プロローグ 港町にて ~はじめまして。八極門・呉空と言います。~
レアガルド王国南方アルミス州。
同・港町アンカーボルト。
ひとりの幼い少女が船乗りに追われている。
「誰かそいつを捕まえろ! 泥棒だ!」
船乗りたちは叫ぶが、アンカーボルトの人々は逃げる少女や彼女を追う船乗りと距離を置く。正義がどちらにあるか分からないまま関わることを嫌っているである。
だが少女は、このままでは追い付かれると踏んでか自身よりは年上と思われる通りがかりの少女の背に隠れた。そして通りがかりの少女は、『レアガルド王国陸軍』の女性用軍服とミリタリーコートに身を包み、フードを目深にかぶり、左肩に漆黒の槍をかけ、右手では買ったばかりのサンドイッチをつまんでいた。
「誰ですか?」
「軍人のお姉ちゃん助けて! 追われてるの!」
「おい、軍人が相手だぞ。どうするよ?」
「こんなチビ助が少尉なんて階級のはずがねえ。その服はどーせ軍の放出品だ。おい小娘、そのガキを引き渡せ。そいつぁ俺たちの船から食料を盗んだんだ!」
「人をさらっといてよく言うよ! お姉ちゃん助けて、あたし、奴隷として売られるなんて嫌だ!」
双方の言い分は理解した槍の少女だが、サンドイッチをすべて口に押し込んでよく噛みもせず飲み下した。
「この町では、奴隷として人を売り買いして使役することはまかり通っているのですか?」
「知ったことか。遠く離れた国で売りさばきゃいいってことよ。逆らうならお前も捕まえて奴隷にして売っぱ」
だがそう言い放った船乗りの言葉は続かなかった。
何と、槍の少女は槍の穂を覆うブレードガードを彼の首筋に叩きつけ、海に落してしまったのだから。
「な……!?」
槍の少女は唇を右手首で拭い、今度は両手で槍を構えた。
「『八極門、呉空』。尋常に勝負」
そして、呉空と名乗った少女は頭を軽く振ってフードを脱いだ。
身長は3キュビト(約150センチ)ほど。肌は白く顔立ちは整っており、黒髪黒目はまるで黒曜石と黒真珠のように美しい。そしてその声も、少年のように低く強いながら職人が仕上げた楽器のように美しく澄んでいる。
「てめえ!」
「一斉にかかれ! 手足の一本くらい折って構わねえ!」
そして船乗りたちは湾刀に燧石式銃など物騒な武器を掲げるが、それを構える前に空は槍で彼らの両腕ごと武器を叩き落し、穂や柄頭、時には柄を用いて彼らを薙ぎ払い、時に蹴りや体当たりなどを駆使して海に突き落としてゆく。その技、その身のこなし、その精度、どれひとつ取っても洗練されていた。そして増援を含む十人以上の船乗りたちは、ひとり残らず地と海に沈んだ。
「お姉ちゃん……!?」
奴隷の少女は槍使いの少女・空を見上げる。そしてアンカーボルトの人々も、「あの子すげえ!」「名のある武術家に違えねえ!」と空の活躍に感激して拍手喝采を送る。
「別にそんな……。それなら、奴隷として売られそうになった子の子を保護してください。それとお伺いしたいことが」
「何だい、槍使いの嬢ちゃん」
「呉空。空と言います。わたしはアルミスセントラルからまいりました。アンカーボルトの冒険者ギルドに伺いたいのですが」
空は左腕に巻かれた銀色のブレスレットを見せる。そこに刻まれた紋章は冒険者ギルドのライセンスであることを示している。
「そうか。それならこの案内看板を見るといい。この赤い点が現在地。冒険者ギルドはここだ。気を付けて行けよ。あと、奴隷の子を助けてくれてありがとうな」
「構いません。わたしはわたしの仁義のままに」
そう言って、空はコートを翻して槍を担いで踵を返した。
凛然たる振る舞いで去って行く空に、町の人々は「気をつけてな」「また立ち寄ってちょうだい」「ありがとうな」とあたたかな声をかける。そして奴隷の少女も、道を聞かれた男性にしがみついて空を見送る。
だがひとつ、疑問が残る。
「はっきょくもんって、何だ?」
これより綴るは『八拳演義』。
武術の達人たちが人々に害為す者らに立ち向かってゆく、これは英雄譚である。