誰が何と言おうと、あなたの一番は私なんだから!
有栖川亜梨沙は大富豪である有栖川龍之介の一人娘で、高校二年生です。
ちなみに亜梨沙はそれなりに美少女です。でも胸が小さいのを気にしています。
小さいどころか、抉れていると思っています。スタイルに関しては悲観的です。
ですが、男子達の多くは亜梨沙と付き合いたいと密かに願っています。
そんな亜梨沙の邸に新しく執事が来ました。
その人の名はトーマス・バトラー。執事の本場である英国の出身です。
金髪で碧眼。その上イケメンで、亜梨沙は完全に一目惚れしてしまいました。
でも誰にも言えずにいます。
ところが、親友の桜小路蘭には見抜かれてしまいました。
でも、亜梨沙はそれに気づいていません。
亜梨沙の邸があるのは東京都西世田谷区。区の花は彼岸花。区の鳥は旅がらす(架空の鳥)。
神奈川県と東京都の境界に位置しています。人口は約四十万人。
その大半の人達が、有栖川グループの系列会社に勤務しており、某自動車メーカーと一緒です。
蘭のように、別の企業グループのトップの令嬢もいるのは、亜梨沙達が通う天照学園が有栖川グループより古くから西世田谷区にあるからです。
天翔学園の創業者にして理事長でもあるのは、天照寺妃弥子という女性です。
彼女は今年七十七歳ですが、豊かなシルバーグレイの髪、チャコールグレイのスカートスーツ姿は、実年齢より十歳以上若く見えます。
穏やかな笑顔とふくよかな体型は、高等部と中等部を通じて全校生徒に慕われています。
ところが、今日の天照寺理事長の顔色は冴えません。
何故なら、高等部の生徒指導の先生から、衝撃的な報告を受けたからです。
「高等部の男子が、同じ高等部の女子に乱暴を働いたのですか……」
理事長室の大きな木製の机で報告書を読み終えた理事長は、老眼鏡をずらして、机の向こうに立っている生徒指導の先生を見ました。
「はい。私も驚きました。しかも、その一件に里見美玲先生が関与しているのも衝撃的でした」
生徒指導の先生も顔色が悪いです。彼の名は富士原美喜雄です。
短髪のごま塩頭で、ギョロ目で、眉が味付け海苔みたいに太く、鼻は胡坐を掻いており、口は横一文字です。
いつもは上下ジャージ姿が多いのですが、理事長に報告をするため、着慣れないグレーのスーツを着ていて、やや緊張気味です。
「里見先生は、高等部の生徒達に慕われている先生ですね、確か」
理事長は富士原先生にソファにかけるように仕草で促し、自分も席を立って向かいに座ります。
「はい。本来であれば、俄かに信じがたい話ではありますが、その話をして来たのが高司譲児で、乱暴されたのが彼と同じクラスの桜小路蘭で、高司は加害者の生徒を伴って生徒指導室に現れましたので、信用せざるを得ません」
富士原先生は理事長が座るのを待ってから座りました。
「桜小路さんからは何かお話は?」
理事長は尋ねました。富士原先生は神妙そうな顔になり、
「高司は、桜小路には相談せずに報告して来ました。ですから、事件は内密にして欲しいと言っています」
「そうですか。そうですね。桜小路さんの心の傷の事を考えれば、公にする訳にはいかないでしょう」
理事長は目を伏せて応じました。
「はい」
富士原先生も俯いて言いました。
「では、まず最初に当事者の一人である里見先生にお話を聞いてください。里見先生の進退については、その報告を受けた上で、私が直に事情を聞いて判断します」
理事長は目を上げて言いました。
「わかりました」
富士原先生もギョロ目を上げて応じました。
理事長室でそんな深刻な話が進められているとは思ってもいない亜梨沙は、いつものように登校です。
「おっはよう!」
彼女は先に教室に来ている蘭に声をかけました。
「あ、亜梨沙、おはよう」
蘭は元気がありません。それは昨日の事を考えれば当然なのですが、亜梨沙は何も知らないので、心配します。
「どうしたの、蘭? お腹が痛いの?」
亜梨沙は大真面目に訊いたのですが、
「どうしても私を腹痛キャラにしたいの、亜梨沙?」
呆れ気味に蘭に返されてしまいました。
「いや、別にそんなつもりはないんだけど……」
亜梨沙は蘭の機嫌が悪いと思い、苦笑いしました。
(これ以上踏み込むと、手痛いしっぺ返しをもらっちゃうわね)
亜梨沙はまるで猛獣から離れるように後退り、
「何でもないならいいの、ごめんね」
と言うと、自分の席に着きました。
「おっはよう、有栖川!」
その間隙を突くように、早乙女小次郎が亜梨沙のない胸を揉みました。
「あんたねえ!」
亜梨沙はその手をガシッと掴むと、グリッと捻りました。
「ぎええ!」
小次郎は床を転げ回って悶絶しました。
クラスの男子の多くが、
(早乙女、羨ましい)
(早乙女、殺す)
と思っています。
「今度そんな事したら、生徒指導の富士原先生に言うからね!」
亜梨沙は仁王立ちで小次郎に言いました。
「え?」
小次郎に続いて入って来た譲児がそれを聞いてビクッとしました。
蘭もピクンとし、譲児を見ます。譲児は蘭に微笑んで、
「おはよう、蘭さん」
蘭は作り笑いをして、
「おはよう、譲児君」
クラスの男子達の関心が、今度は美男美女の会話に集中し、更に女子達も聞き入ります。
「映画、決めてくれた?」
蘭は一瞬迷いましたが、気を取り直して尋ねました。
(映画決めてくれたって、何!?)
