38 悲劇のヒロインで居続けるのはとっても難しいのでした
本文中に女性にとって不快な表現が出てきます。
覚悟してお読み下さい。
『がんばりましたね』って、アゼルさんもべリスさんも褒めてくれたけれど、気持ちは重いままだった。
だって、2人とも怖い顔をしてた。当たり前だけど、わたしの言ったことのせいで。
それにべリスさんに『彼らは貴女を諦めないですよ』と、もう1度言われてしまったし。
けれど不謹慎なことに、その反応と『諦めない』っていう言葉に、どこか喜んでいる自分がいる。
わたしなんかを好きだって言ってくれた彼等の手を、離したくない欲張りなわたしがいる。
なんて不誠実なんだろう。アゼルさんやべリスさんときちんと恋愛できるまで夫は増やさないって決めたくせに、ほかの人まで望むなんて。欲張りで、卑怯だ。
自分の中の嫌な感情に気づいてしまったらアゼルさんやべリスさんの顔を見ていることが申し訳なくて、自室に引き籠ったわたしはオレンジに染まった部屋で自己嫌悪に沈む。
友達の彼氏が浮気したって聞いて憤っていたのに、同じことしてるんだよね。そりゃあ社会の仕組みから人種、法律に至るまで全く違う星にいるんだから、そういう考え方に変わってもおかしくないんだろうけど、ひと月とちょっと前にその仕組みを知ったばかりの人間ががこの制度に染まるには早すぎる。
……もしかして、根本に浮気願望とかあったんだろうか…?
「”わたし、最低”とか、思ってるわけ?」
声にしようとしたままの言葉が、急に背後から聞こえて驚かない人はいない。当然わたしもソファーから転げ落ちるんじゃないかってほどびっくりして、勢いよく振り返った。
虎縞模様の髪と、ゆらゆら楽しげに揺れている尻尾。前回会ってから大して時間が経っていないのだから、いつも悪巧みしてそうな顔は変わるわけもない。
「ジャイロさん…」
既に思考の海は定員オーバーだって言うのに、なんで今日に限ってこうも登場人物が多いのか。
頭を抱えているわたしとは反対に、至極楽しそうな大猫は足音もさせず、向かいのソファーに腰を下ろす。
「なかなか楽しい展開じゃないか。最高だね」
「どっかで覗き見してたんですか…?」
詳細を知っているような口ぶりだから問いかけたのに、にやりと笑った彼は答えない。
全く、どんな方法を使っているんだろう。知っていたら絶対妨害してやるのに。
わたしの向ける胡乱な視線など気にしもせず、どこからから取り出したティーセットで勝手にお茶を淹れたジャイロさんは、それをずずっと啜りながら「で?」と聞いてきた。
「…意味、わかんないんですけど」
いきなり出てきていきなり質問されたって意味不明だ。不満に声を尖らせると、不意に彼は黄金の猫目を細めて、幸せな女っとわたしを嘲った。
「君さ、あの時一緒に喚ばれた女の子達が、どんな目に遭ってるか知ってる?いきなり見たこともない場所に引っ張り込まれたと思ったら、商品でも選ぶみたいに男達に連れ去られ、選択権もないままたくさんの男に好きなように嬲られて、子供を産ませられるんだ。なにしろ繁殖のためだけに召還されているんだから、扱いはさんざんさ。なのに人間は特権階級の人間に保護され、贅沢な生活を保障され、自分の好きな男を選んで番うことができる。だが君はどうだ?元いた世界のルールとやらを持ち出して、この世界の男達を拒絶する。たかが夫を2人増やせと言われただけで、まるで悲劇のヒロイン気取りじゃないか」
低く静かに紡がれるジャイロさんの声は、それ自体に攻撃魔力が込められているかのように、一言一言が胸を抉った。
考えたこともなかった。あの時あの場所にいた女の子達の未来なんて。キレイだと褒めそやされ、次々男の人達と消えていった子達。そういえば彼女達がどんな表情をしていたのか、戸惑っていたのか嫌悪していたのか、それすらも思い出せない。
だって自分の不幸に、惨めさにどっぷり浸っていたから。美しくないと罵倒され、取り残されたわたしこそが、憐れな存在だと思っていたから。
けれど、ジャイロさんは幸せだという。選択権も拒否権もあり、自由に生きているわたしこそが幸せだと。
強く噛んだ唇から、鉄さびの味が広がった。
浅はかで考えなしの自分が悔しくて、自己保身しかしてこなかった少し前の己を殴り倒したくて。
彼の言う通りだ。何を悲劇のヒロインぶっていたんだろう。恋も愛も踏みにじられて生きるしかない彼女達に比べたら、わたしの悩みなんて毛ほどの価値もない。
嫌いな相手でないのなら、拒否するべきじゃない。一刻も早く女の子達が召還されなくても良くなるよう、悪魔や天使の食糧事情の改善に役立つべきだ。
