11 キレイの定義 1
様々な人の様々思惑に操られて、コジマさんの住まいはエイリスの家のわたしが与えられていた部屋に決まりました。
ハイジェントの皆さんは、自分達もジャルジーも等しく代償を払ってコジマさんの処遇を決めたことに満足して、さっさと自国にお帰りになりましたよ。事実を知らないままで。
結局、お腹の子云々は全部嘘で、スローネテス様が人間の身の振り方について密談を持ちかけてきた時点で、エイリスが引き取ることは決めていたんだとか。
理由は、わたしの時と同じでした。
『人間だというだけでいいように利用されずにすむよう、生活力をつける』
だそうです。自力で働けって事なので、彼女の望み通りの逆ハーレムをつくって贅沢し放題で一生過ごすことはできませんけど。
それに、ジャイロさんが望んでいた人間の血を獣人に混ぜるというのも、やっぱり簡単にはいかないそうで。
『ミヤだって、そうだったでしょう?』
と笑われて、思い出しました。わたし、獣人の皆さんに本気で拒否られたんでした。『キレイ』じゃないって選んでもらえず『子供』だって相手にしてもらえず。
体格差、獣人でも蛇人でも魚人でもない中途半端さは、無条件で好かれるものじゃないんです。人間としての特異性も街ではあまり知名度がなく、情報を握っているのがごく一部の闇商人じゃ恐くてばらせないし。
そんなわけで、田舎から弟子として引き取られた設定でエイリスの元にいるコジマさんを、わたしは度々訪ねています。
「…こっちから行くって行ったでしょ」
玄関先で出くわして早々、彼女は眉を跳ね上げました。
3日と開けず押しかけるわたしに対する対応は、冷たいようでいて結構改善してるんですよ。だってコジマさん、出てくるセリフと声のトーンが違いますから。きついこと言うのに、柔らかいんですよ、声。
「へへ、来ちゃいました」
「来ちゃいましたじゃないわよ、そんなお腹で。なんかあったらどうすんのよ」
怒りながら、とにかく入んなさいと押さえていてくれているドアをお邪魔しますと通りぬける。
相変わらず薬草と魔術書に占拠された室内は狭いけれど、庶民のわたしにはとっても落ち着く広さなの。無駄に空間がないのって、安心感があるんだよね。
「検診でしょ?エイリス出かけてるんだけど、待ってる?」
「はい、時間はいっぱいあります」
「そ」
手慣れた様子でお茶を淹れてくれるコジマさんだけど、ここに来た当初は暖炉に火をおこすこともお湯を汲むのも、全くできなかった。
急激に変わりすぎた周囲の状況に怒って戸惑っていたっていうのもあるけど、多分現代人ならそれって当たり前のこと。ガスレンジも電気ポットもない生活なんて、キャンプ以外でしたことない人の方が多いんだもんね。
当然、彼女はそのことに関しても癇癪を起こしたのだけれど、半月ほど通っていると妙に落ち着いてきたのだ。
「あの…何か、ありました?」
エイリスの検診に来るという口実で、コジマさんとのコンタクトを切らさないようにしていたわたしは、憑きものが落ちたような風情の彼女に怖々問いかけた。
丁度いい加減熱さのお茶を挟みながら、ちょっときつい視線を寄越したコジマさんは、この時初めてわたしに笑顔を見せてくれたのだ。
それはそれは微かな、正しく微笑、だったけれど、元が綺麗な人だけにどきりと心臓が跳ねる。
「なーんかね、悟っちゃったのよ」
「は?」
「だーかーらー、勝手に喚んだんだから一生面倒見ろとか、責任取る代わりに好き放題させろとか、正当なこといいながらあたしは逃げる先ができて喜んでたんだなって、ね。己を理解したわけ」
その先は長い長い、コジマさんの独白だった。誰もが持っている悩みと疲れに満ちた、彼女の本音だった。
「初めて会ったときに言ったじゃない?家族とは上手くいってなかったって。今にして思えばあそこが全部のスタートだったのよね。勉強勉強うるさい両親と優等生の妹がうざくて、家に帰らないことが多かったんだ。行くところないから友達の家を泊まり歩くんだけど、そう何日もは無理じゃない?結局また家に戻るんだけど状況が変わってるわけなくて、自由を得るために二流大学に合格して大学生って肩書き持って、あの頃は比較的幸せだったんだよね。親も静かになったし。
