20 猫は邪悪ではなかったはずです
悪魔と天使の双子コンビは、お仕置きの最中です。もう2日、お食事させてあげてません。もちろん、膝だっこでご飯もしませんし、貢がれたケーキにも目もくれません。………あとでこっそりカイムさんに持ってきて貰って食べますが。
そこは、それ。ともかく絶食2日目の彼等は、今日も怒っている私を横目に見ながら、渋々出勤していきました。
余談ですが。
その間に放出された私の怒りは、お屋敷に仕える悪魔さん達が食べています。彼等も『エサ』としている方々に負担をかけなくてすむと大変喜んでくれて、無尽蔵に湧いて出る怒りをちょっとずつ囓っていました。
皆さんが言うには人間の感情はとても質がよく、少量でも満腹になるんだそうです。私のお腹は当然減りますが、その辺は毎度のことなので料理をいつも通りに食べている分には問題ありません。
でも、そろそろ許してあげないと、4人とも飢えて暴走しそうだなぁ。今晩辺りからはまた、お食事させてあげようっと。
などと、鼻歌交じりにご機嫌で自室に戻ったわたしは、室内から漏れ聞こえる微かな歌声にドアノブにかけた手をピタリ止める。
『~~お肉は焼いて食べるけど、心は壊して食べましょう♪だけど壊れた女の子は、元には戻らないから、結局お肉になるんだよ~~』
………、意味不明な上に残酷にスプラッターなお歌じゃあありませんか。
誰?作詞作曲したのは。これが今流行だとか言われたら、わたしはこの星の住人の精神構造を本気で疑うけど?
一体どの使用人が歌っているんだと、そうっとドアノブを回して隙間から室内を覗くと、もぬけの殻。どこか死角に隠れているのかと、苦い体勢から角度を変えても誰も見つからない。
幻聴?!幻聴なの!!
怯えたところで背後から、ふっと耳に息を吹きかけられた。
「ひ、ひぃぃぃぃぃ?!」
「うわぁ、萎えるね。なんて色気のない悲鳴なんだか」
跳ね退いて振り返った先に、ニッターと猫目を細めた男の人が立っている。
その姿、にじみ出る邪悪感、触ると汚れそうなやばそうな人物、考えるまでもないエイリスの猫息子!
「色気はいりませんっ!なんで堂々と不法侵入しているんですか」
「こっそり侵入したら泥棒じゃないか」
「堂々と入ったって場合によっては泥棒扱いです!!」
「大丈夫。何も盗まないから」
飄々としたその態度に、脱力です。思わず壁に懐いてしまいました。
なんでこう、最近周囲に濃い人達が集まるんだろうと、嘆いてみても状況が好転するわけじゃない。
そう、思い起こせば半年前。学校帰りに喚び出されたことを皮切りに…
「はいはーい。いらない回想に耽らなくていいから、ちょっとは僕がここにいる理由とか聞かない?」
人を乱暴に壁から引っぺがし、心の中を読んだかのような発言をする猫男に顔を顰めて、聞きませんとそっぽを向く。
これまの経験で、詳しい説明を受ける=更に悲惨な目に遭う、という図式ができあがっている以上、耳は塞いでおくに限る。特にこの人は、これまでに出会った誰より、やばそうな空気を纏ってるんだもん。
身長は平均的に2メートル弱、顔は吊り目だけど比較的整っていて、金色に光る猫目は種族がわかる程度のファクター、柔らかそうな虎模様の髪はちょっと長めだけど短髪で、背中でゆらゆら揺れる尻尾がなければ、見かけはそう人間と変わるところがない。
だ・け・ど。わたしは彼を一目見た時から、小さい頃お姉ちゃんが教えてくれた小説の登場人物を思い出して仕方がないのだ。いや、あれは人じゃなかった。立派な猫だった。
「チェシャー猫の言うことを真に受けて、真剣に考えたらいけないんです。だって奴は答えを教えずに消えるのが常なんですから」
不思議の国のア○ス。そう誰もが知ってるあのお話だ。自分で実際読んだわけじゃないから、詳しくは覚えていないけれど、猫を見ると必ず奴を思い出すのは、子供心になんて性格が悪い奴なんだと思っていたからだ。
そして、空想は現実になる。
一瞬、チェシャー猫って固有名詞がわからなかったのか何かを考え込んでいた彼が、いたずらを見つかった悪ガキのように、楽しげに唇をつり上げたのだ。
「ふふふ。それがどんな猫なのかは知らないけれど、僕に似ているのは確かだねぇ。他人を混乱させるのは実に楽しいんだよ?」
「やっぱり猫だぁぁぁぁぁっ!!」
猫好きの人に聞かれたら首を絞められそうな悲鳴を上げて、わたしは部屋に飛び込むと鍵をかけた。
冗談じゃない。悪魔と天使、それに魔女だけで充分手に余っているっていうのに、これ以上猫まで抱え込む余裕はわたしにはありません。全くございません。遠慮いたします。
扉に背を預けて、神様仏様どうかお助け下さいと古風に祈ったのに、この世に神仏はいないらしい。
「あのさあ、悪魔の屋敷に勝手に忍び込める僕が、こんなドア一枚に立ち往生すると思った?」
「思いませんっ!だけど、勝手に女性の部屋に入らないデリカシーくらいはあると思いました!」
背後に立っていた猫男に、この返しは絶妙のタイミングだったと、我ながら自画自賛しよう。
なにしろそれまで大変よく回っていた彼の口が、一瞬ぽかんと開いた後、気まずそうに閉じられたので。
よしよし。常識はあったらしい。ありがとう、エイリス!1個くらいはいいところつけて息子を育ててくれて!
「わかった。僕の負けです。勝手に入ってごめん」
ぺこりと素直に頭を下げる猫は、ちょっぴり可愛いのです。大きくなければもっと可愛いんだけど、この辺はどうにもしがたいところなので、諦めようと思います。
「いいんです。わかってくれれば」
「なーんて、言うわけないだろう」
「ぎゃっ!」
気を抜いてうかうか近づいたわたしは、いともあっさり猫のアイアンクローに捕まってしまいました。頭に爪が刺さって、めちゃめちゃ痛いです。ていうか、猫なのにひっかかずに捕まえるとか反則でしょう?!
恨みがましく睨み上げると、ふんっと鼻を鳴らした奴は思いっきりわたしを見下しながら言った。
「母さんの弟子は、僕の弟子。師匠に意見しようなんて、100年早いんだよ」
「どこの決まり事ですか!」
「僕のルール。ほら、弟子なら言われる前に自己紹介くらいしろ」
「ミヤです!!人間です!でも、弟子じゃないから~~~」
「そうか。僕はジャイロ。ミヤの師匠で、君をお嫁に貰ってあげてもいいと思っている、魔術師だよ」
「貰って貰わなくていいですぅ~」
なんですか、この超がつくオレ様は!どうしてこの世界にまともな人間…いえ、哺乳類?はいないんでしょう…。




