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トリスタンside1


ばきっと物凄い音を立てて頬にめり込む衝撃を、トリスタンは足を踏ん張って甘んじて受け止めた。


婚約締結のため、バートン伯爵領の宿にいたトリスタンは、突然訪ねて来たルナリアの専属侍女から彼女の不在を告げられた。


朝、いつものように私室へ行くとそこはもぬけの殻で、護衛を連れて出かけた様子もない。

その時点で伯爵には報告したが、時折りこっそり領内にお忍びで出るお転婆な一面もあることから、様子見をしていたという。


けれど、あらかじめ決められたトリスタンの訪問の時間が近くなっても戻って来ない。

これはさすがにおかしい、と再び伯爵に報告するも、拗ねているのだろうと取り合ってもらえなかった。


昨夜は父と話したいと本邸を訪れたが、伯爵は連れ帰った女性たちとの交流を優先した。

会えずに拗ねていることが知れた伯爵は、却って上機嫌になり違う女性と共に寝室に消えた。


婚約締結は、娘が戻ってから再び日程調整しろ、などと一介の侍女に無茶を言う。

とはいえ、どうしようもないので報告に来たと言う。


前の晩は護衛が私室の前まで送り、確かに部屋に入ったのを確認している。

部屋を荒らされた形跡も、ましてや夜間の警備の隙を突いて誘拐した痕跡もない。


領内を探すという侍女や護衛と共に、トリスタンも捜索に出かけた。

そこで、とある娼婦に声を荒げられたのだ。


「あの子をどこへやった!!」


これが第一声であった。

慌てた護衛たちに止められていなければ、胸ぐらを掴まれていただろう。それほどの勢いだった。


「あんた、あの子と婚約したいって男だろ!? あの子をどこへやった!?」


「ルナリア嬢のことだろうか。今探しているところだ」


「探す!? やっぱりいないのか!」


恫喝に似た怒声を上げた娼婦は、乱れた着衣や目の下の濃いクマから、仕事上がりだと推測された。


握りしめられていた手紙を見せられたが、美しく整った文字が、日頃の感謝を綴っていた。


「今さらお礼なんておかしい! 別れの挨拶みたいじゃないか!」


悲痛に声を上げる娼婦を宥めながら、トリスタンも同感だった。

どこか哀愁を感じさせる、情の込められた文章。


これが彼女の筆跡かどうかすら判断できない自分にも、ひどくショックを受けた。

こんな些細なことすら、彼女のことを何も知らない。

好むものも厭うものも、何一つ。


「あの子に何かあったら、あんたを殺してやる」


ぎらぎらと威嚇する獣のような娼婦の目から逃げるように、トリスタンは領内を探し回った。


けれど、いくら護衛たちを連れていたとして、他領で力を奮うことは難しい。

領を治める伯爵が静観している状況では尚更だった。


そして、生家である公爵家から迎えが来て、屋敷に戻った途端に待ち構えていた当主夫人である母にぶん殴られた。

という状況だった。


「わたくしは、あの子を助けなさいと言ったはずよ」


殴った直後とは思えないほど静かな声で夫人が言う。


「手柄を挙げるための婚約ですって? よかったわね、叶うわよ」


ばさりと放り投げられたのは、公爵家宛の分厚い封筒。

娼婦の持っていた手紙と酷似した文字が綴られた文章を始め、トリスタンが追い続けた伯爵の罪の証拠が数十枚にわたって収められていた。


言葉を失う息子にも構わず、夫人はため息をつく。


「あなたの思惑なんて、あの子にはお見通しよ。さっさとそれを持って王宮へ行きなさいな」


「待ってください、ルナリア嬢が……っ」


「昨日付で、あの子は伯爵家から除籍されたわ。よほどクズ男との連座が嫌だったのね。気持ちはわかるわ」


「……母上が、手続きを?」


「それを知って何がしたいの」


わからない。何も。

だって、こんな結末を描いていたわけじゃない。

本気で、自分は────




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