女子達は心の中で雄叫びを上げています。
(桜小路さんは、有栖川さんの邸の執事さん狙いじゃなかったの?)
血の涙を流しそうなくらい悲しんでいる女子もいます。
(桜小路さん、高司に狙いを変えたのか!?)
男子達も心の声がボリュームMAXです。
「うん。決めたよ。でも、蘭さんと観るのはちょっと恥ずかしいかな」
照れたように笑う譲児を見て、失神しそうな女子がいます。
「エッチな映画は嫌よ」
蘭は譲児の笑顔に釣られて笑い、そんな冗談を言います。
「ち、違うよ。恋愛映画だよ」
譲児は顔を赤らめて言いました。
「ああ……」
クラスの多くの女子が溜息を吐きました。
「何があったの?」
遅れて入って来た天然爆弾娘の桃之木彩乃が亜梨沙に尋ねます。
「私にもわからないの」
亜梨沙は更にお尻を触ろうとした小次郎を踏みつけながら応えました。
「ふーん」
彩乃はそのまま席に着きましたが、
(おおお! 桃之木、今日はバナナ柄のパンツか)
床に倒されている小次郎は、ちょっぴり嬉しい思いをしました。
(有栖川のパンツはさっきからずっと見えたままだしな)
小次郎はついニヤけてしまいます。ちなみに亜梨沙の今日のパンツはうさぎさんです。
「何ニヤニヤしてるのよ、変態!」
亜梨沙が小次郎を睨みます。
(やっぱり桃之木に乗り換えようかな……)
ほんの少し本気な小次郎です。
その頃、保健室では、里見先生が机に突っ伏していました。
理事長に呼び出されて美術室の一件を問い質され、謹慎を言い渡されたのです。
「ううう……。麻莉乃先生……)
この期に及んでも麻莉乃先生の事を思い出している里見先生です。
(解雇されるかと思ったのに、謹慎ですんで良かったと思うべきなのか……)
フッと顔を上げた里見先生の目がギラッと光ります。
「それにしても、高司譲児、桜小路蘭、この恨み、必ず晴らしてやるぞ」
結構根に持つタイプらしいです。
そしてお昼休みです。
今日は、亜梨沙はトーマス手作りのお弁当を持参です。
重箱三段重ねの豪華版です。
「亜梨沙ちゃんのお邸の執事さんて、この前偶然お会いしたけど、素敵な人ね」
彩乃が言いました。亜梨沙はギクッとします。
(蘭だけじゃなくて、彩乃まで私のトム争奪に参戦するの?)
蘭より彩乃の方が強敵のような気がしてしまう亜梨沙です。
くどいようですが、トーマスは亜梨沙のものではありません。
「そ、そう? それほどでもないわよ。彩乃も男を見る目がないわね」
そう言いながら、
(嘘よーッ、トムゥッ! 許してェッ!)
