3 わたしの人権はないのがデフォルトのようです
憤慨しながら家に戻ったわたしは、言いつけられた物を買ってこなかったことを怒ったエイリスに再び外に放り出され、お使いを完遂するまでお家に入れてもらえなかった。
あの女、やっぱり本物の悪魔に違いない。
『路上でバカにされた』事件から4日後、ぐっつぐつと魔女特製怪しい惚れ薬を制作しながら、未だ収まらぬ怒りの再燃にムカムカしていた時、1つ向こうの部屋から魔女が客の対応をしている声が聞こえてきた。
石造りの家は思いの外、防音性が高い。もしかしたら科学より遙かに魔法が発達しているこの世界のことだから、家全体に防音魔法でもかけてるのかもしれないけれど、詳細はともかく玄関先の会話などほとんど聞こえてこないに等しい部屋の中は来客があろうと無かろうと聞き耳を立てることすらままならない。
だから外界のことはほっといて、ひたすら鍋をかき回していた。
…というか、この家を訪れるような客は碌な注文をしてこないから、会いたくないってのが本音だ。
数少ないこの星生まれの女性を巡って、やれ恋敵を呪い殺せだの、相手が自分の意のままになる魔法をかけろだの、汚いことこの上ない本音を余すこと無く吐露してくれるもんだから、聞くに堪えない。
しかもそれを言うのがイケメンで、こっちを蔑みに満ちた目で見てくるとくれば、尚いっそう不快度は上昇する。
初対面の女性を『美しくない』って馬鹿にするほど自分の姿形に自信を持ってるなら、姑息な手段に頼らず自力で女の1人や2人や3人おとしてみせろってのよ。ま、あの場にいなかった男相手にこんなこと思ってるんだから、八つ当たりなんだけどさ、でも腹は立つのだ、10人並なわたしは。
けれど、稼がなきゃ食べていけないことも知っている。なんとも世知辛い世の中を嘆きつつ、今日も惚れ薬をせっせと作る。ああバカらしいと思いながらも、結構強力なそれをおバカさん達に売りつけるためにせっせと働くのだ。
「ミヤ」
だからエイリスが部屋に入ってきた時、顔も上げずに答えた。
「はいはい、もうちょっと待ってもらって下さいな。後はこの正体不明な生物の干物を潰して入れたら出来上がりですからね~」
よくよく見ると小ぶりの山椒魚に似ている気がする生き物は、よくよく見ちゃいけないんだってことを割と早くから悟ったわたしは(気味が悪くて放り投げそうになるから)、指2本でつまみ上げてすり鉢に放り込む。
はて擂り粉木はどこだったかと、伸ばした手はしかし、途中で捕まれた。
人に仕事を命じといて邪魔するとはいい度胸じゃ無いかと、魔女を睨み付けた…ところで固まる。
「こんにちは、またお目にかかれましたね」
エイリスじゃ、なかった。これはあの時の金色の人だ。
「いろいろ用意するのに手間取って、迎えにくるのが遅くなってすみません」
反対側を向けば銀色の人。
相変わらすそっくりな顔で人を両側から挟むと、彼等は裏があると確信できる爽やかな笑みで硬直するわたしをのぞき込んできた。
やっぱり、あれ?!あの一件が理由で来たわけだよね?!
「ご、ごめんなさいっ!言い逃げしてすみません、『美しい』人たちに逆らってごめんなさい!もうしないからどうぞお許しを!!」
情けないが、ここ半年でいろんなことがトラウマになってるもんだから、ひたすら謝った。
召還された美しくない者はどえらい勢いで蔑まれ軽んじられると身をもって知ってるのに、なんで軽はずみに言い逃げなんてかましたんだか。ああ、4日前の自分を殴りに行きたい!
90度超して120度くらいの勢いで体を折り曲げたわたしは、背中から届いた盛大な溜息にぴくりとを頬を引き攣らせる。
あの方角はエイリス!あの女、弟子を助けるどころか溜息って何?!『本当に困った娘なんですぅ』とか言って自己保身を計ろうとか思ってる?!
頭を下げたままひっくり返った視界から睨み上げると、羊な魔女は腕組んで顎に指を置いた格好付けスタイルで、あきれた視線をこっちに送ってきた。
「人の話はちゃんと聞きなさいって、耳にタコができるくらい注意してたってのに、このバカ弟子は理解しちゃいなかったのね」
失礼なっ!と言ってやろうにも頭がひっくり返ってるせいで上手く喋れない。なので仕方なく続きを聞く羽目になったんだけど。
「この方達は『迎えにくるのが遅くなった』って言ったでしょう?あんたの無礼に憤慨して怒鳴り込んできたわけじゃないわ。あたしから弟子を奪いに来たのよ」
なにそれ。奪う?
