41 やっと一息つけそうです
「本当は…何もかもわかっていたんです」
すっかり大人しくなってしまったオフィエール様は、疲れたようにソファーに身を沈めると打って変わった殊勝な様子で自分の置かれた現状を認めた。当然、セフィーラ様も同意して首肯する。
「お母様がお認めにならなくても、重臣たちは皆、城から出る用意をするようあからさまに言ってまいりましたし、これまで煩いほどに纏わりついていた者たちも姿を消しました。これで自分たちはまだ安泰だと思えるほど、わたしくおめでたくはありませんのよ」
それでもわたしに向けられる視線から険が消えることがないのは、ある意味立派だと思う。だってそれは圧倒的不利なこの状況でも、勝負を投げてないって事だから。一縷の望みにでも縋って、欲しい物を勝ち取ろうとする貪欲さは、中途半端なわたしには羨ましい一途さの表れでもある。
「けれどもやはり、人間如きにメトロス様を奪われるのは我慢なりませんわ」
…って、褒めようとしたらこれだもんなぁ。なんでこう、人種差別発言が消えないのか、身分制度が崩壊して久しい日本の小市民としては、理解に苦しむ限りです。
きつい視線に晒されて、こっそり溜息を零せば聞き止めたエイリスが諦めろと言わんばかりに苦笑いを零す。
「ミヤは自分が食べている肉が元は何の姿をしているか、考えながら食べる?その肉が自分と同じ言葉を話すからと同じ人権を認める?天使や悪魔が他種族を見下す理由はそこなの。これは理屈でどうにかなるものじゃないでしょ?」
…確かに。わたしはお肉も食べる雑食代表の人間だけど、牛や豚や鳥を可哀そうだと思いながら食事したことは…あんまりない気がします。ただこの星に飛ばされて羊っぽい人とか牛っぽい人とか見るにつけ、人語を話して意思疎通ができる相手は食べられないなぁとか思いますけど。それを理由に差別しようとかは思いませんけど。
でも、ずっと『エサ』は自分と同列に置けないと教えられてきた人たちの感覚は、牛や豚を食べて可哀そうだと思わないわたしたちのそれに似ているのかもしれない。
だから、人間ごとき発言はずーっと消せないんだね。いやむしろ『エサ』を妻にできるアゼルさんとべリスさんが特殊だったり?
疑問ともに見上げた先で、2人はにっこり笑ってそんなわたしの不安を払しょくする。
「私たちにとってミヤは、大切な女性ですよ。確かに『エサ』として扱ってしまうこともありますが、全てに愛があります」
「もちろん他種族の方も『エサ』だという意識で接したことはありません。両親がそういった考えを嫌いましたし、搾取する側ではありますがそこに階級意識を持ち込んだことはありませんから」
アゼルさんとべリスさんを育てたご両親、ありがとう!思わず拳を握ってしまいましたよ。
ただエイリスがああいう以上、この考え方はマイノリティだと理解はしている。でもだからこそ、2人が好きだと言ってくれる言葉を頭から信じることもできるのだ。
彼らはちゃんと、わたし自身を見てくれている。人間という付加価値を取り払うことはできないけれど、人権を認めたうえで好きでいてくれるって。
嬉しくてニマニマしていると、左右から面白くなさそうに同じ宣言が聞こえた。
「うちの両親も同じ考えだったから。なにもアゼルニクス達だけが、偏見を持ってないわけじゃない」
「当然私たちも彼等と同意見だ。とういうより、天使族悪魔族の中にはこのように考えている者は意外に多いんだ」
それはなかなか希望に満ちた答えに思えます。いいですね、差別のない社会。人間みな平等!
