10 人生色々すぎて、目が回りそうです
仕切り直しとなったお隣への滞在は、出産から一週間ほど経って決行された。
母乳じゃなくて人の感情を食べる娘は、既に片言を話し気が向けば這うほどなので置いていくことに躊躇いがなくていい。たまに生まれてすぐに立ち上がる馬とかと重なって見えるけどそこはそれ。手がかからないのはいいことです。
「じゃあリーリア。わたしはお隣にいるからなにかあったらレリレプトさんに頼んで連れてきてもらってね」
「あー」
別れの朝…というにはあまりにあっさりあっけない散歩程度の外出時、すっかり定位置になっているレリレプトさんの腕の中で娘のリーリアはご機嫌に笑っていた。…そう、ご機嫌に。
この子はわたしの感情を食べるとき以外、母親に興味というものを抱いてくれない。正確に言うならば、レリレプトさん以外の誰にも興味がない。人から栄養を摂取して、レリレプトさんに感情を提供するという循環作業を子供ながらにこなしているところは褒めてあげたいけれど、もう少し他人に興味を持ってくれたってよさそうなものなのに。
親として寂しいと頬を膨らませると、決まってこう言われるのだ。
『伴侶を決めた悪魔にそんな理屈は通用しない』と。
すでに相手しか見えなくなってるとか、理解しがたい。まだゼロ歳児なのに。どんな生態してるんでしょう、悪魔って。こんな生態ですか、そうですか…。
「じゃ、行こうかミヤ」
「ではな、べリスバドン」
「ああ、また夕食時に」
「気をつけてミヤ]
1人感傷に浸っている横で、お別れは勝手に行われていました。
ま、移動距離は100mだし、1週間したらまた昼間はアゼルさん達のところに戻るんだし、なんだかんだでリーリアもレリレプトさんもあっちのお家に来るんだろうし、さしたることじゃないか。
なんて考えていたら、ふわりと抱きしめられた。
「貴女を愛せない時間はとても長いですが、毎日会いにゆきますから」
ちくりと意地悪をして感情を食べるのが常のアゼルさんに、優しい言葉と態度をもらうとこそばゆくって反射的に頬が熱くなる。
「離れている時間も私達は貴女の物。忘れないでください」
変わって抱きしめてくれたべリスさんも、決してわたしも彼らの物だと言わない辺りに切なさといじらしさを感じて胸を締め付ける。
この人たちとはすっかり情が通うようになったなぁと、しんみり夫婦であることを噛みしめているというのに、これから夫となる方々は容赦なかった。
「はいはい。今からミヤは僕たちの妻になるんだから、離してね」
「そうだ。これまでは我々がさんざん我慢していたんだから、攻守交代だ」
ええ、まあ。そう言われてしまえばそれまでなんですが、あまりに悪魔と天使が対照的でなんとも複雑な気分です、はい。
意気揚々、希望に満ちている天使に引き連れられていくわたしは、背後で意気消沈、暗雲立ち込める悪魔に内心で合掌したのでした。
2人のこともすっごく好きですから、落ち込まないでね~!
そんなこんなで移動したお隣で、リワンさんが入れてくれたお茶を飲みながらふっとデジャブに顔を曇らせる。
「…こんな時でしたね、不吉なノックがしてオフィエール様たちが入ってこられたの」
「嫌なこと思い出させないでよ。彼女たちは今、伯爵家に軟禁状態なんだから来たくても来られないよ」
「見張りの衛兵がサボっていなければな」
「サンフォル!」
冷静な指摘を入れた片割れにメトロスさんが盛大に突っ込んだ時だった。
『コンコンコン』
控えめなノックに当然ながら3人共、固まる。
昔から言いますものね。噂をすれば影って。サボりましたか、衛兵!
