第一章 武人と探偵 ~八極拳とバーティツです。~
エイゼル大陸西方。
様々な文化からなる様々な大小の国々がひしめき合う中、互いが互いに文化を発展させてきた。
人々の主たる交通手段は、蒸気機関を用いた『蒸気駆動乗用車』及び、蒸気機関車が客車や貨車をけん引する『鉄道』。一方で『科学』が『魔法』とともに発展し、それらを融合させた『魔術』や『錬金術』もまた身近な文化や学問として成り立っている。
製鉄・大型機械製造技術が進むにつれ、軍事力の拡大はどの国も国是としている。しかし古き良き文化や美術や民芸を残すこともまた各国の重要課題と言える。
ところで、十年ほど前に『エイゼル西方大混戦』という大戦争が起こった。それは官民ともに多くの死傷者を出し、幾度もの国境線変更や国土分断や併合など様々な混乱生んだ。
特に大惨事をもたらしたのは、『サンティーエ帝国』の最新兵器『アームド・アイアンゴーレム』である。魔法プログラムと精密機械仕掛けのゴーレムは制御を外れて暴走し、それらが配備された国境付近の町は例外なく壊滅し、停止するまで暴走は続いた。結果としてその戦争の発端であるサンティーエが自滅することで戦争は停止し、帝王不在の状態で『新サンティーエ立憲君主国(終戦直後)/サンティーエ共和国(王政議会解体後)』は周辺国々の支援を得て成り立っており、王家及び王政議会元議員は向こう三十年間の支援返済と戦争賠償に頭を抱えることになった。
時は現代。
『レアガルド王国』、『アルミス州アルミスセントラル』。
アルミス州領主邸に、レアガルド王国陸軍アルミスセントラル分隊の兵士がやってきた。
「アルミス辺境伯、ご報告いたします。先程、武装した不審者がセントラル防壁の東門にやってきたため身柄を拘束。身元不明につき、現在は分隊東門庁舎に身柄を保護しております。いかがいたしましょうか」
「そうか。敵意は?」
「今のところ無抵抗です」
「いいだろう。我が領民に危害を加えない限り丁重にもてなせ。ちょうど仕事もひと段落ついた。その不審者のもとに伺おう」
『イフリクス・イオ・アルミス辺境伯』。
立派な赤いジャケットと白いロングパンツを身にまとい、燃えるような赤毛をうなじでくくっている威厳に満ちた男である。彼は杖と帽子を手にすると用意された馬車に乗り込み、不審者のもとに向かった。
陸軍東門庁舎、独房。
アルミス辺境伯が案内されたのは、三キュビトほどの背丈、一五歳ほどの年齢、黒髪黒目の獣皮の簡単な構造の服に裸足と言うもの。性別が知らされていなければ男か女かも分からないほど、肌は汚れ、髪は乱れている。
「我こそはアルミス州領主イフリクス・イオ・アルミス。お前か、武装した不審者というのは。言葉は通じるか?」
すると、それまで壁際に座っていたその人物はおもむろに立ち上がり、アルミス辺境伯の前に立って答えた。
「……通じます。わたしは」
「貴様! 辺境伯の御前だ、跪け!」
「よい。私が名を尋ねているのだ。済まない」
改めて、少女は答えた。
「『呉空』。そして八極門。それ以外に記憶はありません。武器は誰かが戦ったあとの物を借りていました」
すると、別の兵士がアルミス辺境伯に答えた。
「クーと名乗るこの者が持っていた槍は、サンティーエ帝国陸軍の紋章が刻まれていました。おそらく野盗に堕ちた帝国の敗残兵の武器でしょう」
「なるほど。記憶喪失に拾い物の武器。そして一切の無抵抗。まあ悪人ではなさそうだ。アシュレイを呼べ。まずは彼女の身なりを整え、今日は陸軍の宿舎に泊まらせるとしよう。また、常時最低一名の見張りをつけるように。明日の午後四時、我が邸に出頭させよ」
アシュレイとはアルミスセントラル分隊長を担う細身の女性であった。彼女が空を風呂に入れ、髪を整え、下着から靴から衣服までを整えた。空は言われるがままにアシュレイに従ったが、服だけは飾り気よりも機能性を重視してブーツにジャケットにロングパンツを望んだ。
翌日、午後三時。
空はアシュレイの勧めもあって、アルミスセントラル東西南北に十字に延びる『セントラルクロスロード』に連なる屋台で腹ごしらえをする。昨晩も朝も兵士に配給するための食事は与えられたのだが、それでは足りなかったのだろう、クロスロードの北方メインストリートに着いたとたんに空の腹の虫は鳴きっぱなしだ。アシュレイはクスッと笑って、静かな表情ながら目を輝かせよだれを垂れ流す空に「何でも好きなものを注文していいわよ」と言った。
