16 朝、アゼルニクスさんに食べられ
家主が仕事に出かけると(2人とも王宮勤めなんだって)暇になるわたしは、魔術関係の書籍が山とおさめられている図書室にいることが多い。
エイリスからちゃんと念押しされているんで、魔術で天使や悪魔に勝てるとは思っていないけれど、いざという時、自分の身くらい自分で守れるようにしておきたいんだ。
なにしろ魂はどうあれ『人間』は他種族より圧倒的に弱い。生身では絶対負ける。なんでせめて魔法っていうアドバンテージくらいは死守しないとなぁってとこから来ている行動だ。
というわけで、午前中は何かと忙しいカイムさん達を煩わせないよう、北側の奥にある図書室に早々に籠もったのだが。
「なんでこう、上へ上へ本を置きますかねぇ」
でき得る限り背伸びをしてみるが、お目当ての本には指を触れることさえ叶わない。なにしろ棚の高さの基準となる身長が2メーター近いわけだから、当然と言えば当然なんだろうけれど、できれば踏み台の1つくらい用意しておいて欲しかった。せっかく学校の図書館並みの広さと蔵書を誇っているってのに、欲しい物に手が届かないから読めないなんて、悔しすぎる。
あの魔術書、エイリスのところに無かったのだから、読みたかったのにぃ~。
無駄に足掻きながら、手近な使用人さんに取って貰おうか、それとも過激に風の魔法で落としちゃおうか、いやいやそれじゃあ本が傷むじゃないっと、無限ループで溺れそうになっていると、
「どれを取るんですか?」
不意に首の後ろ辺りでアゼルさんの声がして、勢いよく振り返ると間近に彫刻めいた美貌がある。
「う、わぁ!」
「危ないっ」
驚いて身を引けば、背伸びしていたせいであっけなくバランスを崩し、転がるところを大きな手に掬い上げられた。
これは、アレですね?俗に言う姫だっこ。乙女の憧れじゃあありませんか!
…なんて感動するわけ無い。いくら子供みたいに抱き上げられることに慣れたとはいえ、姫だっこはダメです。こんな美しい顔に、真上から見下ろされるなんて、平凡なわたしには耐えられないっ!
どうしてもっと美人に産んでくれなかったの、お母さんっ!とか顔を背けて嘆いていると、闇色の瞳がそれを追ってくる。
「どうしたんです、ミヤ?どこかぶつけましたか?」
「大丈夫、大丈夫ですからどうか降ろしてください」
「大丈夫じゃありませんよ、さ、もっとよく顔を見せて」
見せたくないから逸らしてるんです、どうかわかってっ。
困り果てて顔を手で覆うと、しばらく置いて短い溜息が零れ、ゆらゆら揺られてその先でアゼルさんが腰を下ろしたのがわかった。当然わたしは膝の上にそのまま着地、横だっこです。
そういえば図書室には、小ぶりのテーブルと椅子が用意してあったっけ。そこまで移動したんだ。
「さ、ミヤ。手をどけて」
優しく命じながらわたしの手を強制排除したアゼルさんは、極甘な笑顔でこっちを覗き込んでくる。
毎朝似たようなことしているのに、シチュエーションが違うせいか、アゼルさん1人だからなのか、それがとっても恥ずかしくて、微妙に熱い顔を隠すためにわたしは深く俯いた。
「ミヤ…そんな風にされては貴女の顔を見ることができません」
「見、なくて、いいです、から」
「ダメです。さ、見せて」
優しいく言うくせに、有無を言わせぬ強引さで両手をわたしの頬にかけたアゼルさんは、強引に仰向けて多分赤くなってるだろう顔を見て、笑みをいっそう深めた。
そうして何が嬉しいのか、柔らかなキスを顔中に落とす。音を立てて何度も、あちこちに。
こっちは照れてアゼルさんの顔も直視できないって言うのに、無理矢理視線を合わせた彼は甘く囁いた。
「私を意識して、頬を染めるのですね。このところは抱きしめたり、唇を舐めたりしてもあまり反応して下さらなかったのに、2人だけだとミヤはこんなにも愛らしい」
