獣人の国ノズール
我ながらやり切ったと、ルナリアは存分に自分を褒めてやりたい気分だった。
自分だけは、自分の努力を知っていても許されるだろう。
父の罪の証拠を提出して家を飛び出し、早いもので二年が過ぎた。
この二年は、ひたすら移動することを目的にしてきた。
日雇いの仕事や、時折り期間限定の家庭教師などをしながら小銭を貯め、移動して、また仕事をする。
労働を知らなかった手はすっかり傷だらけで、常に汚れている。髪は真っ先に売り、短い髪にも艶はない。
それでも、ルナリアは一心不乱に働いては移動し、移動しては働いた。
今の自分を、ルナリアは結構悪くないと思っている。
貴族らしくも令嬢らしくもないが、自分の身を自分で保っている自信がついた。
飢えも疲労も身体の痛みも、世界の広さを知る喜びには敵わない。
そうして二年をかけて、大陸を飛び出し海を渡った。
何ヶ月もの海旅を耐え抜いて辿り着いたのは、目的の地。ルナリアの譲れない願いを叶える場所だ。
大陸が違うと、もはや住む種族すら異なる。
本でしか知らない大陸には、物語にしかいないと言い伝えられてきた獣人という種族が存在していた。
もちろん言語も違う。
というか、それが言語なのだと最初は判別できなかった。
ククク、コココ、タンタン、そんな喉を鳴らすような〝音〟の羅列を、この国では言語と呼ぶ。
正直、耳ではまったく聞き取れない。
家から持ち出した辞典を片手に話しかけても、識字率はそう高くないようで、通じないことが多かった。
ほとんどの住人が、ルナリアよりずいぶん大きい。またはずいぶん小さい。
ルナリアの知る〝人間〟と同じ姿をしている者を見かけることは少なかった。
耳や尻尾を持っていたり、牙や角があったり、はたまた獣と区別が付かなかったりする。
その違いさえ、様々な経験を経てきたルナリアには、ただただ新鮮で楽しく感じた。
そして、ほとんどの者が余所者であるルナリアに優しい。
言語は通じなくとも、文字がわからなくとも、絵を描いたり身振り手振りをして意思疎通を図ろうとしてくれる。
時々は物珍しさに絡まれたりしたが、庇ってくれる者が必ずいた。
適当な宿をとり、色々な〝人〟に聞いて回った結果、ルナリアは目的の魔法使いが住む居住区に辿り着くことができた。
入国してからここまで、実に二ヶ月超。
満身創痍で、見知らぬ人に労られる程度にはみすぼらしかった。
大きな大きな、天にまでそびえるのではと思うほど高い門の前で、ルナリアは深呼吸をする。
門の向こうは、大陸の中でも最大規模であるタルデュノという地区。
人間の国で言うと、王都だろうか。
正直、まだよくわかっていない。
未だ〝自分のいるべき場所〟を見つけていないルナリアは、これからも宛てなく流れるのかもしれない。
大きな門の前に立つのは、ルナリアの身体の半分ほど見上げた先に顔がある男性だった。
この大陸で出会った中では、そう大きな種族ではない。
「わたしは旅の者です。どうしても叶えたいことがあり、ここまで〝呪師様〟を訪ねてまいりました」
いかにも異物な小さなルナリアが、身振り手振りしながら本を開いて話しかけると、門番はのっそりと身体を動かししゃがみ込む。
ゆっくり、ゆっくり。
まるで小動物を前にした熊が、どうか怖がらないでと願うような、気遣い溢れる動作だった。
長くもっさりとした白金の癖毛の間から覗くのは、とろりと滴るような黄金色。
────ああ。こんなにも遠くまで、わたしは来たのだわ。
蜂蜜のような瞳とまっすぐ出会って、不意に、唐突にそんなことを実感する。
忙しなく走り続けた足が、ようやく地面を踏み締めたような心地。
「私、チョット、わかル」
「まあ!」
片言ながら、この二ヶ月誰にも通じなかった言語が返ってきて、思わず感激してしまった。
深く静かな、お腹に響くような声。
「ジュシ……なに?」
「ええと、この本にあったの。魔法を使えて、万物を見通す目を持つ方よ。こう、長いローブを着ていて……」
側にあった小石を手にしゃがみ、絵を描く。
ルナリアが身を低くすると、彼は気を遣ってか一歩後ろに下がった。
「ああ……」
カラコロ、彼の喉が音を発する。
ルナリアには聞き取れないが、おそらく呪師をこちらの言語で発音したのだろう。
「案内、デキル。デモ、会っテみないと、治癒、してクれる、ワカラナイ」
「それでもいいの。どうか、案内してくださる?」
「いいヨ。ついて、クる」
後ろに下がりながら立ち上がった彼が、ルナリアをしばらく眺めて考え、自分の肩を指す。
「乗ル?」
「ええっ? だ、大丈夫よ……歩くわ」
「ソウ」
ぐわんと空気を揺らして門を片手で押しのけた彼の向こうは、計算され尽くした美しい街並みだった。




