36 人語を解さない人間と話すのは、とっても疲れる作業です
しばらく現状維持と決めて、少し経った頃だった。
遠慮がちなノックと共に、カイムさんが来客を告げる。
「メトロス様とサンフォル様、それにお嬢様がお2人お見えです」
あまりのタイミングの良さに、もしやと2人を見上げると予想通りの返答だ。
「優秀な彼のことです、足止めをしていてくれたのでしょう」
「貴女にあんな風に逃げられて、奴らが追ってこないはずがないですからね」
「…ですね」
やっぱり来ちゃったのかって思う反面、来なくてよかったのにと思う自分が溜息をつかせた。
折角、この先どうするのか決めたところなのだ。できるのならこの状態のまま、逃げていたかった。
安易に同居するとか宣言した自分が悪いのは百も承知だけど、ごめんなさいしてしばらく待って下さいってお願いするのは、かなり大変なんだろうなって想像に難くないから。
だって、自分が同じ立場なら腹立たしいし、悲しい。付き合って下さいって告白してオッケーの返事貰って、その日のうちにやっぱり後2、3年待ってとか言われたら、絶対キレるし泣くもん。
けれど、わたしは同じことを彼等にしなくてはいけないのだ。それが責任で、逃げたらダメな現実。
更に事の詳細を、一緒に来ているというお嬢様達にも聞かれて、また色々言われるのかと思うと心が重くなった。
自分のまいた種なのに、卑怯だと思いながら。
「大丈夫ですか?私達から説明しましょうか?」
再び溜息を零したわたしを、気遣ってくれるアゼルさんに首を振る。
「それじゃダメです。きちんと自分で説明します」
責任は、自分で取らなくちゃいけないものだ。
「ならばせめてオフィエール様とセフィーラ様には席を外していただきますか?」
「ううん、いて貰って下さい。もしメトロスさんとサンフォルさんがわたしを待てないって思ったら、他の結婚相手を捜さなくちゃいけないでしょう?それなら立候補している人達が同席した方がいい気がするので」
彼女達だって自分にチャンスが来たことを知りたいはずだからって真面目に考えたのに、なぜかちょっと不機嫌そうなベリスさんに顔を顰められてしまった。
「何度説明しても、ミヤには我々の本能が理解できないんですね。伴侶を決めたら他の女性など目に入らないと、いい加減わかって下さい」
「それは…そこそこ理解しましたけど、みんながみんな成就する恋愛をするわけじゃないでしょう?」
誰とも好きな人が被らないで両思いなんて、すごすぎる奇跡じゃないかと疑問を呈すると、ベリスさんはやっぱりわかっていないと首を振る。
「決定権は女性にあります。選ばれなければ男は諦めて他の相手を捜しますが、ミヤは彼等に色よい返事をしてしまった。度々、天使から夫を持つらなら2人をと公言もしてしまいましたからね。こうなってしまえば貴女が死ぬまで、彼等は他の女性を選びませんよ」
当たり前だとでも言う口調に、冷や汗が流れましたとも。
今更ですがわたし、とんでもないことを軽々しく口にしていたんじゃないですか?いともあっさり、他人の一生を縛ってしまった気がしますけど?
顔を引き攣らせて2人を交互に見た後、喉まで出かかった言葉を飲み込む。
とっても言える雰囲気じゃありませんでした。わたしが死ぬ以外で彼等を諦めさせる方法ありませんか?なんて。
だって2人とも大まじめな顔、してましたから!
「じゃ、じゃあ!なんでお嬢様達は全然諦めてなかったんですか?!結婚を決めちゃった男の人の心を変えることはできないんですよね?人間のわたしならともかく、彼女達はその辺、熟知してるんですよね?!」
「そんなの、貴女が人間ごときだからよ」
掴みかかる勢いでベリスさんに詰め寄っていたのに、返事は背後から女性の声でもたらされる。
まさかと勢いよく振り返ると、申し訳なさそうにしているカイムさんの後ろに、仁王立ちしているお嬢様方と疲労の色を滲ませたメトロスさんとサンフォルさんが見えた。
「押し負けたな、カイム」
「申し訳ございません、アゼルニクス様」
「気にする必要はない。あんなものを押さえきれという方が無理だ」
「はい。こうも凶暴…いえ、お強いお嬢様にお目にかかったのは初めての経験でしたので」
なにげに失礼な主従にヒステリーを起こし始めたお二方を、面倒そうに宥める2人の天使はなんとも憐れに見えた。
ちょっと前に別れた時は元気いっぱいだったのに、どうしたんですかメトロスさん。冴え渡る毒舌が形を潜め、億劫そうに宥める声しか聞こえませんよ。
あああ、サンフォルさん喋って!実力行使で美少女の口元を押さえるのも結構ですけど、鼻まで押さえちゃってるから彼女、酸欠で顔色が悪いですよ!!