「え、やっ」
抵抗する間は、与えてもらえなかった。
気づけば口づけられて、それはいつもの触れるだけのものとは明らかに違う、意思を感じさせるから、このままじゃまずいと僅かに身じろいだのがいけなかった。
「逃がしません」
僅かに離れた唇の隙間で、今までに無い艶を秘めた声が響く。直後、アゼルさんは身動きできないほどきつく抱きしめてきた。
そう言えば、動物は本能で逃げるものを追うんだっけ。しまった、抵抗しちゃいけなかったんだ…。
今更遅いだろうかと思いつつも、期待を込めて全身の力を抜いて降伏を体現してみたんだけど、やっぱり効果は無く、むしろ攻撃は激しくなるばかり。
何度も唇を舐められ、甘噛みされて、気持ちが悪いんだか良いんだか、微妙な気分になってきた。
アゼルさんは…ベリスさんより落ち着いていて、知的で冷静なお兄さんのイメージだったのに、なんか、激しいというか、過激というか、ヤバイというか…。
これは「やめて」とか言おうとして口を開くと、そのままベロちゅーに発展する非常にまずいパターンなんで、意地でも歯を食いしばって耐えないとっ!
何度も何度も唇や、果ては歯列まで舐めていく危険な行動に、より一層警戒を強めた時だった。
ようやく諦めたのか拳1つ分ほど顔を離したアゼルさんが、いつもの数倍目力を込めてわたしを見つめながら、掠れた声で懇願する。
「ミヤ…お願いします、口を開いて」
ずるいと思います。すっごく、すっごく、ずるいです。汚いです。わたしごときにそんな切羽詰まった顔でお願いするなんて、反則です。断れない、断れないようぅ…。
それでも躊躇うのを、一瞬たりとも逸らさない強い視線で説得されて、おずおず噛みしめていた口を開く。
それはほんの少しで、指一本も入らないような隙間だったのに、すかさず再び口づけてきたアゼルさんは舌をねじ込んできた。
「ん、んっ!」
ぬるぬるした未知の感覚に慣れなくて、知らずに逃げようとする頭を大きな手が拘束する。絡み合うように動いたり、上顎を舐めたり、舌を吸い上げられたり、どれも初めてでくすぐったいその感触に、次第に意識が白濁してきた。
半分は呼吸困難による酸欠のせいだけど、残りの半分はなんだろう。
何かにしがみついていなきゃ体がどこかに行ってしまいそうで、わたしは必死にアゼルさんの背にすがる。その間にも角度を変え、離れることの無い唇は深く、深く絡んでいた。
「んぅ、ふ…」
ああ不気味な声、出しちゃった。鼻に抜けた弱々しい、おかしな声。自分のじゃ無いみたいな。
胸が痛いくらい波打っていて、まだまだキスを続けたいような、もうやめなければ引き返せないほど遠くに流されそうな、快楽と不安の間で心が揺れている。
その瞬間、襲ったのは覚えのある脱力感。
最近気づけるようになった、感情を食べられた時に体が感じる僅かな変化だ。ちょっと囓られた位じゃ大してわからないけれど、根こそぎ吸い上げるように食らいつかれると、全力で100メートルを走り終わった数分後のような気怠さが体を支配するのだ。
じんわりと回った疲労が、必死に握りしめていたアゼルさんの服から指先を引きはがす。それを合図としたように、唇がゆっくり離れていった。
「…また、食べました、ね?」
なんだか上手く回らない舌で弱々しく抗議すると、微苦笑を浮かべたアゼルさんが「すみません」と心ない謝罪をする。そうして、これ見よがしに舌なめずりしたあと、漆黒の瞳でわたしを捕らえたまま恐ろしいことを言うのだ。
「そんな可愛い顔で見つめていると、本当に貴女を食べてしまいますよ?」
どんな顔、ですか?!今すぐやめるんで、頭から囓るのだけは勘弁して下さい。
これは、R15くらいで大丈夫ですか?