33 モラルは突然帰還する
それからメトロスさんとサンフォルさんと過ごす時間はほのぼのと幸せで、お互い知らなかったことを話しながらお茶を飲んでいたのだけれど、そこに控えめなノックが響く。
「入れ」
誰も通すな、しばらく構うなと言い置いて客間に籠もったのに、有能な執事がそれ破ったことを不審に思ったのか、サンフォルさんの声には不快ではなく不審が浮かんでいる。隣のメトロスさんも同様で、一瞬で表情を引き締めた。
「失礼致します。城よりオフィエール様とセフィーラ様がお越しになり、どしてもご主人様方にお会いになると…」
「メトロス!」
「サンフォル!」
扉を薄く開き、静かに用件だけを伝えようとしたリワンさんの試みは、全く徒労に終わった。なにしろ彼を押しのけて、2人の女性が室内に押し入ってきてしまったのだ。
憐れ、有能執事さんは数歩蹈鞴を踏んで、なんとか無様に転ぶことは免れてたが、乱れた髪とちらりとお顔に見えた疲労は隠せませんでした。
きっと主の命を守ろうとなんとか踏ん張っていたのに、押し切られたんでしょう。お疲れ様です。
苦労性なんだろうなぁと、そんなリワンさんをわたしが心配している間に、ずかずか室内を横切った女性達は向かいのメトロスさんとサンフォルさんの隣にぎゅむっと体を押し込んで座ってしまう。
何事?
訳がわからず呆気にとられている先にいるのは、清流のような水色の髪を優雅に結い上げた空色の瞳の美人と、新緑の髪を腰まで垂らした焦げ茶の瞳の美少女だ。彼女達はそれぞれ、メトロスさんとサンフォルさんの腕に絡みついて、なんとも複雑な表情をしている2人を見上げている。
「酷いですわ。わざわざ人間などのために、わたくしとの婚約を反故にする必要はありませんでしょう?」
「大ありです。僕は妻は1人と決めていますから」
水色美人の抗議を一刀両断したメトロスさんは、普段よりいささかかしこまった口調ですが言動がストレートすぎでした。
「わたくしをお嫁さんにしてくれると、約束して下さったじゃありませんか。なぜ人間のためにそれを破るの?」
「約束はしてません。いつか、貴女に見合うお相手がいなければ考えると言っただけです。残念ながら、私の方が先に生涯の伴侶を見つけてしまいましたが」
新緑美少女が瞳を潤ませているのに、サンフォルさんの言いようはあまりに容赦がなさ過ぎでした。
故にお2人の怒りの矛先は当然、正面の人間に向くわけで。
「「『エサ』をわざわざ妻にする必要は、ないでしょう?」」
ちょっとです。ちょっとですが、ぐっさり刺さりました。自分でもさっき同じようなことを言って、彼等に天使の奥さんを持つことを薦めたような気がするんですけど、いざ現実を突きつけられると想像以上に堪えます。
…これが既に婚姻関係を結んでいる、アゼルさんとベリスさんに起こったとしたら………軽く家出くらいしちゃうかも。もしくは怒って嫉妬して、部屋から出てこなくなるとか。
どっちにしても、結婚していないメトロスさんとサンフォルさんに起こった出来事でよかったと、本気で考えてるわたしって、彼等に対してまだまだ気持ちが足りていない気がする。
美人と美少女に睨まれながら、暢気に反省をしていたわたしは、更に値踏みする視線に晒されもとより小柄な体(この星のひとにすれば)を縮こまらせる。
「ミヤは『エサ』じゃない。僕たちの妻になる人だ」
「彼女を侮辱するのは、たとえ王の娘であろうと許さない」
ところが薄情なわたしと違って、2人は優しくて有言実行だった。
彼女達をソファーに残して立ちあがるとテーブルを回ってこちらに来て、代わる代わるわたしを宥めてくれる。
「あんな風に言わせる前に止められずに、すまなかった」
「ごめんね。不愉快だったでしょ」
優しい言葉と髪を撫でてくれる仕草とに、嬉しいけれど少し戸惑う。
だって、しみじみ実感した後だったから。2人のことは好きだけれど、それはまだ恋にも届かない微かな気持ちだって。
罪悪感が心を占めるのは仕方ないと思うんだ。
それを見透かしたように、彼女達は辛辣だった。
「既に人間は悪魔を夫としているのでしょう?今後変異種を生み出すだけなら、何もメトロスが犠牲になることはないわ」
「文献で読んだ人間は伴侶を1人と決められず、言い寄られるがままに何人も夫を持っていたのよ。彼女の夫はまだ増えるのに、サンフォルだけが妻を1人とするのはおかしいんじゃないかしら」
