4 悪魔に会いました エサ認定されました
歩き慣れていた街が、下層に属する人たちが住む場所なのだと知ったのは、魔力車の窓から見える風景が一変した時だった。
元々魔力車は操り手の魔力で走るため、回転する車輪がほんの少し地面から浮いていて、あまり衝撃を拾ったりしないのだけれど、それでも急に全く振動がなくなれば何かあったのかと思わず外を覗いてしまうものだ。
座ったわたしには少々高い位置に付けられている窓にうんせとしがみついて、驚いた。
1メートルほどしかなかった道が急にその倍以上の広さになり、歩道を挟んだ町並みは小綺麗な店が軒を連ねている。
あの街で見る石畳は、所々欠けたり剥がれたりしたみすぼらしいものだったのに、こちらに敷かれているのはタイルと見まごう光沢を放った、カラフルで大ぶりな石板だ。
それが歩道にまで施され、道行く人はわたしと同じ中世風のロングドレスではあるが、デザインや生地の質、なによりレースなどの贅沢品がふんだんに使われた華やかなものが多い。時折見かける使用人風の人たちも、メイドですと一目でわかるような上質なお仕着せだった。
…でも、メイドカフェのお姉さん方のようにミニスカートや絶対領域は存在してないんで、ちょっとだけ残念に思ったりもして。
だって、膝上10センチが当たり前な制服を着用していた身としては、こっちの服は動きづらくて歩きにくいんだもん。できるなら後30センチはスカートの裾を切りたいとこなのよ。
エイリスに怒られるから、我慢してたけど。
ふと、本当は優しかった魔女の顔を思い出して胸が痛くなった。結局まともなお別れさえ言えなくて、残っている記憶と言えば裏でこっそり悪口言ったり、本人目の前に毒づいたりしたことだけだ。
せめて、ありがとうって、今までお世話になりましたって、言いたかったのに。
そこまで考えて、目の前に並んでる同じ顔を軽く睨む。拒否権がないのは短い会話で充分わかったけれど、挨拶する時間くらいくれたってよかったのに、と。
でも相手はどこ吹く風。にこにこと不気味なほどご機嫌で、わたしを見てまた繰り返すのだ。
「ああ、なんてキレイなんでしょう」
「本当に、すぐにでもむさぼりたくなるほどにキレイです」
………自分に自惚れられるほど無駄な自信があったなら、この手の言葉に『当然よ』とか答えられたんだろうなぁ。
ただし、言った相手の容姿がこっちより劣っているのが前提ですが。
つまり、何言ってるんだこの人達はと訝しむことはあっても、真に受けて嬉しくなることは決してないこの台詞。
むしろ、痛いし寒い。背筋に悪寒が走りました。
ってことで、盛大に顔を顰めて、並んだ顔に心の中で舌を出す。
「お宅に鏡はないんですか?明らかにそっちの方が綺麗でしょうに。わたしをバカにしてるんですか?それなら理解できるんで納得ですが、それでもむさぼるって表現はいかがなものでしょう。エサじゃないんだから、むさぼっちゃダメでしょう。せめて撫で回す程度に留めて下さい」
言い切って、あ~まずかったかなとぼんやり思う。
撫で回すんだって良くないわ。愛でるくらいが丁度いい愛情表現じゃないか?
しまったと横を向いて聞こえない程度の舌打ちをすれば、きょとんとして2人は真顔でむさぼるで正しいです、とかほざいていた。
「キレイな魂は汚して傷つけて、そこからあふれ出す闇をむさぼるのが美味なのですよ」
「そうそう。痛みを知らない魂は簡単に血を流すんです。昏く濃厚な恐怖や憎悪がどれほど良い舌触りか、想像するだけでほら、体が歓喜に震えます」
「魂に、傷ぅ?!そんなことしたら、心を病むじゃないですか!精神病まっしぐらですよ!危険極まりない行為ですよ!」
なんて怖いことをさらっと口にするんだと叫び声を上げると、彼等は大丈夫ですと請け合った。
「そうしても壊れないから、人間の感情は極上なのですよ」
「ええ、強靱で脆い。だからこそ流れ出る負の感情は例えようもなく甘美だ」
…恍惚とした表情って、日本に住んでた17年で一度も見たことがなかったんだけど、これは一生見ない方が幸せだったんじゃないかと今、思います。
うっとり恐ろしいことを夢想しているらしい2人は、なまじ容姿がよろしいだけに怖いのなんの…。
「…こっちのがよっぽど悪魔みたい…」
渦渦の角と羊の目をしてるってだけで、悪魔扱いしたエイリス、ごめんなさい。一見人に見えるこの2人の方がよっぽど悪魔でした。言動も中身も容姿も、全部悪魔。悪魔以外なし!
「おや、私たちが悪魔だとご存じだったんですか?」
かわいらしく首を傾げたのは、金の人。
「あの魔女は我々の存在を隠していたようでしたが、どこかで調べでもしましたか?」
相方と対になるように、やはり首を傾げたのは銀の人。
なに言ってんでしょう、この人達。この世に悪魔なんかいるわけないじゃないですか。
どんだけノリがいいんだと、顔の前で手を振ったわたしはいやいやいやと否定のポーズ。
「悪魔とか天使は、どっかの宗教に出てくるおとぎ話の生き物なんで実在はしませんよ。言葉の綾です。失言です。そんなものにいちいちのってくれなくて全然かまいません。むしろのらないでください」
しかし、彼等はめげなかった。にこやかに逆否定をかましてくれる。
「いますよ。悪魔と天使は。貴女の世界ではどうだったのか知りませんが、こちらの世界では当たり前に
存在します」
金の人の漆黒の瞳には、一点の曇りもない。人を謀ることに長けている悪魔だと主張するなら、まずその嘘のない瞳を何とかした方がいい。
「世界を取り仕切っているのは、悪魔族と天使族です。我ら権力者が女性の感情を『エサ』とするので男女比率がおかしくなったんですから、これは間違いありませんよ」
真摯に突拍子もないことを語られても、困るのですよ銀の人。わたしの脳みそは半年かけてやっとの思いでファンタジーな世界に慣れてきたところなんです。これ以上の混乱はご勘弁願いたいんですよ。
なのに、こっちの心中など知らぬ素振りで彼等は最後の爆弾を落としたのだ。
「200年と少し前に喚ばれた娘も、とてもキレイで美味な魂の持ち主だったそうです」
「期待しているのですよ、貴女には。どうかおいしい食事を私たちに提供して下さいね?」
………なんですか?嫁じゃなくてエサにするための拉致監禁なんですか、これ?
助けてっ!エイリス~~~!!!マジ、命の危険です!!!