蚊
赤とんぼで敵の空母に突っ込んだと思ったら、蚊に転生していた件。
あれか、俺は人間を多く殺した所為で畜生道に堕ちたらしい。ボウフラの頃の記憶はないが、今はこうして人様の血を吸いながらなんとか生きながらえている。
お国の為に戦って死んだ俺が、その国の人間の血を吸って生きるとか、なんの皮肉かと思う。
しかし、何を嘆こうとこの身は蚊である。ヒトの血を吸わなければ一日たりとも生きては行けない。
ヒトの血が美味いかと聞かれたら……別にと答えるだろう。あれだ、傷を負って血を舐めた事がある人間なら必ずしも感じた鉄錆の味。それとなんら変わらない。
ああ、なぜこの身は鉄錆の味がする血を求めて徘徊しなければならないのか。
お国のため、いや、家族を鬼畜米兵から守るため、俺は決死の覚悟で敵母艦へと突っ込み、見事果てた。その報いが蚊への転生か。
こんな事になるのであれば、仏門へ帰依するのではなかった。ずっと神道の家系であったのに、流行りの火葬が良いとのことで回心したのが運の尽きだったのだろう。
そんな訳で俺は夜な夜な人の血を求めて、徘徊している。
蚊取り線香は敵だ。
アレには俺達を確実に殺す成分を空中にまき散らす。
蚊帳は敵だ。
アレは獲物であるヒトと俺達を遮断する。
冷房は敵だ。
アレは俺達の生命活動を著しく阻害する。
ああしかし、なぜ俺達はそうまでして生きねばならぬのか……‼
その理由の一つとして、残した妻子を見守ると言うのがある。
戦争に行く前、契りを結んだ妻は無事、子を出産したようである。それが幸か不幸かは俺には分からない。遺族年金で生活するにしても限界があるだろう。
しかし……本当に自分勝手ではあるが、子を遺せたことを喜ぶ俺がいる。
すくすくと育つ我が子を見守ることができれば、この身が蚊となったことなど些細な問題だ。
しかし、そこで俺の意識は途絶えた。
おそらく、子供の血を吸うと懸念した我が妻が俺を叩いて潰したのだろう。願わくば、今度は蚊以外の生命体に生まれたいものだ。
だが、運命というヤツは残酷である。いや、仏門と言うモノが残酷なのか……。
俺はまた蚊に転生していた。やはり、ボウフラの時の記憶はない。
生まれ変わった場所も、時期も、どうやら同じらしい。いや、一年経っているのか、周りの風景が少し変わっていた。
ぷ~んと、音を立てて飛んで行く。
勿論行先は妻子のいる場所だ。1年が経ってどのように変わっているのか……おお、立っているじゃないか、我が子は。
どうやら男の子らしい。おむつはまだ取れていないが、すくすくと問題なく育っているらしい。
俺は嬉しくなって我が子の肌に着地した。ぷにぷにしていて柔らかい肌だ。これがもう少し経ったら……。
――そこで俺の意識は途絶えている。恐らく、妻に叩き殺されたのだろう。何せ蚊である。愛しき我が子の血を吸う害虫を許すはずもない。
俺は子の成長に満足してこの世を去った。
……だが、運命というヤツはとことこん残酷だ。俺は再び蚊に転生していた。これで3回目だろうか。やはりボウフラの時の記憶はない。
今度は分かりやすく時間が飛んでいた。
なにせ、家が新しくなっている。そして妻の隣には見知らぬ男の姿が……どうやら再婚したらしい。子の成長から鑑みるに、恐らくは4~5年経過しているだろう。
なるほど……俺の生きた証は子供にしか引き継がれていないらしい。
それでも俺は幸せだ。
なにせ、こうやって成長した我が子を見守る事ができるし、幸せそうな元妻を見る事ができている。
ああ、出来る事なら、時間よ、止まって欲しい。
その日、俺は誰の血を吸う事もなく、元の家族の幸せそうな姿を見続けて餓死した。
もう満足だ。どうか終わりにして欲しい。
しかし、運命は残酷というか滑稽だ。4度目の転生。俺は我が子の子供となって生まれたらしい。
しかも、名前は俺がヒトとして死んだときの名前を付けたらしい。
……おそらく、今までの蚊として生きて来た記憶は消え去るだろう。それがいい。元妻に殺され続けた記憶なんてない方が良いに決まっている。
願わくば、我が元妻が老いて死んだとき。蚊に転生しないことを祈るばかりである。