それが、カレシを妹に取られた辺りからまた、悪化しちゃってね。あの子、謝るどころか気付かないお姉ちゃんが悪いって、笑うんだもん。もうあんなのがいる家になんか死んでも帰りたくないって、早く一人暮らししたいってバイトで独立資金ためてたんだけど、肝心の内定が取れないまま4年の秋でしょ。いらついてイロイロ嫌になって、そんな時にここに連れてこられたから、また誰かに都合よく利用されるのかって。ふざけるな先手必勝でこっちが利用してやるって、力入ってたんだよね」
自分が平和な家で育ったから、そんなドラマみたいな家があること、わたしは知らなかった。
それなのに無理矢理喚び出されたコジマさんは同じ気持ちだろうと疑わずにいたり、あれやこれや的外れなお節介を焼いたり。
恥ずかしくて穴があったら入りたかったんだけど、羞恥に居たたまれないわたしを見て彼女はゴメンと謝るのだ。
「あんたを初めて見た時ね、妹にダブったんだ。幸せそうで、あたしが嫌われてる人達に好かれて、大事にされてて、上手く立ち回れないあたしを見下してるんだろうなと思ったら、言いがかりつけちゃった。お互いのこと何にも知らないのに、あの言い方はないよね」
だからゴメンと笑うコジマさんに、わたしの方こそごめんなさいと慌てて頭を下げる。
「自分を基準にして物を言って、コジマさんを不快にさせた気がします。そう、ですよね。人にはそれぞれ事情があって、一方の意見だけが真実じゃないんですよね。双方から話を聞いて、初めて真実って見えてくるんでした」
友達と喧嘩した時に、お母さんが教えてくれたことだ。
自分は間違ってないとわめき散らすわたしに、お友達の話を聞いていないから深夜の味方はできないと困ったようにお母さんは笑った。人が2人いれば、事情は2つある。一方だけの話を聞いて鵜呑みにしてはいけないのだと。
ちっとも学ばないわたしは、コジマさんは間違っていると思っていた。どうしてこの世界に馴染む努力をしないんだと、自分の間違いを認めないんだと。
正義なんて、人の考え方1つで変わる物なのに。冷静になれば謝ることができるコジマさんは、とっても正しい人だったのに。
「じゃ、お互い様であの時言ったことは気にしないでもらえると助かる。ちょっと寝覚めが悪かったんだよね。ここに来てから冷静に物を考えられるようになったからさ。エイリスは事実だけを教えてくれるでしょ?天使や悪魔に都合のいい話だけしないから、召還をする理由や意味が理解できて、だからって許してやろうとは思わないけど、結局生きて行くには対価が必要なんだって事はわかったんだ。自由を取るなら自分で稼いでいかなきゃならなくて、贅沢を取るなら子供を産んで保護される。これって日本であたしが思い描いていた生活と一緒なんだよね。良いとこ就職して自立して、カッコいい旦那見つけて玉の輿に乗るって野望があったの」
楽しそうに笑うコジマさんは、初めて会ったときのとげとげしさが消えてとっても優しいお姉さんになっていた。
性善説じゃないけれど、本当に嫌な人間なんて、いないのかもしれない。よっぽど考え方が違う人でない限り、話していけば理解できるところがあるはずなのだ。
あんなに嫌っていたこの世界を、笑顔で話せるようになったなら、コジマさんの嫌悪がちょっとは薄れたって事なんだろうから。
「この街の人達は天使や悪魔と違ってすっごいお金持ちじゃないですけど、親切ですよね」
「ね、びっくりするよね。西洋人もびっくりのレディファースト」
「…わたし、子供扱いでした」
「あら、あたしはちゃんと女扱いだったけど?」
その差ってやっぱり美醜なんだろうか。
扱いの違いにどうせあたしはキレイじゃないですよといじけていると、それを聞き止めたコジマさんは眉を顰めたのだった。
「それ、よく聞く『キレイの定義』ってやつ。あんまりいい意味じゃないんじゃないの?」