21 会話を成立させようとする努力は大切です
騒ぎを聞きつけて現れたカイムさんは、一瞬動揺したようだったけれどすぐに持ち直すと、2人分のお茶を用意して部屋を出て行った。
その後ろ姿をどんなに引き留めたかったことか。目の前の猫が睨んでて、できませんでしたけどねぇ。
「あれ、これ母さんの作るお茶じゃないか」
「…そうです。このお屋敷の紅茶はあまり好きになれなくて、エイリスに転送して貰っているんです」
「それなら今度から僕が持ってきてあげるよ」
「全力でお断りします」
ジャイロさんの善意と書いて、悪意と読む。
短い時間ですが、わたし、学びました。生きていくために必要なスキルです、これ。まさか日本でも転用可能なスキルが、異世界で必須スキルだとは知りませんでした。魔法より、重要です。
それが証拠に、ジャイロさんは目の前でニタニタとしか表現しようのない笑みを浮かべている。そんで、背後では尻尾がゆらゆら。
「そこまで嫌がられるなら是非、持ってこないとね。ああ、なんだろうこれ、胸が疼くって言うか爪が疼くって言うか、ミヤのことを考えるとわくわくするんだよねぇ」
「猫の本能です。ネズミを前にした猫と同じ反応ですから、それ」
「いいや、違うね。これは恋だ」
「恋じゃありません。絶対に違います」
チェシャー猫だし、チーズでもいいかなと思うけど、どっちにしろ恋愛感情でないことだけは確かなんで、きっちり笑顔で教えてあげる。
なのに、ちっとも人の話を聞かないジャイロさんは、しきりにうんうん頷きながら、自己完結を始めてしまった。
「ああ、これが。ふーん。今まで他人…というか、女の子に興味を持ったことがなかったから気づかなかったよ」
「いえいえいえいえ、他人にも女の子にもそう言った方面の興味を持ってはダメです。いじめたり追い詰めたりするのは、愛情表現とは違います。嫌がらせです、嫌がらせ」
「いや、恋だね。これだけ他人に興味を持って、それが愛情でないわけがない」
………なんて偏った人…いえ猫だからこれで正しいんですか?
だけど、なんとかわかって貰いたいと頭を絞った結果、そこそこいい例えが浮かんだので聞いてみる。
「マタタビ、好きですか?」
「?そりゃあ、獣人のなかでも猫や虎は、あれに狂うよね」
「じゃあ好きなわけですね?」
「まあ、好き嫌いで聞かれれば、好きだね」
「それです。その好きが、ジャイロさんが勘違いしている愛情です。ほら、色恋じゃないでしょう?」
「ああそっか。じゃあ僕はマタタビのことも愛していたわけだ」
「………」
頭痛がします。これが俗に言う、暖簾に腕押しですか。馬耳東風ですか。何でこんな人の相手を、わたししているんでしょうねぇ…。
口をきくのも面倒になり、お茶をすすると溜息をついた。こうなったらジャイロさんが飽きて帰るか、悪魔さん達のご帰宅を待つ意外にない。あ、もう一つあった。エイリスを喚んじゃうとか、どうだろう。
「まあ、冗談はともかく」
「冗談だったんですか!!」
いきなり真顔になったジャイロさんは、これまでのふざけた態度を一変してずいっと身を乗り出す。
人の気など、お構いなしで。なんか、泣けてきた…。
「母さんが君に会いに行けってうるさいから来た、ていうのが本当のところなんだよね」
やっぱりそうだったかと、やっと気を抜いたところで、
「でも本人に会ってみたら、聞いていた以上にキレイな魂をしているもんだから、興味持っちゃってね。つつくといちいち大げさな反応が返ってくるのも面白いし、君に僕の子供産んでもらうことは、決めた」
「相手に了解も取らずに決めちゃダメです!」
だめだ、この人本気でダメだ。
すっかり諦めきったわたしは、さっさと呪文詠唱を始めた。これはもう、責任者にひきとってもらうしかないもん。責任者と言えば制作者、といえば。
「もうっ!いきなり喚ぶなって言ってるでしょう」
お母さんですよ。例え何か危ないクスリを作っていたみたいで両手に煙の出る器を持っていても、機嫌が悪そうでも、疲れ切ったわたしにはこれ以上の存在が思いつけない。
というわけで、とってもイヤそうにジャイロさんを指さすと(人を指さしてはいけません)、覇気なく言った。
「お持ち帰り下さい。わたしには必要ないんで」
「?あら、ジャイロじゃないの、久しぶりね」
「そうだね、ざっと4年ぶりくらい?」
だからね、もう突っ込む気にもなれないんだけど、一応。
「全く会ってなかったのに、どうやってわたしのこと伝えたのよ」
たいして感動もない親子の対面を無視して問うと、エイリスは決まってるじゃないとふんぞり返った。
「水鏡を使ったのよ。知ってるでしょ?」
「知らないし-。いる間に教えてくれなかったじゃん」
「そうだった?」
あーそうね、その都合の悪いことをすっきり素通りするところは、息子とそっくり。
で、話題のジャイロさんは暢気にお茶をすすって、自分には関係ないとばかりの態度なんだから、腹立つ通り越して呆れてくる。
やっぱり、いろいろ無理がありすぎだわ。
「もういいや、通信手段とかはさ。ともかくいきなり子供産んでもらうって決めたとか言われても困るんで、母親の責任と師匠の温情で、これ持って帰って」
とってもイヤそうに言ったんだよ、わたし。なのにさ、なのに、嬉しそうにエイリスは息子に駆け寄ると、テンション高くまくし上げる。
「え?そうなの、ジャイロ?ミヤに決めたの?」
「うん。決めた」
「まあああ!よかった~これで後継者問題に悩まなくてすむのねぇ。あなたったら趣味が悪いし、マニアックな女性にばっかり興味を示すから、跡継ぎは持てないのかと思ってたのよ」
「ちょっと」
「その最悪の好みのど真ん中に、ミヤがいたからね。母さん、いい拾い物したね」
「待ちなさい」
「でしょう?!人間を呼べた魔女って歴史に名前が残る上に、その娘が孫の母親なんて、自慢だわ~」
「勝手に決めるな!」
「ははは、じゃあ早く子供産ませるためにもこのまま浚おうか」
「ふざけるなーっ!!!」
どうして当人無視するんだ!
叫んでも叫んでもちっとも届かない虚しさに、へこんでる場合じゃない。このままじゃ貞操が危ない、人生が危険!!
逃げようとする首根っこをジャイロさんに掴まれて、本気で涙目だったわたしは絶体絶命だった。
「そうですよ。ふざけてもらっては困ります」
窓から飛び込んできてくれたベリスさんが、危険人物の腕から引きはがしてくれたから、助かったけど。
「ベリスさ~ん、怖かったよぅ」
「すみません、遅くなって」
抱き上げたわたしをぎゅっと抱きしめてくれたベリスさんは、優しくおでこにキスしてくれた後、少し良い子にしていて下さいね、と背後に控えていたカイムさんにわたしを引き渡す。
もしかして、ベリスさんを呼んでくれたのは?
「差し出がましいかとは思いましたが、ミヤ様がお困りのようでしたので」
にっこり笑った彼が、悪魔じゃなくて天使に見えた。
ま、見かけは綺麗だし、美少女でも通りそうな容姿だから、この際天使でもいいじゃないの。
本気で悪魔に見えるベリスさんの邪悪な顔と、猫のくせに性悪全開、悪魔にだって勝てそうなジャイロさんを眺めているより、カイムさんを見ている方が心の平安にはよっぽどいいもん。