12 食べられたら食べないと、本気で死にます
「ところで、文句を言うためだけに私を喚びつけたんだとしたら、なぜ両手に不可解なものを抱えさせたのかしら?」
そう聞いてくる彼女の視線の先には、茶葉の入ったポットがあって、言いたいことをとりあえず言い終えたわたしはまた空腹を思い出した。
そうそう、衝撃が強くて忘れていたけど、お茶とサンドイッチを取り出そうとしてたんだっけ。
実はエイリスを喚んだんじゃないんだと事情を説明すると、彼女は一緒にいた頃よくそうしてたように、眉間にしわを寄せる。
「何度も教えなかったかしら?魔法を使うときは雑念を入れると失敗するわよって。今回は運良く私と食材が判別できる状態で召喚できたけれど、融合して出てくることだってあるのよ?」
睨みながら言われて、ちょっと想像してみた。鶏肉や茶葉と、どこがどうともわからないほど融合した羊人間…。
「ホラー…スプラッタ?…まって、ある意味おいしそう?」
「師匠を食べる気?」
また飛んできた風の玉に顔面を直撃されつつ、空腹は恐ろしことを想像させるものだとしみじみ思う。
いかに羊っぽい顔をしていようと、会話ができて意思疎通が図れる存在をジンギスカンにしようという気にはなれない。そんなの当たり前だけど、それくらいお腹が空いているのだ。
「朝ごはんをちょっとしか食べられなかったんだもん。それなのにおかしな話しは聞かされるし、感情は勝手に食べられるし踏んだり蹴ったりで、今なら何でも食べられる自信があるよ。例えこの前の蛙だって食べてみせるっ!」
ひと月くらい前に食卓に上がった蛙の姿焼きっぽいものを思い出して、わたしは握り拳を掲げた。
元が羊な分、基本的にエイリスはベジタリアンだ。だけどそれじゃあ物足りない雑食の人間のために彼女は度々肉を調理してくれていたんだけど、この世界の肉食種族が好んで食べると出されたあれには参った。
だって、皮とかついたままなんだよ。しかもいかにも半生っぽくて、食欲より吐き気が増したからね。2度と見たくないと思ってた料理(?)だけど、今ならいけそうなほどお腹が空いている。
「あなた、相変わらず自分の体の変化について鈍いっていうか鈍感よね」
だけどエイリスはこんなわたしに別方向から同情的視線を送ってきた。
自分の体に鈍感って…さっきの言葉が喋れるようになった理由を教えなかったと責めたこととかと絡めて呆れてるんだろうか?それって一体、
「どういう意味?」
さっぱりわけが分からないと顔を顰めると、魔女は困ったように微笑む。
「たかが朝食を抜いたくらいで、見るのも嫌だって騒いだ料理でも、食べられそうなほど空腹を覚えるのは、なぜだと思う?その食欲は異常だと思わない?」
「え~?そう言われれば、おかしい?」
確かに、学生時代は朝抜きで登校とかよくあったし、それで胃が痛くなるほどお腹が空くことはなかったと思い返していると、エイリスの微笑みは嘆息に変わった。
「悪魔に感情を食べられたせいよ。感情は即ち生体エネルギーのことだから、早急に体力の補給をしなくちゃ倒れちゃうわよ?」
「はぁ?!それ、早く教えてよ!!」
「あら、てっきり聞いていると思ってたわ」
なんて意地悪なんだと詰る時間ももったいなくて、わたしは開かずの間と化していたドアを勢いよく開けるとやっぱり控えていた小間使いの男の子に(女性が貴重なせいかメイドは少ない)叫ぶように頼んだ。
「お腹空きました!大至急、食べ物希望です。できたら甘めの食後のデザートも」
よっぽど鬼気迫る顔してたんだろうか。言われた男の子は威勢良く返事をすると、血相を変えて厨房へ走っていく。
「あ、お湯とカップを2人分、先に下さ~い!!」
「わかりましたっ!!」
忘れていたと駆け去る背中に叫ぶと、再び大きな声が帰返ってきた。
やれやれ、これで食料とお湯の確保はできた。昨日から出てくるのは癖のある紅茶ばかりで口に合わなくて、水を飲むしかなかったんだよね。エイリスには怒られたけど、わたしの召喚魔法も捨てたもんじゃないんじゃないの?