結局空は、牛肉の赤身と鶏の砂肝の串焼き、肉汁どころか粗挽きパティまでボロボロこぼれるハンバーガー、大倭皇国の寿司、大岑帝国の花巻という蒸しパン、リューラ共和国のボルシチ、レムリア共和国のカリルと、大陸各地の国々の料理を堪能した(ちなみにカリルとはレムリアの言葉で『料理』そのものを意味し、空が注文したものは多種多様なスパイスと肉野菜を使った激辛料理をパンにつけて食べる『スープ・カリル』である)。
そして空は絶賛をやめない。
「おいしい! どれもこれもおいしい! 店によって国の食文化が違うことは分かります。それでもどれもこれもが違って、優劣を決めることができません。世界にはこんなにおいしいものがあるのですね! 感激です!」
「あははは……。喜んでもらえて何より。でもそれって」
――暗に軍の配給食が不味いって言いたのよね。分かるわ、あたしも入隊したての頃思ったもの。
それは考え過ぎだ。
アシュレイは静かにうんうんとうなずいた。カリルの店主も、わき目も降らず一心不乱にスープ・カリルを頬張る空の顔を見てとてもうれしそうだ。
すると、カリルの男性店主が空を見て思った。
「ところでお嬢ちゃんはどなたかな? ここらじゃ見ない顔だが」
「ああ、店主さん。実はこの子、昨日流れ着いたばかりの記憶喪失の子なんです。名前だけは覚えてるみたいで、クーちゃんって言うそうです」
「ほぉ、クーか。だがその響きならどの国にもいそうだ。しかしレアガルド、少なくともこのアルミスでは見かけん顔立ちだな。大陸の東から来たような顔立ちをしておるが、距離があるぞ。お前さんはどこの子かなあ?」
店主の言葉には、空自身も「さあ」と答えるのみ。
だが、空の隣で立ち食いをしていた少女が答えた。
「武術を身に修めている、ということだけは分かるッス」
「えっ?」
その少女は、チェック柄のインバネスコートに同じ柄の狩猟帽、ドレスシャツにリボンタイにかぼちゃパンツという服装。腰には拳銃を修めたホルスターを提げており、拳銃のタイプはリボルバーである。そして年頃は空と同じほど。燃えさかる焔のような赤毛とルビーのような赤目を持ち、そしてその目つきは獲物を狙う鷹のように鋭いものであった。
「あ、えーと……、あなたは? あ、わたしは呉空と言います」
「おっと申し遅れたッス! 自分、『アレット・ドイル』と言うッス。職業は『レアガルド王国議会保安庁諮問探偵、武術家、ラノベ作家』。もっともラノベ作家としてはヒヨコどころか卵ですらない同人誌作家ッスけど、自分の目的はみんなの笑顔を守ることッス。よろしくお願い申し上げるッス、空氏!」
「は、はぁ……。ところでなぜ、わたしが武術をやっていると分かったのですか?」
「そのかすかに敵に迫るかのようなフットワーク、手に刻まれた傷跡やタコ、変形した手指の外皮と骨などからッスね。しかしそのフットワークは見たことが無いッス。そして得意な武器は槍。左手の親指と人差し指の間には、槍の柄が強くこすれたことを示す硬そうな皮膚がある。ほかは服が邪魔して見えないッスが、手と足を見ただけで空氏が余程の熟練者であることは自分でも分析できるッスね」
「はぁ。『自分でも』ということは、あなた以上の観察眼の持ち主がいらっしゃる、ということでしょうか?」
「うぐっ! ……み、認めたくはないッスが。自分には兄がいて、兄の頭の良さと観察眼の鋭さにはついてゆけないッス。しかし武術であれば兄には負けないッスよ。空氏ともいい勝負ができそうッス」
「そうですか。しかし、わたしは無暗に戦う力をひけらかしたくはありません。アレット・ドイル、あなたと戦う時があるとすれば、それは対立ではなく共闘であることを願います」
「自分も同感ッス。では自分はこれにて失礼するッス。店長さん、ご馳走様ッス!」
そう言い残し、アレットは支払いを済ませてクロスロードを南に向かった。かなり陽気な彼女の背中を、空、アシュレイ、店主は見送るのだが。
