5 独占欲が間違った方向に暴走中です
ファンタジー、どファンタジーと、自分に言い聞かせるように呟いているうちに、目的地に着いていたらしい。
「さあ、どうぞ」
銀の人が差し伸べた手を避けて(食べられるのが怖くて触れない)魔力車を降りると、目の前に学校の体育館を2階建てにした上、過剰装飾した建物がそびえている。
「…どこ?図書館とか学校とか役所とか、公共施設の類い?」
あまりの規模に本気で尋ねると、絶えず微笑みをたたえている同じ顔が綺麗にハモった。
「「我が家です」」
「はぁ?!」
「ですから、私たちの家、だと言ったんです」
「何人家族ですかっ!」
「両親は別の大陸にいますので、2人暮らしですね」
「2人でこの大きさってありえないでしょっ?」
「ああ、使用人が30人はいたと思いますから、2人だけではありません」
…この人達は、庶民にけんかを売っていると思われます。
代わる代わる与えられる答えは、真実なら腹立たしいことこの上ないものだったが、嘘ではないのも確かだろう。直立不動で扉前に立っていた色白、黒ずくめの若い男が深く一礼して言ったから。
「おかえりなさいませ、アゼルニクス様、ベリスバドン様」
「名前っ?!」
多分執事だろう男が彼等をそう呼ぶのを聞いて、今更だけど忘れていたと気づく。
あれだけ時間があったのに、なんかもう金の人、銀の人で固有名詞を作ってたよ。そうだ、悪魔だって名前はあるよね。
有名どころのサタンとかメフィスト、アスタロト辺りなら日本人だって知ってるんだから。
「私がアゼルニクスです」
僅かに首を傾げての自己紹介は銀の人。
「私がベリスバドンです」
格好付けて片手を背中に、片手を前で曲げながらマリー・アントワネットの映画で見たような挨拶して見せたのは、金の人。
どっちもご大層なお名前である。長すぎで覚える自信が全くない。本音は覚える気がほとんどない。
「ご丁寧にどうも。春日居深夜です。アゼルさんにベリスさん」
一応自分のフルネームを明かしながら、聞いて耳に残った頭の方だけで呼んで後ろは省略してみた。
どっちも抗議することなく頷いてたのでこれでいいんだろう。三文字くらいの名前がやっぱり丁度いいと思ってしまうわたしは根っから日本人なのだ。
そして、自分を食料扱いした輩に敬称を付けるかどうか迷いながらも付けちゃう辺りも、やっぱり日本人なのだわ。
「聞いての通りです、カイム。彼女が我々の花嫁ですよ」
ベリスが執事のカイムさんにそう告げた時、どれだけそれを否定したかったことか。
違います、わたしはエサです。丁寧に言い換えたとしてもご飯です。ベリスさんは大嘘つきです!
無言の叫びなど聞こえるはずもなく、カイムさんはおっしゃった。
「ええ、すぐにわかりました。これほどキレイな方はそうそういらっしゃいませんからね」
…そうか、そうなのか。
「カイムさんも悪魔でしたか」
「はい、もちろんです。そうでなければこのお屋敷では働けませんよ。精神崩壊を起こしてしまいますから」
さらっと言われて、わたしはすぐさま回れ右をする。
だって、人間ですから!悪魔じゃなきゃ心が壊れるようなところに、住めるわけないじゃないですか!!
「どこに行くんですか?」
暢気なアゼルさんの問いに答えるのもイヤだ。見たらわかるでしょうが。逃げるんですよ、逃げるのっ!
誰に所有権を主張されようが、世界に人権を踏みにじられようが知ったことじゃない。命はひとつしかないし、運良く生きていられたとしてもまともな精神状態が保てなくなるんじゃ、生きる屍になってしまう。
誰がこんなところにいるもんか!
既に小走りに近い状態で、庭も校庭並みに広い中を駆けていく。息が切れても運動不足を痛感しても、火事場の馬鹿力で走り抜ける。
ところが、ですよ。
『バサッ』
てなご立派な効果音をつけて、アゼルさんが人の行く手を塞いでしまった。よく見ればその背には大きくて真っ黒い翼が一対、どこから出たのかくっついている。
「…お父さんが持ってた漫画に描いてあったんですけどね、人間1人を空に飛ばそうと思ったら十数メートルはある翼が必要なんですって。なのにそんなこぢんまりしたもんで飛んだらダメじゃないですか」
広げて3メートルじゃ飛べるはずがないんだと、現実逃避も兼ねて呟くと、彼は不自由ありませんがと言い切っておしまい。
それよりもと、こちらに腕が伸びてくる。
「急に走ったりしたら、危ないですよ。外には危険な連中が山ほどいるんですからね」
最も危険な悪魔に巣穴に連れ込まれているって言うのに、これ以上のなにが危ないんだかわたしにはさっぱりわからない。
「そうです。ミヤはここにいないとすぐに命を脅かされてしまうほど、脆弱なんですから」
しかも隣に同じような羽音をさせて降り立ったベリスさんが更におかしなことを口走った。
「命の危険を感じたから逃げたんでしょうがっ!!精神崩壊したら生きながら死んじゃうじゃないですか!!」
魔力車にはねられるより、道ばたで『美しくない』と罵倒されるより、ここにいる方がいろんな意味で危ないんだと怒鳴れば、彼等は薄笑いにぞっとするような冷気を貼り付けてカイムさんを振り返る。
「奴の言ったことが気に障りましたか」
あでやかにアゼルさん。
「では、消してしまいましょう」
楽しげにベリスさん。
「やめっ!やめなさいっ!!」
全力でわたしは止めましたとも!じゃないとあの執事さんが、マジで殺されそうなんだもん。
ごめんなさいの意味も込めてカイムを振り返ると、当の本人はうっとりしたような顔でお止めいただかなくても結構でしたのにと、返してきた。
「アゼルニクス様に精神攻撃され、ベリスバドン様の折檻を受ける私をご覧になって、ミヤ様は胸を痛められるのでしょう?その魂から流れ出た痛みの残滓を少々いただけると考えるだけで、体に震えが走るほどの喜びが湧いて参ります。ああどうか、次の機会にはお2人をお止めにならないとこのカイムにお約束下さいませ」
物静かに見えた執事は急に饒舌になって、恍惚とした表情でその場に跪く。
懇願。
正しくそう表現するにふさわしい態度に、走ったのは悪寒だ。
狂ってる。この人達の中に狂気が見える。わたしはとんでもないところに連れ込まれた気がするんですけど??!!
自分の体に腕を回し、這い上がる寒気から身を守ろうとしていると、面白くなさそうなベリスさんの声が降ってきた。
「誰がおまえごときにミヤの痛みを与えてやると言った。この娘は爪の先まで、私達だけのものだ」
違います。
「強靱な人間の魂はすぐに苦痛に慣れてしまう。おまえをいたぶり倒すのは、ミヤの見ていないところでだ。そうして彼女の感情は我々だけで食らうのだ」
いたぶってはなりません。ついでに食らうのはもっといけません。冷静にお願いします、アゼルさん。
こうして、先行き不安どころか、お先真っ暗な悪魔屋敷での生活は始まったのであった。
ああ、帰りたい…地球でも魔女の家でもいいから、ともかくわたしは帰宅を強く希望します!
読んでいただいてありがとうございます。
参考までに。
ミヤが読んだお父さんの漫画のタイトルは『地獄先生ぬ~べ~』です。