2.誰か気づいて
「やぁ、アシュリー。元気にしていたかな?」
「あ、テオお兄様! いらしていたのですね」
アシュリーが鬱々と帰宅すると、使用人以外の人物も出迎えていた。
「うん。少し時間が出来たからね」
「嬉しいです。あ、一緒にお茶はいかがですか?」
「いいね」
『テオお兄様』と呼ばれた薄紫色の髪をした青年は笑みを浮かべ、アシュリーの提案に頷いた。
テオは“お兄様“と呼ばれているが、実際はアシュリーの兄ではない。
アシュリーの従兄の友人である。
キッカケは、従兄の屋敷を訪れたアシュリーが遊びに来ていたテオと出会ったところから始まる。そうして何度か三人一緒に遊んでいる内に、幼きアシュリーは『テオお兄様』と呼ぶようになっていた。
それは従兄が『テオ』と呼んでおり、アシュリーも従兄を『名前+お兄様』と呼んでいたからだった。
そして、いつしかテオは従兄の屋敷ではなく、アシュリーの屋敷を訪れるようになる。
屋敷に来る度、美味しいお菓子や綺麗な花、時には可愛い装飾品を持ってくるテオをアシュリーは本当の従兄と思い慕っていた。
二人は中庭が見えるテラスに行くと椅子に腰かける。そして運ばれてきた紅茶を飲みながら、話に花を咲かせた。
久しぶりにテオと会えたことにアシュリーの顔は綻んでいく。
しかしテオは少し眉間に皺を寄せた。
「アシュリー、大丈夫? 少し痩せたようだけど」
「えっ」
楽しく談笑していたが、急にテオが深刻そうにアシュリーの顔色を窺う。
「アシュリー、何か困っている事があるんじゃない?」
「っ!!」
今まさに起きている事を言い当てられたようで、アシュリーの心臓はドクリと大きく脈打つ。
そしてテオの優しい声に、全てを聞いて欲しい、知って欲しいという衝動に駆られた。
(テオお兄様に話したい!)
アシュリーは口を開いた。
確かに開いたが、パクパクと動くだけで声は出ない。
これは今に始まったことではなく、例のカサンドラに対する罵倒が始まった時からだった。
友人、家族、気を許しているメイドに自分の身に起きている異常事態を話そうとしたが、声に出す事は出来なかった。
文字に書いてみようと試みた事もあったが、それも無駄に終わる。
どうやら誰にも伝えられないように制約が課せられているようであった。
(やっぱり声が出ない)
泣きそうになり、アシュリーは口を閉じて俯いた。
その様子をジッと見ていたテオは、アシュリーの代わりに口を開く。
「大丈夫。僕がアシュリーを助けるから」
「えっ?」
優しく頭を撫でられて、アシュリーの瞳からは大きな雫が零れ落ちる。
テオの言葉は、まるでアシュリーに何が起きているのか全て分かっているように聞こえた。
何も事情を話せていないのにテオには伝わっている気がして、今までの辛い気持ちが溢れ出したようにアシュリーの涙は止まらない。
その姿にテオは胸を痛めた。
「あぁ、可哀想に。大丈夫、アシュリーのことは僕が必ず守るから大丈夫だよ」
******
今日もまたアシュリーはカサンドラに手を上げる。言葉の暴力を振るう。
そこに取り巻きの令嬢達も参加して、カサンドラを責め上げていた。
(ごめんなさい、ごめんなさい。こんな事をしたいわけではないの。ねぇ、誰か気づいて。私は、こんな事はしたくない)
アシュリーの心の声に気づく者は誰もいない。
以前よりカサンドラは他の令嬢達から疎ましく思われていた。しかし学園のモットーである『爵位に優劣はなく平等』の所為で大っぴらに行動することは出来ない。
そこに王太子の婚約者という権力あるアシュリーが虐めを始めたのだ。
ここぞとばかりに令嬢達は便乗することにした。
責任はアシュリーに押し付ければ良いという打算付きで。
だがカサンドラの方に全く問題がないかというと、そうでもなかった。
一年ぐらい前から、カサンドラはカスターの傍にいるようになった。始めは他愛ない会話から。それが次第に密接になり、実際に身体も密着するようになる。
それは、いくら身分が平等をいわれようとも、婚約者がいる王太子に対する態度ではなかった。
しかもカサンドラは男爵家という低い身分に加え、母親は使用人だったため、令嬢達だけではなく令息達も『庶子のくせに』と見下していた。
学園内では平等でも一歩外を出れば、そこは貴族社会。
平民に対して冷たいものがある。
そのためカサンドラが虐められていても誰も止めないし、アシュリーも自分達と同じように考えていると思い、その行動を異変とも感じていなかった。
アシュリーが身分で差別する人間ではないと思い至る事すらない。
(このままでは、私は私でなくなってしまう)
アシュリーの恐怖と不安は募るばかりであった。
(でも、それも……きっと卒業まで)
せめてもの救いは、罵倒と暴力がカサンドラにしか向かわない事だった。
(卒業すれば私はカスター様と結婚して、もうカサンドラ様と会う事もないはず)
あと一ヵ月後の卒業まで我慢すればいい。
絶望の中に一縷の望みを託し、アシュリーは『あと少しの辛抱』と自分に言い聞かせた。