どうしたんです、何が貴方方からそれほど生気を奪ったんですかぁ!!
ただオロオロするわたしと違って、左右の悪魔はすこぶる冷静だった。
「メトロス、婉曲表現が理解できるのは、ある程度の知能を有した者だけですよ」
アゼルさん、婉曲に馬鹿にするのはいけません!
「サンフォル、どうせならきっちり息の根を止めておけよ。後々面倒だ」
ベリスさーん!!怖いです、なに犯罪者みたいなこと言ってるんですか!
けれど疲労困憊の天使達も、面倒そうにそれに同意する。
「だろうね。なにしろこの女、僕の話すジジャ語すら理解できないみたいだから」
この女扱いはまずくないですか?!
「ああ。剣を使うと床が汚れるし、毒でも飲ませるか」
ひいぃぃぃ!殺人はやーめーてー!!
あんまりな会話に口を挟むこともできず、おそるおそるお嬢様方を窺うと、彼女達は白い頬を紅に染めて眦をつり上げている。
「このっ無礼者!!わたくし達を誰だと思っているの!」
水色の美女が叫ぶと、何故か重なるアゼルさんとメトロスさんの声。
「「コーランド伯爵家のお嬢様方でしょう」」
あ、伯爵様だったんだ、今の王様。初めて知る情報をわたしが噛みしめる間もなく、今度はサンフォルさんの腕から逃れた緑の美少女が声を上げる。
「それ以前に、現王が娘よ!お前達悪魔より、偉いのよ!!」
「「数日内に元になる。因みに次の王は悪魔だが、その理屈でいくと天使のお前は偉くなくなるな」」
ベリスさんとサンフォルさんも気味が悪いくらい息ぴったりだ。
「見事にハモるんですね」
思わず呟くと、一瞬顔を見合わせた2組の双子は、これまた息ぴったりに答えてくれた。
「「「「偶然です(だ)」」」」
うわぁ。説得力皆無。
疑わしすぎると訝しんでいるところに、期せずして無視する形となってしまったお嬢様方が再び乱入なさいました。
「どういうこと?!お父様はまだご健勝でいらっしゃるのよ。なぜ悪魔などに代替わりしなければならないの」
つんと顎を上げたその様子、お姉様の言葉に妹様も頷いているところを見ると、まったく退位の件をご存じなかったらしい。
当事者なのに、なんで?首を傾げるとメトロスさんが、いつのまにか正面のソファーにどかりと座ってめんどくさそうに口を開く。
「何度も話してるんだけどね、奥方様がお認めにならないもんだから、お嬢様方もこんな調子なわけ。ミヤが帰ってからだって繰り返し教えてやったのに、性能の悪い耳してるもんだから、都合の良いことしか聞かないんだよね」
「全くな。挙げ句に父親の権力を己の物だと勘違いしているから質が悪い。王の妻や子はあくまで通常通りの地位しか持たない。それを”様”づけで呼ばせているだけでも業腹だというのに、議会の決定を拒否するとはそれこそ何様のつもりなんだ」
同じくメトロスさんの隣に腰を下ろしたサンフォルさんも、言葉の端々に怒りを滲ませて盛大な溜息をついた。
その間もお嬢様方は2人の言葉にいちいち反応して騒いでいて、疲れないのかとこっちが心配になるくらいだ。
やっとわたしにも彼女達の立場が理解できた。つまり2人は総理大臣の娘、的な位置にいるらしい。
その時々で実力を持った人が王様になるって制度は、大統領や総理大臣みたいなものに近い気がする。王様ってわたしが翻訳して聞いているのは、王宮があったりする関係上じゃないんだろうか。
ともかくそうなると彼女達が権力を笠に着るのは、確かにお門違い。その上、悪魔の方が劣ってるなんて言うのは、人種差別発言に近しいものがある。
けれどそれが正しいと子供の頃から信じていた人達を、果たして正論で黙らせることができるのか。
怒れる美女、疲れ切った天使、どこ吹く風の悪魔を代わる代わる見て、思わず溜息をついちゃったわたしだった。
…本当に、面倒くさいわ、この状況。
長くなりそうなので、お話をぶっちぎりました。