だけど…。
「で?」
再び同じ質問をしてきたジャイロさんの目は、笑っていなかった。いつものふざけた様子も形を潜め、わたしの答えを待っている。
「………元の世界でのことは…できる限り忘れるように努力します。今すぐ全部は無理でも、もうそれを持ち出してメトロスさんやサンフォルさんを拒絶したりしない。わたしにはたくさん子供を産む義務がある…そう答えて欲しいんでしょう?」
計ったようなタイミングで現れた男は、きっと何もかもを計算していたはずだ。
エイリスがわたしの未来を愁いてくれたように、彼は世界に、犠牲になる女性達に、心を寄せている。たくさんの人を助けるために、1人の犠牲を出すことを厭わずわたしを監視していたのだろう。
だからこそ、愚かな行動に出た人間を諫めるため、ここにいる。
確信して凪いだ金の瞳を見据えると、ジャイロさんはちいさく頷いた。
「少なくとも4人、天使と悪魔の子を産んで欲しい。それだけいれば50年後、男女の比率は僅かながら改善されるはずだ。何しろ特権階級だけあって、連中の数は著しく少ないからね。ハイジェントの例で実証済み。その間に獣人族、蛇族なんかにも無限にエサを提供できる女が増えていけばさらに結構というわけで、できれば僕を夫に、まあどうしてもイヤなら他の男を見繕うから、ともかく天使と悪魔意外にも、人間の血を混ぜて欲しいんだけど」
爪の先ほども色気のない内容だが、この手のことを静かに真顔で言われるとちょっとだけ対応に困った。
とはいえ、綿密に練られている計画を拒めるほど、わたしは薄情じゃない。一緒に喚ばれた子達の話しを聞いた後では尚更、否とは言えず俯くことしかできない。
その様子に纏う空気をふっと緩めたジャイロさんは、先ほどより柔らかくなった口調で続けた。
「…今直ぐ答えを出してくれとはいわないよ。ただ、これまで当たり前だったことがこの場所のルールと違うんだって、わかってほしかっただ。帰ることができないんだから、いつかはそれを受け容れるしかない覚悟をして欲しかった」
彼の言葉はすんなりと胸に落ちた。
この星に喚ばれてからずっと、自分に言い聞かせ続けていた還れないという事実。
状況が変わり、地球で培った法律が通用しないという事実。
ゲームみたいな夢物語のくせに、全てが現実だという事実。
理解したつもりでいた。でもきっと、はっきり全てが飲み込めて覚悟を決めたのは今日だったのだ。
「……結構、飲み込みが悪いんです、わたし。時間はかかると思いますけど、このお屋敷でアゼルさんやベリスさんといながら、お隣のメトロスさんやサンフォルさんと仲良くなって、いずれはたくさんの夫を持つことにも子供を産むことにも馴染める…と思います。この程度の覚悟じゃ、ダメですか?」
きっと1人目の子供を産む頃には、もう少し順応できている気がする。
窺い見たジャイロさんは曖昧なわたしの返事に、それで構わないと頷くと初めて目にする皮肉を含まない本当の笑みで、獣人の夫が僕ってのは難しい?っと冗談なのか本気なのかよくわからない調子で問いかけてきた。
ま、これこそ直ぐに答えを出す必要はないよね?
何となくわだかまりが消えて心が軽くなったせいで芽生えたいたずら心は、保留ですと含み笑いでジャイロさんを交わす余裕をもたらしてくれていた。
それに眉を顰めて本来の食えない表情を取り戻した彼は、肩をすくめてみせる。
「肝が据わってるよね。さすがあの条件で喚ばれた女の子だけあるよ」
「なんですか”あの条件”て」
まだわたしの知らない条件とかあったわけ?!
さあ吐け、全部吐けと、形勢逆転した形で迫られているジャイロさんは、笑って煙に巻こうとしたんだけどそんなの許すはずがない。
本日は真実暴露大会みたいに、知らないことをとことん追求する日なのだ。逃がすモノか。
ぴくりとも表情を動かさず真顔でずずいと詰め寄ると、降参と呟いたジャイロさんがあきらめ顔で答えた。
「”神経が太い”っていうのも、召還条件なんだよ。だって直ぐに泣き崩れるような子じゃ、生きていけないからさ。何事もポジティブに捉えられる女の子、素敵だよね」
「誤魔化されるか!」
最初の1文は余計だった。
もう今更なんだから、ポジティブとだけ表現してくれればこんなに怒りは湧いてこなかったのに。
タイミング良く突っ込んだわたしは、取って付けたようにフォローをいれたジャイロさんをうっかり殴ってしまったのだった。
大事なこと教えてくれたのに、この右手がうっかりすみません。