またあの人たちのお相手をするなんて、想像するだけで全身に緊張が走るんですけど…。
しかしながら来ちゃったものは仕方ないと、覚悟を決めた時だった。薄く扉を開けたリワンさんが伴った来訪者は…
「やっと夫を増やす気になったんだ!!すごくいいことだよ、うん!」
「…ジャイロさん…」
異常にハイテンションな猫男…失礼、魔術師さんだった。
もともと機嫌がいい時は奇妙な不気味さを醸し出すのがジャイロさんの特徴なんだけれど、今回も例に漏れず嫌な予感がする。ううん、嫌な予感しかしない。
「何しに来たわけ?」
不機嫌全開のメトロスさんの声もなんのその、にんまりとしか見えない笑みを唇に湛えた彼はもちろん邪魔をしにとか、冗談に全くならないことを言うから困る。
ほら、ほらほら!サンフォルさんが剣を抜きそうですよ!背後ではリワンさんもなにやら不穏な空気を発していますけど?!
怖いもの知らずのジャイロさんにこっちの方がびくびくしていると、足音もさせずにソファーまで歩みを進めた彼はどかりと乱暴に腰を下ろして急に笑みを消す。
ついぞ見たことのないその真剣な表情に、どうしたんだろうと眉根を寄せた時だった。
「馬鹿はどこまで行っても馬鹿だ。人間の生んだ子、つまりまだ見ぬリーリアをエサにハイジェントと密約を結んでいた。王だった間の、碌でもない置き土産ってわけだ。おかげであの子だけじゃなく、レリレプトのことまで広く知れ渡り、これまで恨みを抱いていた連中が引き渡しを求めてきている。本来なら全力で祝福したい結婚だけど、その前にこっちの始末をつける必要ができてね」
浮かれた気分は一瞬で吹き飛んだ。
ハイジェントって、あのいけ好かない王子様もどきのいる国、だよね?それも大陸の中で1番強いっていってたはず。リーリアをエサ?レリレプトさんを引き渡す?何、それ。
「密約とやらの内容は?」
疑問でいっぱい過ぎて言葉も出ないわたしより、数段冷静なサンフォルさんが緩んでいた表情を驚くほど強張らせてジャイロさんに情報の提供を求めた。
「不平等同盟。傘下に入るわけでも、属国になるわけでもない、同等の国としての権利を持ちながら、他国からの干渉に置いてはハイジェントから無条件で庇護を受けられる。人間には手出しできなくても、悪魔なら別だ。しかも彼女は直系の第一世代となるんだから、くれてやると言えば大抵の国が飛びつくだろうさ。あの愚王ごときが考えた策としては最善と言えるもしれないな」
「馬鹿なこと言わないで!リーリアはものじゃないんだから、本人の意思を無視してあげるとかできるわけないでしょ!」
最善なわけがないとくってかかれば、ひょいっと肩をすくめたジャイロさんはその通りとあっさり頷く。
…全く、相変わらず何を考えているんだがさっぱりわからない猫さんなんですが?そう思ってるって事は、最終的にわたし達に何を言いたくてここへ来たわけ?
眉を顰めて意味がわからないと呟くと、今回は珍しく協力的な気分になっているらしい彼がだから僕が来たんだと口角を上げる。
「これは愚王が個人的に進めていた交渉で、ジャルジーの現体制でこのことを知っている者はいない。だけどハイジェントにとってはこちらの混乱に乗じて無理を通すいい機会だって盛り上がってるらしくてね。早急に対策を考えようとそこの天使達と奥様に王宮からの招待状をお届けに上がったってわけ」
因みに隣の2人は先に行ったよという声を聞きながら、メトロスさんとサンフォルさん、そしてわたしも出かけるべく立ちあがったのだった。
待っててね、リーリア。こんな訳わからない計画、お母さんが綺麗さっぱり消滅させてあげるから!!
…ところで、これ、どこ情報なんですか?ジャイロさん。まさかまた、覗き見情報とかじゃないですよね?それ、違法行為ですよ?