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婚約者未満


親交が始まってから、トリスタンは週に一度のペースで顔を出すようになった。

会いに来すぎではと思いつつも、調査のためだろうと特に何も指摘はしていない。


「素晴らしい邸宅ですね。広くて、おひとりでは寂しくありませんか」


エスコートを受けて歩きながらの問いに、内心苦笑が盛れた。

どうやら、元義弟は婉曲な物言いが少し苦手らしい。

過ぎるほど広く豪華な家を当然として暮らす令嬢、という本音が透けている。


「使用人もおりますから。困ることはありません」


惚けてみたが、お望み通りの『頭の軽そうな令嬢』をうまく演じられているだろうか。

テラス席で向かい合って紅茶を楽しみながら、ルナリアは内心ひとり言ちる。


正直、父と女性たちの生々しい光景を見なくて済むので、別邸は助かっている。

敷地内の隣同士とはいえ、完全に住居としては別れているため、なんとか凌げているのだ。


父が若い女性にベタベタ触る場面など、今見たら吐く自信しかない。


ちょうど女性たちの数が減ってきたところだ。

うまくやれば、今度こそ確実な証拠を手に入れられるかもしれない。

トリスタンも、もちろんそのつもりでタイミングを見計らったのだろう。


「今日も別邸に来てしまいましたが、大丈夫でしょうか。本邸のみなさまにも、ご挨拶したいのですが」


ふふ。本当に言葉が直接的だわ。

毎回同じ申し出に、ルナリアは思わず笑みを浮かべた。


「父は今、不在にしております。もうしばらくすれば戻るでしょう」


「では、お戻りになったらぜひご挨拶を」


「ええ。懐かしむのではないかしら」


そうも執拗に本邸に探りを入れては、相手がルナリアでなければ怪しまれるのでは。

くすくすと笑うルナリアをじっと見た後、橙の瞳が気まずそうに逸れる。


「ルナリア嬢は……昔、一緒に暮らしていた時のことを、覚えているのですか?」


「……いいえ。まだ五歳でしたから」


「そうですか」


どこか安心したように笑うトリスタンに頷き返し、ルナリアは庭へと案内する。


────きらきらと、幸福の香りで満たされていたの。


食事のたびに寂しくなることも、夜を怖がることも、去る背中に涙を堪えることもなかった。

晴れの空が嬉しいことも、花が綺麗なことも、恐ろしい夢を見たことも、聞いてくれる人がいた。

つないでくれる手があった。


もう誰もが忘れてしまったあの頃のことを、ルナリアは縋るように覚えている。


「そうだ。今日は、これを差し上げたくて」


トリスタンが差し出した包みは、いかにも令嬢が好みそうな可愛らしい桃色の紙と水色のリボン。

開けてくれと言われるままリボンを解けば、中には煌めくルビーとダイヤの高級そうな髪飾りがあった。


「まあ、美しいですわ。ありがとうございます」


付けたら重そう。

という本音は笑顔で飲み込み、弾んだ声を意識して礼を告げる。

紺の簡易ドレス姿のルナリアには、少々不似合いではなかろうか。


やっぱりドレスアップするべきだったかと思いつつも、あのゴテゴテと高そうなドレスが女性を売ったお金で誂られたと知っていると、どうしても嫌煙してしまう。


「怪我をされたのですか?」


「え?」


「それ。少し痛そうです」


指されたのは、右手の中指。令嬢には相応しくない小さな包帯が巻かれている。

恥ずかしくてさりげなく隠しつつ、ルナリアは微笑んだ。


「レース編みがうまくできなくて……うっかり、刺してしまったのです」


本当は、思いっきり引き出しに挟んだのだが。

父の書斎に忍び込んでみたのだが、足音が聞こえて慌ててしまった。

音が鳴らなかったからよかったとも言える。


「ご令嬢らしい趣味ですね。……でも、なんだか、傷が増えましたか?」


袖口から覗く包帯を、ちらりと橙が見やる。


「みな過保護なのです。ほんの少しぶつけただけですよ」


これは、領民の子供たちと駆け回った時の痣だ。思わず本気で追いかけてしまった。


「大切になさってください。たったひとりのあなたです」


やんわりとした微笑に深堀りは難しいと察したのか、にこりと完璧に笑ってトリスタンが話題を変える。

こういうさりげない気遣いはさすがで、紳士らしく丁寧に扱われるたび、ルナリアは居心地の悪さを覚えた。


元義弟、でも立派な紳士。

記憶とかけ離れた男性らしさに、初めて触れる異性からの気遣いに、ときめかないと言えば嘘になる。


見目も麗しく、柔らかい口調と和やかな雰囲気は、油断すればするりとルナリアから言葉を吐き出させようとする。


気の抜けない茶会が終わると、去っていく馬車を見送りながら思わず重い息を吐いた。




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