙っているので、留吉は仕方なさそうに、ゆっくりと艪を動かし、船を進める。


 若い。年の頃は、二十歳を多くは過ぎてはいまい。逞しい上半身に腹巻をして、下帯一丁で、月代は丁寧に剃り上げ、丁髷は片側に垂らした流行はやりの髪形をしている。


 暗い。


 星はあったが、空に月はなく、目の前はべっとりとした闇に覆われている。背後で、留吉がはあはあと荒い息を吐いているのが、はっきりと判る。

 舟の舳先へさき辺りにまたがっている俺は、黒地に伊呂波いろは四十八文字が、白く抜かれている着流し姿で、頭は蓬髪にして丁髷を結った痩せ浪人姿だ。

 俺の名前は鞍家二郎三郎くらかじろうさぶろう。ご想像通り、気楽な浪人である。ただし普通の浪人とは、ちょっと違いがあるが……。


 ここは品川の、人里から少し離れた川辺の、あし原だ。人伝に耳にしたのは、この辺りではなぜか神隠しや、幽霊などの噂が絶えず、そのせいか昼間でも人気が無く、閑散としている。ましてや真夜中だ。信じやすい人間にとっては、近づくのも恐ろしかろう。

 何しろ、近くには鈴ヶ森刑場がある。従って、昼間でも近づく町人はほとんどいない。


 かさこそと、川舟の舳先に生い茂った葦が触れる音がしている。


「もそっと、右へ寄せろ……」


 小声で命じると、留吉はびくりと身を震わせた。

「旦那……真っ暗闇でござんすよ。お見えになっているんですかあ……?」


 ああ、と俺は低く答えた。


 今、俺の両目は、暗視モードにしていて、星空ほどの光でも、はっきりと周辺の様子は見て取れる。増幅された光に、葦の穂先が、ぬれぬれと光っているように見えている。密生した葦原の先に、向こう岸が見えて、荒れ果てた廃寺が、暗闇に立ちはだかっている。


 背後の留吉が震える声で訴えた。

「旦那、よしましょうや! 命あっての物種って言うじゃありませんか……」


 俺は小さく舌打ちをした。やはり、他人を頼むのではなかった。

 舟を漕ぐ技術は修得していなかったため、度胸自慢の留吉に頼んだのが間違いだった。留吉はすっかり、怯えきっている。普段から「俺には怖いものなど、何にもねえ!」と勇んでいたので、それならと依頼したところ「任してくだせえ!」と胸を叩いたのだが、今になって、完全に恐怖に支配されている。


 俺は船板に横たえていた両刀を掴むと、腰に手挟たばさんだ。ぐいっ、と帯にこじ入れ、立ち上がる。俺の動きで、船が少し揺れた。

 ただそれだけで、ひいっ……と、留吉が押し殺した悲鳴を上げる。

 俺は振り向いて、留吉に命じた。


「一時間だけ、待っていろ。それで、俺が帰らなかったら、一人で戻れ。あとは火盗改の榊原源五郎さかきばらげんごろうに話をすればいい。判るな?」

「一時間? ああ、半刻のこってすね。わ、判りました……」


 俺たち現実世界の【遊客プレイヤー】は、どうしても江戸の時制に慣れていない。江戸のNPCノン・プレイヤー・キャラクターたちは、俺たちと付き合ううち、俺たちの物の言い方に、合わせてくれている。俺は仮想現実江戸創設者の一人だが、緊張していると、つい現実世界の物言いになる。

 俺の視界に、留吉の丸い顔が背後からの遠くの町の灯火を背景に黒々と見えている。

 町の灯火は、俺の増幅された視界では、眩しいほどにぎらぎらと光り輝いて見えていた。留吉は顔中から冷や汗を噴き出させ、そのため皮膚がてらてらと光っていた。両目の瞳孔がぽっかりと開き、小さく膝頭が震えている。

 俺はぐっと留吉に近づくと、力を込めて言い聞かせる。


「いいか、お前はここでじっとしていればいいんだ! 震えるな! 落ち着いてろ!」


 俺の言葉に、留吉の震えがぴたりと止まった。俺のような本物の仮想人格ペルソナだけが、留吉ら江戸のNPCノン・プレイヤー・キャラクターに対し、圧倒的な気迫カリスマ能力を発揮できる。

 しかし、俺は滅多にこの能力を使おうとは思わない。

 何と言っても、俺たち現実世界の【遊客】は、仮想現実の江戸に生きるNPCたちに対し、絶対的優位に立っている。だから、気迫を発揮して言いなりにするのは、極めて卑怯な気がするからだ。

 俺は懐に手を入れ、小判を一枚取り出した。留吉の手を取り、握らせる。


「帰ったら、同じだけ渡す」


 手に握らせた小判の重みに、留吉の顔が綻んだ。手の平を上下に揺らし、重みを確かめ、急いで腹巻に押し込んだ。仮想現実の江戸では、貨幣価値が本物の江戸とは少し違うが、小判一枚あれば、留吉のような若者なら、三ヶ月は遊んで暮らせるだろう。


 いそいそと川舟から岸に上がると、もやいを結わえ付ける場所を探す。

「お前の目の前に、手ごろな岩が突き出ている。それに結わえ付けろ」

 指示してやると、手探りで留吉は縄を結わえた。落ち着こうとするのか、腹巻から煙管を取り出し、火打石を擦ろうとするのを俺は慌てて止めた。

「よせ! 見咎められたら、どうする」

 びくっと、留吉の動きが止まる。俺はもう一度、言い聞かせた。

「いいな。動くなよ。俺が合図するまで、じっとしていろ!」

「へえ……」

 弱々しく答え、留吉は蹲った。


 俺はそれきり、留吉の存在を頭から追い払い、目の前の廃寺に向かってそろりと歩き出した。

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