番を見つけたら他の異性には興味を持たないと言った天使と違って、わたしはこの先も都合よく流されて結婚相手を増やしていくんだろう。それは否定できない。
どちらの一族も立てなきゃいけないと言い訳したって彼ら種族から見たら、人間のように気持ちが移ろう、もしくは多情な存在は理解できないはずだ。
それは今でも根付いた地球の倫理観にふと悩まされるわたしが、1番知っている。
始めの頃、よく叫んでた。一妻多夫なんて信じられないって。
ならば、天使や悪魔にはそんな習慣はないと知った時に、パワーバランスなんか考えないでアゼルさんとベリスさんだけの奥さんでいればよかった。
これだって変則的な結婚ではあるけれど2人は納得しているし、ずきずきと胸が痛む言葉にさらされることもなかったはずなんだから。
下手に善人ぶってこの星の女の人を助けようと意気込むなんて、なんの力もない人間がたった1人で星ひとつの未来を変えるつもりでいたなんて、ひどい思い上がり。
羞恥と愚かさに唇を噛む。救世主気取りだった自分を殴りつけたくて仕方ない。
「…あの、わたし隣に帰ります」
いても立ってもいられなくなって、立ちあがる。
「ミヤ?」
「なにをいっているんだ」
困惑した様子のメトロスさんとサンフォルさんが引き留めようと手を握ってくるけれど、その強くない拘束からわたしはするりと抜け出した。
「貴女には他の天使をご紹介するわ」
「オフィエール様!!」
水色の美女が優しくけれどどこか優越感に満ちた笑みで約束してくれたのを、怒ったメトロスさんの声がかき消す。
「必要ありません」
首を振って断る自分の乾いた声音に、本人が1番びっくりした。
感情がこもっていないなって。なにしろ己を軽蔑することに忙しくて、他人の心の内を読んでいる余裕がない今のわたしにはないのだ。
「リワン、送って差し上げて」
「余計なことを言うな!!」
サンフォルさんが美少女がすくみ上がるほどの大声を出したけれど、それを諫めることすらできなかった。
ただ急いでソファーを離れ、遠慮がちに近づいてきたリワンさんを促しながらドアへと向かう。
「ミヤ、待って!」
「帰らないでくれ!」
「すみません。ちょっと、考えたいことがあるんです」
追いすがる声に振り返ることもできず、逃げるようにわたしは外へ出た。
ここへ来るまで、浮かれて歩いていたことなんてもう空の彼方だ。
人間の性について客観的に言及されると、こうも自尊心が傷つくのだとは予想外だった。これまでも似たようなことは言われていた気がするけれど、面と向かって切り捨てられると僅かに残った矜持に縋りたくなる。
誰もがふらふら浮気するわけじゃない。きちんと真面目に恋人と付き合い、結婚し、生涯お互いだけを大切にして生きていく夫婦だって沢山いるのだ。わたしはそうできるのだと。
自分は特別なのだと思い上がりさえしなければ、アゼルさんとべリスさんの妻でいるだけで十分幸せな一生を終えられる確信がある。
ならば、夫を増やそうなんて今後は考えない。他の人のことなんて、ましてや生まれ故郷でもない星の未来なんて気にせず、わたしはわたしの人生を望んだように歩くだけだ。
小走りで既に自宅と言える館に帰り着いたわたしは、登城するため馬車に乗り込もうとしていたベリスさんを見つけて腕の中に飛び込む。
「ミヤ?」
不意打ちにもかかわらずしっかり体当たりを受け止めてくれた彼は、馬車から降りてきたアゼルさんと一瞬視線を交わすと、後ろに控えていたカイムさんに城に使いを出すよう命じて、しがみついたままのわたしを抱いて屋敷の中に逆戻りした。
「お茶を飲めば、落ち着きますよ」
下唇を噛んだまま口をきかないわたしの背を優しく叩き、ベリスさんが囁く。
「美味しいお菓子があるんです。ミヤ、甘いものが好きでしょう?」
優しく髪を撫でながら、アゼルさんも微笑んでいた。
そう。大事なのはこの人達だけでいい。いつだって無条件で受け入れてくれる、2人だけでいい。
それが普通だ。
我慢していたはずなのに、ぽろりと零れた涙がスイッチだったようで、わたしはベリスさんの胸の中で子供みたいに泣き出した。
ちょっと立ち止まると、自分の現状が見えて不安になる不思議。