「あのクソボウズ、また勘定大間違えで行きやがった! これで何度目だ、差分を計算するのも保安庁に書く請求書の紙代も、請求書を送り付ける手間も考えやがれ!」
「あの子、もうそれで済ましてもらおうと思っているんじゃないかしら? 徴収手数料も取った方がいいと思うわよ。あと前払い制にするとか」
その時だった。
「誰か! その車を止めてくれ!」
メインストリートの北方から、蒸気駆動車のエンジン音と走行音、そしてそれを追いかける四頭の馬の蹄の音と叫び声が聞こえてきた。屋根のない蒸気駆動車には、麻の衣をまとった七人の男たちが乗っている。
「脱獄ですって!? 避難! 総員避難! クーちゃんも!」
アシュレイは叫び、メインストリートの人々も近くの店の中に逃げ込んでゆく。車は馬に乗る弓兵たちの放つ矢や魔法による光の弾丸『アークルバレット』を避けようとしてハンドルを切り、露店やストリート左右の店舗の建物や商品などに当たりながら逃亡を続ける。
「……こんなにおいしいものを平然と台無しにするなんて」
「クーちゃん!?」
「許せません。許しおけましょうか、彼らを」
蒸気駆動車は空に迫る。だが空は一歩も動かない。
「クーちゃん!」
「轢き殺されてえのかてめえ!」
「答えは」
そして空は、力強く跳躍した。
「否です!」
空は強く跳躍すると空中で旋回し、車体左側にかけるドライバーの右肩を強く踏みつけた。途端にドライバーの右肩は深く沈み込み、一瞬の間を置いてドライバーは痛みに叫びをあげる。
「ぐああああああああああああ!?」
「兄貴! そんな、踏んだだけで肩がえぐれるだって!?」
空は車体後部のスペアタイヤの上に舞い降り再び跳躍、空中できれいな旋回を決めたと思ったらやはりきれいに着地する。車は制御を失い魔法の街灯に直撃、シャーシやボンネットがひどくゆがんで内部固定具も損傷、蒸気機関が露出して黒と白の煙を上げる。
「やべえそ、車が燃える! みんな逃げろ!」
脱獄犯たちはドライバーの男も引きずって降りてくる。その数、ドライバーを合わせて七人。ちょうどそこに空と騒ぎを聞き駆け付けたアレットが並び、それぞれ拳と拳銃を構えるのだが。
「見てたッスよ! なかなかやるッスねえ、空氏。ではこちらも、方々へのあいさつ代わりに自分のバトルスタイルをお披露目するッス。……聞いて驚け見ては戦慄け、紳士淑女の武術は『バーティツ』。その身にてとくと味わうがいいッス!」
「バーティツ、興味あります。ならばわたしも出し惜しみはしません。『八極拳』、八紘一宇に至る一撃、ご覧いただきましょう」
そして戦いは始まった。
「なめるなよ小娘ども! のこのこ人質になりに来たの間違いだろが!」
脱獄犯たちは車に積んであったハンマーや斧などを振りかざしてふたりに向かってくる。だがアレットは涼しい顔をして敵を迎え撃つ。
「蝶のように舞い蜂のように刺す! レディーは常に華麗であれ!」
その身のこなし、まるで流れる川の水。そしてバレエのように華麗なるフットワークと手の構え。右手に持った拳銃は発砲のためではなく鈍器として使い、銃身やブリップなどを敵の体の各所(首筋、みぞおち、側頭部、脇腹、時に金的)に当ててゆき、時に狩猟帽を飛び道具に使って敵がひるんだところで脳天に拳銃のグリップを叩きつけて意識を刈り取る。
「迎え撃ちます」
空の攻撃は敵の懐めがけて一直線。敵のみぞおちめがけてエルボーアッパーを繰り出し、呼吸器を損傷させつつ吹っ飛ばす。第二第三の脱獄兵が武器を振りかざして襲い掛かってきても、敵の腕の外側、脇腹めがけて再びエルボーを突き刺して脇腹をえぐり、また肉薄して肩での体当たりで敵を吹っ飛ばす。ローキックで敵のすねにダメージを与えて移動を封じ敵の腕をつかんで自身をその場で旋回させることで相手の平衡感覚を奪いつつ敵を持ち上げ一気に地に落とす。
「バーティツ。各国各流派の戦闘理論を取り入れ紳士淑女の武術として発展させた華麗かつ実戦的な武術ッス。どうッスか?」
「八極拳。一撃必殺二の撃ち要らず、王者の風格纏いし拳。あなたたちのようなならず者などわたしの功夫に及ぶこと無しとご承知おきください」
恐るべき戦術、恐るべき力。
脱獄犯の誰もが、ふたりの少女にただただ平伏すほかなかった。