……ま、理想論ですけど。そうできたら世界から戦争はなくなるわけですからね。
なんてグローバルなことを考えつつ、一応周囲にいる人たちの目は温かいことに力を得て、わたしは正面でなお敵意むき出しのお嬢様方に真正面からぶつかってみることにした。
多分、この星で生きていく限り必ず出会うだろう偏見の、まさに急先鋒たる彼女たちとは自分でぶつからなきゃいけない。アゼルさんやべリスさん、メトロスさんやサンフォルさんに守ってもらうことは簡単だけれど、それじゃあ一生誰かの陰に隠れて生きていかなきゃいけなくなってしまうから。
「天使の方たちの結婚制度は、わたしの世界にある結婚制度の1つによく似ています。そこでは宗教的理由から重婚はおろか離婚も許されないんす」
じっと見据える先の表情は変わらない。相変わらずこちらを1段下に見て、だからなんだと言わんばかりの様子だ。
「時代的に考えて200年前に召喚された女性は、この教義、もしくはそれに近しい教義を教える宗教に身を置いていたと思うので、ここの考え方を受け入れるのはとても苦労したことは想像に難くないです。先ほどもいいましたけれど、わたしも宗教ではなくて法律として重婚が禁止されている国から来たので何人も夫を持つのが普通だと言われてもなかなか受け入れ難かった。ですから結婚観が違うと言って人間をバカにするのはやめてくださいませんか。それと他の種族のあり方や考え方を批判するのもダメです。全部を自分の知っている枠に嵌め込もうとするのは、とても浅はかなことなんですよ?」
勢いに任せて思っていることを言いきったからうまく伝わったのか不安だった。だって彼女達の様子は変わらない。むしろ怒りを増して恐ろしいくらいだったから。
でも他の人たちは違った。皆神妙な顔をしてわたしが言ったことを考えてくれているみたいで、中でも一番表情を曇らせたのはジャイロさんだった。
彼だけが人間は夫をたくさんもたなければならないと強要してきたのだから。
勿論それにはきちんと理由があって、彼なりの信念から出た言葉だったと知っているけれど、あれだって彼等の一方的な都合だ。わたしがそれについてどんな風に考えるのか感じるのか、全く考慮していない言い分だ。
バカだからうっかり言いくるめられてこの世界を救う手助けがしたいなんて考えたりもしたけれど、アゼルさんもベリスさんもそこまで自分を殺す必要はないといってくれた。エイリスもジャイロさんをしかり飛ばしてくれた。
けれどジャイロさんがあんなことを言いだしたのも、オフィエール様やセフィーラ様が言いたい放題なのも、はっきり意思表示しないわたしに多少なりと非がある。
誰かが庇ってくれるのを待つばかりじゃなく、きちんと自己主張だけはしないといけないのだ。
「ならばそうすればいいのよ。悪魔の夫だけで満足でしょう?」
「はい、満足です」
セフィーラ様の強い口調に迷いなく頷ける程度に、わたしの倫理観は正常に機能している。だがそれとは別の新しく芽生え始めた価値観というのも同居しているから厄介なのだ。
メトロスさんやサンフォルさん、ジャイロさんまでもがこの発言に異を唱えたがったが、そこは笑顔で押しとどめ、続きを口にした。
「でも、それじゃあ天使族が納得しないと思います。なにしろ人間の血を混ぜれば、減らない食料となる突然変異種を手に入れることができるわけですから。違いますか、メトロスさん?」
大人しく黙っていた彼に顔を向けると、不満そうに彼は頷き、途端に2人の女性は騒ぎ出す。
「だからメトロス様を夫にするとでもいうの?」
「サンフォル様以外の天使が夫でも、一族は何も言わないわ!」
「僕たちが構うんだよ」
「そうだ。ミヤを他の天使に任せるなど、ごめんだ」
「でも!」
「わたしも、全然知らない天使さんを夫にしろと言われるより、よく知っているメトロスさんとサンフォルさんが相手の方がいいです。…2人が数年待ってもいいと言ってくれるなら」
お嬢様たちの言葉を遮って意思表示すると、メトロスさんが眉を跳ね上げる。
「…それ、どういうこと?なんで年単位で待たなくちゃならないわけ?」
あきらかに上がった不機嫌ボルテージに少し腰が引けるけれど、まさにここが言いたいところなので逃げているわけにいかない。
ぐっと膝に置いた拳に力を込めると、そこに左右から大きな手が重なった。
「がんばって、ミヤ」
「大丈夫ですからね」
見上げた先の微笑みにこもった優しさに愛を感じて、気合を入れなおしたわたしはきちんとメトロスさんに視線を合わせると頷いた。
「はい。少なくとも私がアゼルさん達の子供を産むまで、待ってもらえませんか?その間にもっとよく、お2人のことも知りたいんです」
長い長い沈黙、そしてわたしの願いは叶えられた。
これにて第一部終了です。