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リストラもしくは肩たたき

作者: 仲瀬充
掲載日:2026/01/03

山奥の一軒家をアポなしに訪問するテレビ番組がある。

「よくこんな不便なところに住んでるなあ、引っ越せばいいのに」

そう思って見ていた人の家にその番組が取材に来たという。


「まさか自分が」という驚きは僕のリストラの場合も同じだった。

昼は出前をとるか外に出るか。

仕事の手を休めて出前のメニューを見ていた時だった。

「ちょっといいか」

課長にポンと肩をたたかれて別室に連れていかれた。

勤務態度の注意かとビクビクしていると課長のほうから頭を下げてきた。

僕は解雇を告げられて茫然自失した。

そんな僕の頭にまず浮かんだのはどうでもいいことだった。

「リストラを肩たたきと言うがほんとに肩をたたくんだな」


息子と同じくらいの年だろうがこいつはリストラの心配なく定年を迎えるんだろうな。

そんなことを思いながらハローワークの若い職員の説明を聞いた。

失業手当の手続きを終えて近くの公園に行きタバコに火をつけた。

先端から(くゆ)り立つ煙は風もないのにどうして揺らぐのだろう。

感じられないほど微かな空気の流れがあるのだろうか。

学生の頃、部屋でタバコを吸いながら不思議に思っていた。

今ではブラウン運動のせいだと理解しているのだが。

それにしても揺蕩(たゆた)いながら虚空(こくう)に消える煙は今の僕そのものだ。


公園の端っこの藤棚に目をやると中折れハットの老人がベンチに座って文庫本を読んでいる。

ベージュのチノパンにボーダー柄のポロシャツ。

脇には小さなバスケットと水筒を置いて。

老人は本を読みながらバスケットのサンドイッチを一切れ摘まんだ。

悠々自適を絵に描いたような時間の過ごし方だ。


僕は現実から逃れたくて行くあてもないのに路面電車に乗った。

窓から見える勤め人らしい人たちの一人一人が気になる。

この人はどんな仕事をしているのだろう、これからどこへ行くのだろう。

営業先回りだろうか、小用(こよう)でちょっと出ただけだろうか。

落ち着かない気分のまま終点まで乗ってしまった。


一休みしたくなったが喫茶店に入る身分ではないと自分に言い聞かせる。

木陰を探して歩くうち陸上競技場のあるエリアに出た。

自販機でコーヒーを買ってベンチに座る。

競技場に沿ってその周囲を何人もの人たちが歩いている。

平日の昼間だからか高齢者の姿が目立つ。


藤棚の老人を思い出した。

読書やウオーキングにいそしむ老人たち。

同じ無職でありながら彼らと僕のなんという懸隔(けんかく)

功成り名遂げた人たちであろう彼らに対し僕は何者でもない。


病を得てひと月ほど入院したことがあった。

あの日々も僕は何者でもなかった。

カーテンをぐるりと引きまわして区切られた相部屋(あいべや)の一区画。

起きて食べて寝る、毎日がその繰り返し。

ただ生きていた、ただ生かされていた日々。

けれども思い起こせば妙に懐かしくもある。


おっと、今はそんな悠長な感慨に浸っている場合ではない。

我が家で飲まず食わずじっとしていたとしても通帳のお金は消えていくのだ。

電気・水道・ガスの基本料金、住民税や固定資産税などが定期的に引き落とされる。

住宅ローンの返済をボーナス併用型にしなかったのは正解だった。

さしあたって目途(めど)をつけねばならないのは夫婦二人の食費を稼ぐ算段だ。


それにしても50を過ぎてリストラされた人間の前途は(ばく)としてとりとめがない。

無一物で何者でもない存在ゆえの浮遊感と焦慮。

その感覚は鬱勃(うつぼつ)と生起する性の衝動を除けば青春時代に似ている。

自分が生きていることで誰にもとりあえず迷惑をかけてはいない。

そんな青臭い、自殺を思いとどまった昔のレーゾンデートルが今も僕の生を支える免罪符だ。


缶コーヒーを飲み干して立ち上がり自宅の方角へと歩き出す。

電車賃を節約するのも今の自分の身の丈だ。

散歩の途中らしい犬がひとところをクルクル回っている。

首をねじって自分の尾っぽを追いかけまわしているようだ。

飼い主の女性はリードを手にしたまま面白そうに見ている。

幼い頃に僕も自分の影を踏もうとしたことがあった。

いくら躍起になっても踏めるはずはなかったのに。

犬も子供も無邪気だから許されるのだ。


街の中心部まで来て学生時代の友人を思い出した。

たしかここだったと壁面の袖看板を見上げる。

このビルに入っている人材派遣会社で彼は管理職になっているはず。

携帯の番号しか知らないのでショートメールを使う。

「用事で近くまで来たから寄ってみた。今ビルの前にいるんだけど」

スマホの画面に入力したがすぐに削除してその場を後にした。

面会を断られた場合の(みじ)めさが送信を躊躇(ためら)わせた。

仕事の斡旋(あっせん)を頼む卑屈さにはなおさら耐えられそうになかった。


いつの間にかハローワーク付近まで戻ってきていた。

公園に目をやると読書をしていた老人がまだ藤棚の下にいた。

もう本を読んでおらずベンチに腰かけたままぼんやりしている。

その横顔を見てふと思った。

この老人は家に自分の居場所がないのではないか。

あるいは(わび)しい一人暮らしなのかもしれない。

陸上競技場の老人たちにしてもそうだ。

彼らは病のリハビリや老化防止をノルマとして歩かざるを得ないのではないか。


再びかつての自分の入院に思いを()せる。

高層の病室の窓から見下ろす景色の中に1本の細い坂道があった。

その道を朝に夕に行き交う人たちを僕は毎日見るともなく見ていた。

日常を生きていた彼らと病院で非日常の時間を過ごしていた僕。

正反対のように見えて大きな違いはなかったのかもしれない。


自宅近くまで来て花屋の前を通りかかった。

店頭のいくつかの花桶に妻の好きなトルコキキョウが生けてある。

時季なのだろうか、花桶ごとに異なる色のキキョウが並んでいる。

石川啄木の歌が頭に浮かんだ。

「 友がみな我より偉く見ゆる日よ花を買ひ来て妻と親しむ 」

足を止めて見ていると店員が寄ってきたので店先を離れた。

これから暮らしに追われる妻は花にお金を費やすことを喜ぶまい。

花を()でて妻と親しむのは空想に託すことにしよう。

貧乏だった啄木もほんとは花は買わなかったに違いない。


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