19 夜、ベリスバドンさんに啜られる
そして夕食後。
今日はさすがに疲れたと、ぼんりやり長いすに体を投げ出して思う。
朝から、アゼルさん、メトロスさん、サンフォルさんと、順番にセクハラ食事を繰り返されたんでは、いくら何でも体が持ちません。精神が強かろうが魂が強靱だろうが、肉体疲労の蓄積にそれが一体どれほどの力になりますか?答え、なりません。できることは早々に眠って回復に努めることだけです。
なので、お風呂に入ろうかなぁとバスルームに向かっている時でした。
「ただいま、ミヤ」
ノックもなしに人の部屋に不法侵入された悪魔様は、それはもうその名に恥じない恐ろしく黒い笑顔を浮かべてわたしの前に立っています。
「お、かえりなさいベリスさん。早かった、ですね?」
「いつもより遅いですが?」
はじかれたように時計を見れば、針は8時を指している。確かに。いつも6時には帰宅している2人にとって、これは充分遅い時間だ。
いけない…これじゃあ適当に言ったことが…
「心ここにあらず、ですね。それとも今日は忙しすぎて、私のことなど忘れていましたか?」
ばれてるーっ!しかも何でか知らないけれど、昼間のあれやこれやも全部ばれてるようです!なんでっ!?
動揺して周囲を見回せば、戸口に控えていたカイムさんがすっとあからさまにフェードアウトする。
あなたですか!なんてことしてくれたんです…。
「アゼルニクスはともかく、天使達にまで会っていたとは」
「あ、あ、あれは、全部がその、不可抗力で、す、よ…?」
慌てて言い訳を始めたわたしの頬を、ベリスさんの指先がなぞる。その冷たさに思わず首を竦めると、底冷えのする笑みを浮かべた彼は不意に顔を歪めた。
「忌々しい掟さえなければ、貴女を屋敷の奥深く閉じ込めておけるもの」
「か、監禁はいけません!監禁は犯罪ですよ!!」
「我々にとっては当然のことですよ。愛する伴侶を決して人前に出さない悪魔や天使は大勢います。もちろん女性の方でも望んでそうしているので、これまで問題になったことはありません」
「ず、随分過激な一族様で…」
顔を引き攣らせながら、なんて人達のところにお嫁に来る約束しちゃったかなぁと少し後悔していたのだけれど、そこではたと気づいた。
掟って、なに?
だいぶ世界や種族の仕組みについては説明して貰ったと思っていたけれど、ここに来てまたわからない事柄にぶつかりました。
首を傾げつつ、その辺を聞いてみると、ベリスさんはあからさまに顔を顰めた後、詳しく説明してくれた。
「人間が我々にもたらす恩恵は、計り知れないものがあります。それは貴女の前の女性が比較的早く証明してくれたのですが、当然の如く1人しかいない彼女を巡って諍いが起きました。何しろ人間は特異性が高い上に、生まれた子供が女の子だったこともあり、突然変異種を生み出せることがわかった。初めに彼女を娶ったのが天使だったので、彼等は人間に対してだけ一族の掟を書き換えたのです。夫を複数持つことを許す、と。…悪魔が反発しないと思いますか?」
問われて、首を振った。
とっても似ている2つの種族が、片方だけ恩恵にあずかることを許すはずがない。
にやりと唇を歪めたベリスさんは、続ける。
「『エサ』に困窮していたのは、天使だけではない。悪魔にも同等の権利があるべきだと主張され、時の天使王は折れました。人間に所有権を主張することはまかり成らぬと。以来、彼女に求愛する権利は誰にでもあり、彼女も誰の求愛を受けても構わない、我々の世界では異質な掟ができた。ミヤ、貴女が現れるまでは、私がその決まり事に従わねばならないとは、夢にも思っていませんでしたがね」
「…それはまた、ありがた迷惑な掟ですねぇ…」
地球出身の日本人としては、どちらかと言えば一夫一妻制の方がありがたい。例えそれがちょっと過激な愛情だとしても。
でも、それを口にすることはできなかった。だって悪魔にとっても天使にとっても、壊れない人間の存在はとても大切だって、知ってしまったから。ひいては他の種族にとっても、崩れた自然界のバランスにおいても、わたしやわたしが産む子供は希望となる。サンフォルさんもそう言っていた。
だから曖昧に笑うことしかできなかったんだけど、ベリスさんは違った。心底悔しそうに言うのだ。
「本当に。アゼル以外と貴女を共有しなければならないなんて、苦痛です。けれど、仕方がないことなのだとはわかっている。ですから1つだけ、私の願いを聞いていただけませんか?」
なんだか切羽詰まったその様子に、こくりと頷くと彼は頬を緩めた。
「どれだけ夫を持っても、貴女の家はここだと決めて欲しいのです。どんな男の元に行ったとしても、最後は必ずここに戻ってくると」
それって、通い婚の逆バーションってことでしょうか?自宅には本妻さんがいるけれど、男の人は好きな恋人の元に通うことができるっていう、あの。
確か女性は自分の好きなスタイルで結婚できるって、言ってましたもんねぇ。自分の家から夫の家に通うのも、夫を呼びつけるのも、夫と同居するのも自由。その中で通い婚をして欲しいって、お願いですね。
理解して、すぐさま了承した。
本当なら夫婦として生涯1人と添い遂げる一族のベリスさん達に、無理をさせることになるのだ。このくらいどうってことはない。何しろ彼等は、わたしの初めての旦那さんでもあるんだし。
…あれ?これって、一妻多夫を受け容れる気に無意識になっちゃったってこと?
混乱する脳内はともかく、約束したことに破顔したベリスさんは、ぎゅっとわたしを抱きしめると耳元で甘く囁く。
「愛しています、ミヤ。貴女をとても」
「…っ、は、い」
全力疾走を始めた心臓に邪魔されながら、絞り出した声は掠れていた。
いつか、遠くない未来に、わたしも愛していますと返せたらいい。毎日毎日、2人に対する好きを積み重ねて、彼等に負けないくらい気持ちを込めて、そう言えたら。
ついにやけてしまう顔を隠すため、ベリスさんの胸にしがみついてそんなことを考えていると。
「…可愛い…やはり、閉じ込めてしまいたい。このまま地下に連れて行ってしまおうか…」
小さな小さな呟きだったけど、聞き逃すはずありません。人間、自分に関することは結構地獄耳になるものなんですよ。それが怖い内容なら特にねっ!
ざわりと沸き上がる恐怖に冷や汗が滲んだ時、本日4回目の倦怠感に指先の力が抜ける。
「~~~~~っ!せっかく、せっかく、感動のシーンだったのに、どうして食べるんですかぁっ」
もう、涙目です。何が楽しくて一日中お食事されなきゃならないんですか。この後どんだけお腹が空くか、わかってるんですか?!
緩んだ腕の中から、精一杯の恨みを込めて睨み上げると、悪びれない悪魔は笑うのだ。
「すいません、幸せの中にいる女性を見ると、どうしても怯えさせてみたい、絶望させてみたいという欲求が抑えられなくなってしまって」
そこは根性で押さえましょうよ。
貴重な『エサ』の健康のためにも、是非お願いします。
結局、過度の疲労に襲われたわたしは、耐えきれずそこで意識を手放す羽目にあいなったのでした。
以上、一対一パートでした。