上手く理解できずにそろそろ顔を上げると、漆黒の目が2対、緩やかな三日月を描いてわたしを見ている。
……古くもない記憶を掘り起こしてよくよく考えてみれば、確かに銀色の人がそんなこと言ってた…な、うん。金色の人も柔らかな口調だったし。
でもそれがなんでエイリスからわたしを取り上げることになるのか全くわからない。とんと理解できない。
眉根を寄せて首を傾げると、金色の人が微笑みながら教えてくれた。
「召還された女性に対して、数多いる男達が自由に貰い受ける権利を有する。これは法で決められた貴女方の基本的処遇です。つまり、我々がミヤを望めば魔女は貴女を引き渡すほかない」
今さらっと人権無視な発言がありませんでしたか?
あんまりひどいことを当然のように宣言されて、更にわたしの眉間に皺が寄る。
「我々が貴女の所有権を申請したんですよ。ですが1年に1度の召還式から半年も経ってしまっている。しかも既に魔女が引き取り手のない娘として所有権を獲得していたものですから、なかなか許可が下りなくて、遅くなってしまいました」
いやいやいや、所有とかって家畜やペットじゃないんだからそういうのありなんですか?
疑問いっぱいの顔で見上げても当たり前なことのように言い切った人たちの表情は変わらない。むしろ混乱しているわたしの方がおかしいとでも思ってるんじゃないかって表情だ。
助けを求めるように振り返ると、エイリスが苦虫をかみつぶしたような顔でまた長い長い溜息をついた。
「まさか、ミヤを欲する連中が気軽に下町に現れるなんてねぇ。予想してなかっただけに抜かったわ」
「違うし。わたしが知りたいのはそこじゃなくて、基本的人権についてなんですけど?」
誤魔化そうとして微妙に核心から話しをそらした魔女を、強引に引っ張り戻す。
伊達に半年も一緒にいたわけじゃない。この人が都合の悪いことを煙に巻く手段はいつも一緒。主題のすり替えなんだから、簡単に騙されたりしない。
顎をしゃくるって偉そうな態度で早く話せと促すと、小さく舌打ちしたエイリスは嫌々隠していた事実を語り始めた。
「召還は不足している女を補うために行うもの。喚ばれた女性は国家の財産であり、子を成すための重要な駒。欲する男がいれば無条件で渡さなければならないし、数人で取り合う羽目になった場合、男の財力と権力がある方に下賜される。…わかるでしょ?下賜されるって表現からもあんたたちに選択権がないってことが。生きた商品って扱いなのよ、召喚された女は」
言い切られ、やっぱりかと思う反面、ふざけるなと怒りが湧く。
そして、気づいた。
いい加減な魔女だと思っていたが、実は彼女にわたしは護られていたんだと。
好きでもない男に無理やり連れ去られるより、一生独身でも自由に暮らせるほうがいいに決まっている。そうしてエイリスは自立するための手段として魔術まで教え込んでくれていたのだから、きちんとわたしの人権を認めてくれていたのだ。
少なくとも、この世界の誰よりも。
魔女は、黙って立っている。さっきと同じような苦渋にあふれた顔をして。悔しさを滲ませながら。
「まったく…人がせっかく育てた弟子を、この国の連中ときたら…」
呟きながら彼女の視線はわたしの背後に向けられていた。
金と銀、似すぎるほど似すぎた2人に。
「これほどキレイなものを、隠しおおせると思ったなんて愚かです」
「ええ。奴らより先に私たちが見つけられてよかった」
相変わらず、彼らの言うことはわからないことだらけだ。
なんでわたしを『キレイ』っていうのか、奴らって誰なのか。
「ご冗談を。どちらに見つかったとしてもこの子にとっては決して幸せなものじゃないでしょう?だから、魔女にしてしまおうと思っていたのに」
いつにない強い口調のエイリスに、自分の未来に立ち込める暗雲を垣間見た気がしたのだが、それは強制的にかき消された。
軽々と子供でも抱き上げるみたいに銀の人に捕まってしまったから。なにしろ男女の力の差の上に、身長差が30センチはあるんだから、抵抗する余地もない。
それから半年の間に増えた自分の物をまとめる時間ももらえず、わたしはようやく住み慣れてきたエイリスの家を後にした。
魔力車に乗る前に見た、魔女の歪んだ笑顔は多分一生、頭から離れないと思う。