22 いともあっさりと、決断の時は訪れます
「全く、女性の了解もなく結婚を強要するとはどういう了見なんだ」
ぞんざいな口調は、ベリスさんの外向きモードの時に使われるものだ。余談だが、アゼルさんは使用人相手にこの口調になる。
どちらにしても、こういう話し方をする時のベリスさんは、概して他人に厳しい。いい例がメトロスさんとサンフォルさんで、彼等とだけ、くだらない言い争いをしている時は大抵この口調になる。例外はわたしが膝の上や隣にいる時に起こるんだけど、今日は無理そうね。だって、カイムさんに預けちゃったから。
そんなわけで臨戦態勢のベリスさんは、どっから出したのかいつの間にか手に黒い鞘に収まった、一本の長剣を持っていた。
あの、それはもしや?
「わかっていると思うが、女性の意思を無視した男は処分対象だ。しかもミヤは、国王と同等の扱いを受ける権利を持つ人間。この場で切り捨てられても文句はないであろうな?」
もう言うのもイヤなんですが、初耳です。なんですか、わたしに与えられたその権利。人権は無視なのに、保護だけは国王級とか、ちょっとした軟禁状態じゃありません?
怒りとか悲しみとか疲れとか、ない交ぜの感情で泣きそうになってるとふわりと抱きしめられる。
こんな真似、カイムさんがする筈ないと硬直していると、押し当てられた胸から覚えのある香りがしてきた。甘い、バラの香り。きつすぎない芳香はベリスさんが纏うのと同じ。
「アゼルさん…」
「はい」
いつの間にカイムさんと入れ替わったのか、見上げれば微笑みを湛えた銀色の悪魔が、わたしを腕の中にすっぽり囲い込んでいた。
「少し、遅れました。ベリスと違って私の仕事場は宮殿の奥なので、知らせを受けて飛び出すまでに若干のタイムラグが生じてしまったんです。でもカイムの機転のおかげで助かりましたよ」
そう言って傍らの執事を見やる瞳は、いつもより断然優しい。褒められたカイムさんは恐れ入りますとか気取っているけれど、それでも少しだけ嬉しそうに見えた。
なぜだかこの屋敷に勤める人達は、異常に主を慕っているところがあるので、お礼とか言われちゃうと天にも上る気持ちなのかも知れない。よくわかんないけど。
なんて、取り戻した日常の延長線に立っていたわたしは忘れていた。
数歩前ではベリスさんとジャイロさんが睨み合っていたことを。いつの間にやら、鞘から抜かれた剣が不気味に光っていたことを。
「命が惜しいなら、さっさと出て行くんだな。ミヤがお前を受け入れるまでは、我々は貴様を夫とは認めない」
のど元に突きつけられた切っ先を目を細めて見たジャイロさんは、鼻に皺を寄せると一瞬で態度を変えた。
「はいはい、そうさせていただきますよ。女っていうのはじっくり落としていかないと、なかなか素直にならないもんだしね。ミヤは特に難しそうだ」
「そうよー。弟子だった頃も、あの子の強情なところと、変に達観したところには手を焼いたんだから」
なんて、親子は危機的状況をものともせず笑い混じりに言い合うと、またねっとわたしに手を振って消えていった。
嵐のような勢いで、頭痛のするようなしつこさとは正反対のあっさり感が、なんだか腹立たしくってしょうがない。まあ、ずっといられるよりは全然いいんだけど。
やれやれと大きな溜息をついて体の力を抜くと、抱きしめていてくれたアゼルさんがひょいっとわたしを抱き上げて、何故かベッドに降ろしてくれる。
「………?」
どうして長いすじゃなくてベッドなんだって、視線で問うても笑うばかり。それどころかいつの間に回り込んだのか、反対側のスプリングが沈み込んだと思ったら、ベリスさんなんて人のベッドに上がり込んでいた。
この辺で気づけないほど、わたしは鈍感でもバカでもない。はい、なにやら妖しい空気も漂ってきたことですし、おきまりの台詞を言わなければなりませんよね。
貞操の危機ですっ!ジャイロさんの時の数倍増しで、身が危なくてしょうがありません!
「なんで、いきなり、ですか?」
キスしようと覆い被さってきたアゼルさんの胸を、腕をつっぱて阻止していると「いきなりではありません」と首をゆるゆると振られる。
「ずっと、貴女がこの屋敷に暮らし始めた日から、こうしたかったのですよ」
必死に抵抗していた手首はベリスさんに捕らわれ、あっさり唇はアゼルさんに奪われた。それも口中舐め回される、すっごい深いキスで。
呼吸が苦しくなった頃、アゼルさんは離れていき、今度はベリスさんに呼気まで貪られるようなキスを受ける。
「メトロスやサンフォルは天使族として、人間に対する不可侵をある程度理解しています。だからここにミヤがいる限り、私達はそれほど焦らずにいられた」
ぼんやり霞む頭の隅でアゼルさんの告白を聞いていると、ベリスさんもゆっくりキスの戒めを解いてくれた。
「だが、魔術師であり獣人であるあの男は違う。悪魔と天使が暗黙のうちに守っている掟が、奴には通じない。ミヤを浚うと言っているのを聞いた時、私がどのような気持ちであったか、想像できますか?」
切なげに眉根を寄せるベリスさんに、胸が痛んだ。
そうして、思い出す。
強引で、邪悪な微笑みを浮かべたジャイロさん。例え本気でなかったとしても、彼に言われたいろいろは私の感情をほとんど動かさなかった。
彼の子供を産むなんて考えることもできないし、ましてや夫の1人にするなんて無理もいいところだ。
だけど。
短い時間だったけれど、わたしを心の底から慈しんでくれたアゼルさんとベリスさんに、心は動く。
この世界に喚ばれた理由を考えれば、いつか誰かと結婚して子供を産まなければいけないんだろう。
その決断を今しろと言われたら、わたしは間違いなく彼等を選ぶ。たった1つを約束してくれるなら、今すぐそれを決めてもいい。
だから、これまでになく真剣に聞いた。嘘をつかれたら絶対見抜けるように気合いを入れて、エイリスに教わった言霊を一語一語に込めて問う。
「わたしを、愛してくれますか?一生、愛していてくれますか?」
魔術を扱える彼等なら、この言葉に込められた魔力に気づいたはずだ。そこに込められた永遠の拘束にも。
なのに彼等は、即答する。迷いなど欠片も見せずに。
「愛します。一生ミヤだけを」
「ミヤ1人です。私の全てはミヤのものです」
魂を縛る誓いに、こうもあっさり答えていいのかとこっちの方が焦ってしまったが、決意の固さがわかればわたしだって逃げたりはできない。
なにしろ此方から仕掛けたことなのだから。
「わたしも愛します。アゼルニクスさんとベリスバドンさんを一生愛します」
こうして、意外にあっさりとわたしは本当の『結婚』をしてしまいました。
2,3日して、ムーンライトさんでお会いできるとよろしいですねぇ…。