なんて浮かれて部屋に戻って、思わず回れ右をする。慌てて出ようとした扉は鼻先で閉まって、微妙に低めの鼻を掠めた。
「ちょっと、置いていくなんて薄情ね」
「いやいやいや、当然の反応だと思うよ、この場合」
魔女だけだと思った部屋に、いつの間に入り込んだのやら白黒の双子達がいたんじゃ、逃げたくもなる。
例えエイリスに目の前で扉を閉められたって、それを力業で破って出ようって気くらい湧いてくるわよ。
「ほら見なさい。私達しかいないと思っていた屋敷に貴方方がいるから、ミヤが驚いて逃げだそうとしたじゃないですか」
「違うと思うね。あれはさっき、彼女の許しも得ずに感情を食らいつくした悪魔が怖くて逃げたんだよ」
「そんなわけあるか。ミヤは私達の花嫁だぞ。夫を見て逃げる妻などいない」
「そうだな。だが夫を捨てる妻は、掃いて捨てるほどいるぞ」
メトロスさんとサンフォルさんは正しいが、アゼルさんとベリスさんは大間違いだ。勝手に人が何を思ったか決めないでほしい。
わたしは自室に招いてもいない人間がいることが嫌なの。だから4人全員とも歓迎していないし、花嫁云々もそっちが言ってるだけでわたし自身はまだ誰とも結婚していないんだから、その辺間違えないでほしい。
ともかく、はっきりさせなきゃいけないことがある。
「4人とも、どこから入ったんですか?まさか空飛んで窓から不法侵入とかしてないですよね?」
睨むと、全員様々なれど一様に態度でわたしの言葉を肯定した。
悪魔は悪びれず微笑み、天使は気まずそうに視線を逸らす。
ま、わざわざ聞くまでもなく、バルコニーの開いているガラス戸を見たら一目瞭然なんだけどね。
「なんでそういうプライバシーの侵害を、軽々とやらかすんですか。アゼルさんとベリスさんの家かもしれませんが、ここはわたしに貸し与えられた個室です。許可のない入室はお断りします」
「ですが急に魔力が蠢くのを感じましたので、もしや賊かと心配したんです」
「そうです。部屋に結界が張られて中の様子を探ることもできなかったので、これは緊急措置なのですよ」
アゼルさんとベリスさんの必死の言い訳に、ちらりとエイリスを見やればぺろりと舌を出して見せた。
「エイリス!なんで余計なことしたの」
「だって、逃げ出したいから喚び出したって言われたら、ミヤを連れてここを出るつもりだったんだもの。結界はそれまでの足止めだったの」
「…ああ、そう。それはご親切にどーも」
親切心はありがたいけど、迷惑です。おかげで部屋が騒がしくなったじゃない。
脱力しながらやれやれと溜息だ。
エイリスは自分で『優秀』な魔女をを自負するだけあって、一般人には難しすぎて使えない魔法をよく使う。その1つが簡易魔法陣を水で描いて空間を越えるというもので、ドラえもんのどこでもドア的な感覚なやつ。
ありがたいことにそれでわたしを連れ出してくれるつもりだったみたいだけど、逃げ場なんかないんじゃないかな、この世界中のどこにも。
だって『減らないエサ』の存在はアゼルさんとベリスさんだけでなく、サンフォルさんもメトロスさんも知っていた。犬猿の仲にしか見えない両者が互いに知っているとなれば、国中の悪魔と天使にばれてるような気がしないでもない。
怖いから聞けないけど。
ともかく、逃げるより誰かの庇護を受けてる方が安全だと判断してわたしはここにいるんだから、せめて騒ぎを起こしてほしくないんだけど、
「なあに?最初に喚んだのはミヤの方でしょう?」
睨んだ先で眉を跳ね上げた魔女に返す言葉はない。
…ええ、その通りですとも。あくまで、アクシデントですけどね。