トリスタンside2
息子を叱りながらも、夫人は自分にも憤っているようだった。
「あの子の信用も得られない、それどころか白々しい愛を囁いて婚約を匂わせるなんて、どれだけ蔑めば気が済むのかしら。女はみんな自分の顔に惚れるとでも思っているの? 我ながら綺麗な顔には産んだけど、女だって馬鹿じゃないのよ」
「そ、んな……つもりは」
「少なくともあの子は、あなたが手柄のために近づいたと思っていたでしょうね。クズ男を追い詰める書類がここにあるのが証拠よ」
正論だった。
トリスタンにだって、そう思えて仕方ない。
いや、最初は確かに、そのつもりだったのだ。
婚約して気を許したら、彼女を通して伯爵の罪を暴けるのではと画策した。
自分の恵まれた容姿も、役に立つのではと考えなかったわけじゃない。
「誠実でもなければ、狡猾でもない。あなたのやったことは、果たして罪ではないのかしらね?」
淡々とした声色が、攻撃の手を緩めない。
夫人にとっては、同じ女性として許せない部分もあるのだろう。
領地のために、罪なき少女たちのために懸命に足掻く女の子を利用して、強引に気持ちを得ようとした。
告げた想いは、嘘ではない。
ひたむきで冷静で、どこか脆く儚い彼女を、トリスタンはいつの間にか好きになってしまっていたから。
けれど、きっと、あの言葉は彼女には響かなかったのだ。
ルナリアは最後までトリスタンを信用せず、大事な証拠の数々を公爵家宛に出した。
信用させなかったのは、トリスタンだ。
「……ルナリア嬢は、無事なのでしょうか」
「どうかしらね」
惚ける夫人は、何か知っているはずだとトリスタンは思う。
「母上はご存知では?」
「信用されていれば、あなたにもわかったのではなくて」
「できる限りの手は打ったつもりでした。彼女の兄も、従者として一緒に……」
そう。トリスタンの傍には、いつでも髪色を変えた彼女の兄がいた。
出奔した彼を保護したのは夫人だ。
かつての縁だと、兄妹を大切にしていたのを知っている。
「あの子は気づいていたでしょう。顔を変えたわけでもなし」
「では……なぜ、指摘しなかったのです」
「信用できないからでしょう」
せめて実兄にだけは頼ればよかったのにと続けたかった言葉は、ひと言で切り捨てられた。
「信用できないあなたの傍に、下手な変装をして立っていれば、たとえ兄でも自分を断罪しに来たと思うでしょうね。父親の罪を告発することで、己に及ぶ連座の刑を軽くする。よくあることだわ」
「ですが……」
「何を勘違いしているのかしらね。あの子が助けを求めずひとりで戦っているのは、視野が狭いのでも向こう見ずなのでもないわ。わたくしを含め、力ある周囲の誰もが、手を差し伸べないからよ」
「……」
「あなたにはその力があり、ある程度自由に動ける立場にいて、あの子の兄まであなたの傍に置いた。その状況であなたが選んだのは、自身の手柄だった。それだけのことよ」
そんな、はずは。
最初はそうだったとして、互いの気持ちは少しずつ変わっていたはずだ。
トリスタンは自惚れでなく、ルナリアからの好意を感じていた。
「愛だの恋だので生きて行けるのなら、わたくしが三回も婚姻することはなかったし、あなたも振り回されなかったのよ」
貴族たる者、国のため民のため家門のための婚姻をすべきだ。
元王女だった夫人は、王命により夫が三度変わった。
一度目は死別、二度目は離縁、そして今は公爵家の後妻として生きている。
トリスタンは、公爵家に来る以前のことをあまり覚えていないため、振り回されたとは思わないが。
義父である公爵も後継の義兄もよくしてくれるし、異父妹は可愛い。
けれど、王家の血を受け継ぐトリスタンはもちろん、異父妹だって家の益となる婚姻をするのだ。
果たして、ルナリアとの婚約が本当に成ったとして、婚姻に至ることは難しい。
「あの子は正しく父を告発し、家と身分を失うことで罪を贖った。成人前の令嬢への罰としては妥当だわ」
自ら平民に落ちるか、落とされるか。
いずれにせよ、十六歳の少女が何の後ろ盾もなく、名前すら本来のものは名乗れない。
連座の罪としては、確かに妥当だった。
「あなたはせいぜい、あの子の兄を連れてクズ男を訴えていらっしゃいな。あの子が危険を犯して手に入れた証拠を持ってね」
呆然としながら手に取った封筒は重く、足が床に沈むほどの苦痛を覚えた。
これだけの周到な証拠を得るために、どれだけの時間を、どれだけの労力を消費したのだろう。
彼女は、豪華な別邸に囲われる世間知らずな少女なんかではなかった。
肉親である父の罪から目を逸らさず、逃げ出さず、身一つで功績を上げて見せたのだ。
領地への献身の傍らで、ひたすらまっすぐに。
彼女の血の滲む努力の証は、もう彼女を救うことはない。
どんな気持ちで、トリスタンに託したのか、本当はもうわかっている。
あの控えめな、柔らかな微笑みに会いたい。




