かつての恋
「ルナリア」
はっ、と息が詰まった。
もう二年も前の、それも数ヶ月しか共にいなかった声なのに、振り向かなくてもわかった。
今の今まで会話の中心だった人の声に呼ばれて、身体が竦んだ。
ありえない。本当に来たのか。なんで。
こんな、遠いところまで。
呼吸が浅くなる。
小刻みに肩を揺らすナナをノラが抱き締め、ふたりを隠すようにジュカが前に立った。
「ルナリア」
呼ぶ声は、喜びや悲しみややるせなさが入り交じった、複雑な音をしていた。
シリリリリ
聞き慣れない音に顔を向ければ、こちらを守る大きな背中が警戒していることに気づく。
きっと、蛇族だという蜂蜜色の彼が鳴らす音だろう。
「ジュカ、ノラも。大丈夫よ」
しっかりしなければ。
万一にも争いにでもなれば、どちらの大陸にも影響が及ぶ。
ジュカとノラが一歩後ろに下がり、開けた視界に、懐かしい色彩が映った。
眩い金色、太陽の橙。
最後に会った時より色々な経験を経た、大人の男性の顔になってそこにいた。
どくんと鼓動が波打ったのは、どの感情のせいだろう。
「ごきげんよう」
二年ぶりに口にした挨拶は、どこかぶかぶかで。
分不相応とはこのことだと思い知る。
苦痛を堪えるように顔を歪めたトリスタンは、一度目を伏せ、取り直すように笑みを貼り付けた。
「久しぶりですね、ルナリア。……ずっと、会いたいと思っていました」
そう。答えたかった声が、喉に張り付く。
ノラに促されて、往来から外れた木陰に入る。
トリスタンの護衛たちやジュカは離れた場所で、ノラは少し後ろに控えた。
「……私は、あなたに、謝らなければいけない」
始まった懺悔の言葉に、ナナはただ首を振る。
伝えたいのは、話したいのは、謝罪じゃないとわかっていた。
自分たちに必要なのは、これからのことだ。
「すみません。その、会いたかったのは、……あなたを迎えたいと、思っているからです」
迎える? どこに? まさか、公爵家子息の嫁に?
ぽかんとするナナに、トリスタンは苦笑を浮かべた。
「二年前、守りたいと言ったのは、本心です」
「……」
「最初は、確かに、打算があって近づきました。それは認めます。でも、共に過ごすうちに私は、あなたに恋をしました」
こい。恋。
それは、ナナが振り切ったものと同じ形をしていた。
「どうすれば共にいられるか、あらゆる手段を考えました。実行する前に、いなくなってしまったけど……今も変わらず、あなたを想っています」
「……」
「元義弟でもなく、元婚約者候補でもなく、ここから始めませんか。泥はすべて私が被ります。家族や王家は説き伏せました。この身すべてで守ります。どうか、一緒に帰りましょう」
切なく、狂おしいほどまっすぐな、暴力的なほど激しい想いがナナを襲う。
孤独に擦り切れた心が、逆境に凍えきった心が、膨大な熱を持って殴りつけてくる。
呼吸が、苦しい。
身体中が震えて、暴風が吹き荒れて、足元さえ崩れていく心地がした。
必死に足に力を込め、目を閉じて唇を噛みしめる。
────ああ。きっと、求めたら与えてくれる。
大切な子と引き裂かれた時、父の醜悪さを思い知らされた時、罪に押し潰されそうな時。
そして今も、ずっと求めているひと言を、欲しいと言えば、きっと彼は与えてくれる。
孤独は寒い。
心身をバラバラに裂くような日々に、傷を負わなかったわけじゃない。
強気に勝ち気に、いつでも平気そうに振る舞うことが、どれほど呼吸を狭めたか。
差し伸べられる手を、どれだけ欲していたか。
だけど。
「ごめんなさい。あなたの元へは、行けません」
微笑みすら浮かべて、ナナは告げた。




