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突然の来訪と揺さぶり

少々不快な表現があります。


ふと扉を叩く音がして、深く沈んでいた思案から引き戻される。

失礼しますと声をかけた侍女が、ほんの少し顔を曇らせているのを見て、ルナリアは咄嗟に立ち上がった。


「どうしたの」


「それが……本邸にお客様が」


「お客様?」


「はい。どうやら、昔、本邸にいた方のようなのです。今は男爵夫人となられているようでして……」


爵位ある当主の夫人なら、家令たちでは手に余る。

ルナリアは一つ頷く。


「他の女性たちは?」


「自室に引き上げていただきました」


「そう。なら、わたしが出向くわ。護衛を多めに配置してちょうだい」


「すぐに」


本邸の入口で待っていた家令が、ほっとした表情でルナリアを迎える。

詳しい話を聞こうとしたところで、がちゃんと陶器の割れる音がした。

同時に、女性の怒鳴り声と、悲鳴。


考えるより先に身体が動き、勢いよく応接室の扉を開けた。


けばけばしい化粧とドレスを身につけた妙齢の女性が、きつくルナリアに目を向ける。

テーブルの横では、紅茶をかけられたメイドが割れたカップを片付けようと床に膝をついていた。


急いで家令にメイドを下げさせ、付いてきた侍女が手早くカップの残骸を片付ける。


「何事ですか。先触れもなく訪問された挙句、乱暴を働くのはやめてくださいませ」


「な、何を偉そうに、小娘が! あんたも当主の愛人なんだろう! はっ、若い身体しか取り柄がない癖に!」


「わたしは当主の娘です。あなたも名乗りなさい」


「あんたが?」


いきり立って肩で息をしていた男爵夫人は、訝しげにルナリアを見たかと思うと、次の瞬間には笑い声を上げた。

狂ったように顔を歪ませ、こちらを指さして震えるほど。


「あっはっは! なーんだ、あんたなんだ。当主の本命って」


「……?」


にやり、赤い唇が釣り上がる。


「あんたのお父様、それはもうあんたを可愛がってたもんねえ。本邸にいるあたしたちが嫉妬しないように別邸に閉じ込めて、身体だけはあたしたちに相手させてさ」


なんだろう。聞いてはいけない、と頭で警鐘が鳴り響く。耳鳴りがする。

だというのに、身動ぎ一つできないまま、この場に留まってしまっている。


確かに、ルナリアは父に可愛がられてきたと思う。

仕事が忙しく別邸に放置されがちでも、身の回りには最高級のものが溢れていた。

たいした交流はないが、醜悪な犯罪に手を染めた父からの愛を、確かに感じながら生きてきた。


でも。


「ふふん、なるほどね。あんた、そろそろ『頃合い』だもんね? そりゃあお呼ばれもなくなるわけだ。つい半年前までは、ふた月に一度は会ってくれたのにね」


「……」


「あの人はずーっと、あんたが成長するのを楽しみにしてたよ。可愛い可愛い子、あの子の血肉はすべて私が与えたものでできてる、あの子のすべては私のものだ、ってね」


吐、く。

ぐぐっとせり上げた吐気に、思わず口を抑える。


誰かが何か大声を張り上げ、駆け込んできた護衛たちが女性を羽交い締めにして外に連れ出すのを、何もできず見送った。


ぐわんぐわん揺れる視界によろけた背中を、大きな手が支えていることに気づいて顔を上げる。

いつの間に現れたのか、トリスタンが気遣わしげに橙の瞳を向けていた。


大丈夫。大丈夫。だって、あの人の言葉が本当だって決まったわけじゃない。


だけど────だけど、本当は、ずっと知っていた。


年を重ね、少しずつ少女から女性に変わっていくルナリアを、父がどんな顔で見ていたか。

一緒に摂る食事の味がわからなくなった。エスコートする腕の温度が、手を取る仕草が、だんだんと変わっていく様を。


ルナリアは、本能で忌避していた。


「……大丈夫ですか」


大丈夫? ええ、大丈夫に決まっている。

ここで頼れるのは、自分だけだと知っているもの。


そっと、体温を移さない程度の軽さで支えてくれていた手から、わずかに距離を取った。

顔を上げて、口元を少し上げて、目尻を下げて。うん、大丈夫。


「ええ。礼を失した行いについては、父に報告の上抗議してもらいます」


ちらりと目を向けた家令は、青ざめた表情ながらすぐに頷いて見せた。


うん。手は、足も、動く。大丈夫、わたしは大丈夫。


胸のうちで何度も繰り返し、いつもと変わらない笑顔を貼り付けた。


「ようこそおいでくださいました。別邸の方で、お茶の用意がございますよ」


「…………はい」


倒れてはいけない。折れてはいけない。隠さなければならない。


だって、今この場には、いや本当はどこにも、ルナリアの味方などいない。

足を掬われないように。隠した刃に気づかれないように。


いつの日かとどめを、この手で刺せるように。




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