ずっとこれが欲しかったの
数ヶ月ぶりに、父が本邸に帰ってきた。
出迎えたルナリアとの再会をこれでもかと喜び、たくさんの土産を贈り、無礼な訪問者の報告に怒り、慌ただしく別邸へとエスコートした。
後続の馬車には、顔は出さないが人の気配があったので、おそらくまた女性が乗っているのだろう。
しばらくは、部屋の準備や各々への対応でばたつくはずだ。
動くなら今日だと、ルナリアは決めていた。
明日にはトリスタンが訪れて、婚約が決定してしまう。
ひとりしかいない専属侍女は、ルナリアの夕食が終わると明日の朝まで自由時間になる。
護衛はつくが、敷地内なら比較的動きやすい時間だった。
用意してあった簡素なドレスに着替え、裾を縛る。髪はアップにまとめて、軽く化粧を整えた。
久しぶりだから、少しだけ父と話したくなった。
そう言えば、護衛は微笑ましそうに本邸の入口まで供してくれた。
あちこちから話し声や指示を出す声が飛び交い、ぱたぱたと移動する足音が聞こえる中を、ルナリアは可能な限り自然体で歩いた。
「おや、お嬢様。旦那様をお探しですか?」
「ええ。久しぶりだから……お忙しそうね」
「そうですね。少々、ええ、少々立て込んでおりまして」
足を止めてくれた家令の視線が、らしくもなく一瞬泳ぐ。
おそらく父は新しく連れてきた女性と寝室に籠ったのだな、と検討をつけつつ、困ったように微笑んだ。
「ならいいわ。明日にはお会いできるものね」
「ええ、必ず明日には時間をくださるようお願いしておきます」
「ありがとう。それ、わたしが運んでおくわね。あなたも忙しそうだし」
「いつもありがとうございます」
父が帰宅した時、ルナリアが訪ねて来るのは恒例でもある。
そして、家令の手から当主のサインが必須の書類を受け取り、届けるのもルナリアの役目。
サインをするほんの少しの間しか、父は書斎で座っていることはない。
そのわずかな時間を捻出して話をするのが、ここ数年の習慣だった。
「書類を置いたら戻るから、見送りは結構よ」
「申し訳ありません。有難く、失礼させていただきます」
にこやかに去っていく家令に怪しまれず済んだことにほっとし、改めて気を引き締める。
呼吸も、目線も、足の運び方一つ、普段と違って見えてはいけない。
背筋につうと、汗が流れる。
幸い、すれ違う使用人たちは、ルナリアと抱えた書類を見ていつもの光景だと認識したようだった。
形式上のノックをして、書斎に入り込む。
父がサインしやすいように書類を、その側にあらかじめ用意していたメモも置く。
すぐさまポケットから出した手袋を付け、目的の床下を指先で辿った。
執務椅子の真下、小さな取っ掛りを探し当て、心臓がばくんと一際波打った。
父は、今日は特に慌てていた。
ということは、普段なら完璧な隠蔽も、わずかな綻びが出るはず。
室外の足音が動悸に紛れそうだ。ペンが落ちたと言い訳できるよう、近くに置く。
指先に鼓動を感じるほど、緊張している。
ふーっと一度息を吐き、慎重に窪みに指先を引っかけ、上に力を入れた。
ゆっくりと、持ち上がる床板。
昨年の改装の際、ここだけカーペットではなくマットに変わった時に見つけ、重要なものを隠すならここだと目を付けていた。
思い切って取り払った床板の下には、古びた鞄。
父の性格からして、重要なものを見てすぐここだとわかる場所には置かない。
鞄には触れず、大人の男性の肩幅ほどの隙間から上体を潜り込ませ、指先で床板の裏側を辿る。
ほんの小さく、紙の音。再び深く息を吐き出し、意を決して紙の束を掴む。
その場で確認することはせず、床とペンを元に戻して紙束は服の中に隠した。
書類を置いてから、この場で書き置きをしたと説明しても、違和感のない短い時間だった。
代わりの紙を仕込む時間はなかったが、そこは諦めるべきだろう。
何食わぬ顔で廊下に出て、近くを通った使用人にもう一度父の様子を聞き、残念そうな表情を作って本邸を後にした。
背中は一面、ぐっしょりと汗をかいている。
ショールを羽織ってきてよかった。
「よくやったわ、わたし……」
ぶるぶると震える身体を無理やり押さえつけて、思わず風に紛れる本音がこぼれた。




