4.乗っ取られていた身体
ただただアシュリーは、その場に力なく座り込んで動けずにいた。その時―――
「アシュリー!」
大きな声が会場に響く。
名前を呼ばれて弱々しく振り返ると、そこにいたのはテオだった。
「テオお兄様?」
「アシュリー、来るのが遅くなってしまって、すまない。あぁ、こんなに顔色を悪くして」
テオは駆け寄り跪くと、アシュリーの頬に触れて顔を覗き込む。
「もう大丈夫だから安心して。あぁ、このまま動かないでね」
そう言いながら、テオは懐から小さな石を取り出すと呪文を唱えた。
瞬く間にアシュリーを中心として、床に魔法陣が展開される。
同時にアシュリーの身体は拒絶反応を示すかのように暴れようとした。
それを想定していたのか、テオは素早くアシュリーを押さえつけるように抱きしめる。
(え、えっ、これは何が起きているの?)
アシュリーは困惑した。勝手に暴れようとする身体にも、テオに抱きしめられて感じた熱にソワソワと浮足立つ心にも。
そうして術式が完成すると小さな石―――魔法を補助する力の宿る魔石は粉々に砕け散り、アシュリーは身体がフッと軽くのを感じた。
周りからは「何だ、あれは?!」と戸惑う声が上がる。
それもそのはず、アシュリーの頭上には禍々しいオーラを放つドス黒い煙のような塊が、閉じ込められるように魔法陣で囲まれて浮かんでいた。
それを見たアシュリーも周囲と同じような声を上げる。
「あ、あれは」
「あれがアシュリーを苦しめていた原因だよ」
始めから分かっていたという様子のテオ。
それを見ていた、否、突然の出来事を見ているしかなかったカスターが、ようやく口を開いた。
「これは、どういう事だ?」
カスターの問いに、テオは答える気がしなかった。アシュリーを守らずに放っておいて、助けるどころか婚約破棄した上に国外追放したカスターに、テオは腹を立てていた。
しかし、どうしてこうなったのか、この場にいる全員に事の次第を知らしめ、アシュリーの名誉を挽回したいという気持ちと、犯人に仕返しをしたいという気持ちが湧き上がる。
「アシュリーは魔法を掛けられていたんだよ。しかも禁術の一種。言わば、呪いのようなものだね」
アシュリーに話し掛けるという形で、カスターの問いに答えるテオ。
呪いという予想もしない単語に、アシュリーは思わず復唱した。
「の、呪い?」
「そう、人の身体を乗っ取る呪い。本人の意思に関係なく、強制的に操ることが出来る術だよ」
「そ、そんな事が出来るのですか?」
「うん。だから禁術なんだよ。今までアシュリーがそこの令嬢にしてきた事は、魔法の所為で身体を乗っ取られていたからなんだ。あぁ、術は解除したから、もう心配はいらないよ」
「テオお兄様」
「辛かっただろう。もう大丈夫だからね」
「ありがとうございます、テオお兄様」
安心させるように微笑むテオに、アシュリーは強張っていた身体が解れるのを感じた。
(あの苦しみから解放されるのね。もう、あんな酷いことをしなくて済むのね。良かった、良かったわ)
テオの説明で、自分の身に起きていた事が解明されたアシュリーは心の底から安堵した。もう誰かを攻撃することもない、その事に。
「アシュリーは操られて、カサンドラを傷つけたというのか」
そんなテオとアシュリーの会話に口を挟んだのはカスターだった。
テオは少しムッとした表情を浮かべながら、声のする方へ顔を向ける。
「そうだ」
「そんな馬鹿な。アシュリーは嫉妬に駆られ、カサンドラを虐めた極悪人だ」
「本気で言っているのか? 心優しいアシュリーが、そんな事をするはずがないだろう。長年、婚約者としてアシュリーの何を見てきたんだ?」
「だが、アシュリーは操られているなんて一言も」
「当然だろう。口封じの魔法も掛けられていたのだから。誰かに言いたくても、助けを求めたくても伝えられなかったはずだ」
「い、一体、誰がそんな事を」
「そこの令嬢だ」
テオの視線の先にいたのは、カサンドラだった。
その目線を追った周囲の人間から、一気にどよめきが上がる。
「な、何を言っているんだ! カサンドラが、そんな事をするわけないだろう!」
カサンドラが有りもしない疑いを掛けられたと、カスターは憤慨した。
しかしテオは怯む様子もなく、むしろ口角を上げる。
「ならば、証明してやろう」