心の中で絶叫して詫びる亜梨沙です。
「そう言えば、蘭はどこに言ったの?」
亜梨沙は蘭の姿が見えない事に気づきました。
「譲児君とよりを戻したみたいよ。学食に二人で行ったみたい」
彩乃は自分のランチボックスを出しながら言いました。
「ふーん」
亜梨沙はランチボックスを見ながら頷きます。
「誰それ?」
そしてランチボックスに貼られた外国人の写真を見て尋ねました。
「これがジョニデよ。知らないの、亜梨沙ちゃん?」
彩乃はこれでもかというドヤ顔で言います。すると亜梨沙は、
「へえ、そうなんだ。なかなかいい男ね」
と口ではいいますが、
(トムの方がずっとカッコいいわ!)
心の中でドヤ顔をする亜梨沙です。
でも、トーマスがカッコいいのと亜梨沙は何も関係がありません。
「そうでしょ? でも、亜梨沙ちゃんのお邸の執事さんもカッコいいわよ」
彩乃がポオッとした顔で言ったので、亜梨沙はまたギクッとしました。
(やっぱり彩乃も参戦なの?)
非常警戒の目になる亜梨沙です。
その頃、トーマスは十二神将達と庭にいました。
庭師さん達を手伝って、植木の剪定をしているのです。
庭師さん達は十二神将達が怖くて、ビクビクしながら仕事をしていました。
「お前達、皆さんの仕事の邪魔だから、あっちに行っていなさい」
トーマスが歯をキラッとさせて命じると、十二神将達は寂しそうにクンクン鼻を鳴らしながら去って行きました。
庭師さん達はホッとして仕事を再開しました。
「トム」
そこへキャサリンがやって来ました。
十二神将達は新たな侵入者に警戒しますが、キャサリンが一睨みすると、怯えて逃げて行きました。
麻梨乃先生と互角に戦えそうなキャサリンです。
「ケイトか。どうしたの?」
二人の会話は英語ですので、老齢な庭師さん達には全くわかりません。
「長年の夢が叶ったわね、トム」
キャサリンは亜梨沙に見せる顔とは違う鋭い目つきでトーマスを見ています。
「ああ、そうだ。十年かかったよ」
トーマスも笑顔を封印し、真剣な表情でキャサリンを見ます。
「それでどう? 目的は達成したの?」
キャサリンはニヤリとして尋ねました。トーマスは微笑んで、
「いや、まだだよ。なかなか『敵』も手強いのでね」
トーマスの返答にキャサリンは納得がいかない顔をします。
「ふーん。私には簡単そうに見えたけど。トムに無理なのなら、代わりにしようか?」
キャサリンは右の口角を吊り上げて言いました。
「いや、その必要はない。自分の事は自分でやり遂げる。ケイトは手出しするな」
亜梨沙が見た事がない怖い顔で、トーマスはキャサリンに言いました。
「まあ、怖い。では、お手並み拝見させていただくわ、トム」
キャサリンはクルリと踵を返すと、邸の方に歩いて行きました。
トーマスはそれを見届けると、また庭師さんの手伝いを笑顔で始めました。
亜梨沙は、トーマスの作ってくれたお弁当を、またしても獣のように食べてしまいました。
「亜梨沙ちゃん、また記録更新よ!」
ストップウォッチを見て、彩乃が叫びます。
「計らなくっていいよ、彩乃……」
亜梨沙は項垂れて言いました。
(料理ができる男はモテるのかも知れない)
それを見ていた小次郎以下クラスの男子達の共通の思いでした。
下校時間です。
蘭と譲児は連れ立って帰りました。腕を組んで歩く姿が様になっています。
「あの二人、お似合いよね」
彩乃は、その後ろで血の涙を流しているクラスの女子達がいるとも知らず、言いました。
「そうかもね」
亜梨沙も無情に同意し、女子達の怒りの視線を浴びますが、全然気づきません。
(俺もあんな風に有栖川と並んで帰りたい……)
木の陰から亜梨沙達を見て、妄想に耽る小次郎です。
亜梨沙は邸の門をくぐり、玄関へと歩き始めた時、庭でトーマスとキャサリンが話しているのに気づきました。
(あの二人はきょうだいなの!)
ムラムラ湧き上がる嫉妬心を抑えるために自分に言い聞かせる亜梨沙です。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
トーマスとキャサリンが同時に亜梨沙に気づき、お辞儀をしました。
その途端、亜梨沙の中の何かが壊れました。
自制心でした。
「誰が何と言おうと、あなたの一番は私なんだから!」
そう叫ぶと、亜梨沙は重箱を包んだ風呂敷をトーマスに押し付け、玄関へとパンチラさせながら走り去りました。
「ありがとうございます、お嬢様」
トーマスは深々とお辞儀をしました。
お読みくださり、ありがとうございました。