第四章 刃と魂 ~拙者、旅の剣客にござる。~
レアガルド王国アルミス州東方、アイアンマウンテン。
その名の通り、この地では昔から鉄が採れた。
川の砂を洗えば大量の砂鉄が採取でき、山の岩肌を削れば鉄分を含んだ石が採取できる。
製鉄所や鉄工所も栄えており、良質な包丁などの日用品から剣などの猟具や武器まで鉄製品なら何でもそろう。その代わり、この地の空気はあまりきれいではない。
「けむいです……」
「まあ、採鉄と製鉄の町ッスからね。でも一昔前は今よりもっと酷くて、各製鉄所に排ガス対策義務を課したらしいッス。健康被害をもたらすガスは、もうないッスよ」
「そうですか。では串焼き屋台の煙と思っておけばよいでしょうか」
「中にはホントに串焼きの煙もあるッスよ。空は食いたいッスよね? おいしい焼肉?」
「食べたいです!」
話を聞いた瞬間に、空はよだれをすする。
「よ、よしッス。まずはギルドに行くッスよ!」
ふたりはまず冒険者ギルドに赴き、この地の寺院の清掃クエストを受注。翌朝に集合とのことで、この日は肉野菜料理が評判の居酒屋で食事にするのだが。
「このお肉、なんだか変な味ですね」
「まあ、この町のよどんだ空気を吸って育った家畜の肉っスからね。健康被害が無いことは錬金術師のお墨付きッスが、とは言えこれでは」
塩やハーブでにおいを消しつつ味付けされているが、とは言え消し切れない産業排煙のにおいが気になって食が進まない。そんな二人に、隣の席の女性が声をかけてきた。
「であれば魚料理がよいでござろう。川はさほど工業排煙に侵されることもなく、海の幸であればこの地の空気に汚染されてもござるまい。もっともそれだけ高くなるでござるが」
「はっ、はぁ……」
その女性は、赤白の着物に紺色の袴、ブーツ、そしてピンク色のリボンと言うもの。黒髪黒目で、体格も顔つきもどこか空に似ている。あくまで人種的な意味で。
「ところで、お姉さんはどなたッスか? あ、自分は保安庁諮問探偵のアレット・ドイルと言うッス。こっちは旅仲間で冒険者の呉空ッス」
「拙者、河上ひまりと申す。旅の剣客で、職業は冒険者でランクはD。明日、ドイル殿、呉殿と共にジグラス清掃のクエストを受注してござる。明日はよろしくお頼み申す」
「こちらこそッス。自分はアレット、こっちは空。敬は省いて構わないッスよ、ひまり氏」
「心得た。拙者も氏の敬称は結構にござる」
「了解ッス。しかしひまり、その本は何ッスか?」
「これでござるか?」
ひまりはゴロゴロとした鶏肝に七味唐辛子を練ったマヨネーズにつけて食べながら、一冊の本を読んでいた。
「これは、ジグラスから借りてきた古文書にござる。このような古文書はこの国の各地のジグラスにあり、東に位置するサンティーエ共和国やシュトラルラント王国にもあると言われてござる。もっとも、その内容は各地で微妙に異なるようでござるが」
「へぇ~。どんなことが書いてあるでござるか?」
そう尋ねるアレットに、空は「口調、口調」と注意する。
「この古文書は、『災禍の神と伝説の八士・レアガルド伝記』と題されしもの。遥か昔、このエイゼル大陸には大いなる災いがあったとされており、その災いを退けたのが八士、すなわち異なる能力を持つ八人の戦士である、それが物語形式で綴られたものでござる。もっとも山の如く巨大なドラゴンなどいるはずもなく、八士のひとりが人々の祈りに応じて受肉した天使と言うのも、もはや御伽話の域を出ぬ。しかしこれが史実、あるいは予言書であるならば、荒唐無稽な物語になるまで大幅なアレンジがなされたと見るべきでござろう。拙者はこの物語がどうも気になって、冒険者の傍ら考古学者の真似事もしているのでござる」
「なるほど、考古学ッスか。それは面白そうッスね!」
「ああ、面白きものにござる。物語として形を変えた歴史を、もはやこの目で見ることの叶わない過去を、読み解き空想し答えを出す。それがたまらぬほど楽しいのでござるよ」
そう考古学について語るひまりの目は、夢見る乙女のものでありながら、真剣に謎を解こうとする学者のものでもあった。そんなひまりの顔を見て、アレットと空は微笑んだ。
「その考古学、いつかきちんと答えを出せるといいッスね」
「ああ、必ず解き明かして見せよう」
「ん! それじゃあ今日の出会いを祝して乾杯っス!」
「うむ、乾杯でござる」
「はい。乾杯です」
空、アレット、ひまりは、それぞれのグラスを掲げて飲み干した。
安宿に泊まって腹ごしらえし、迎えたジグラスの清掃。
ジグラスは正方形のレンガ壁に囲われ、壁の角地に小さな円塔があり、境内の中央に巨大な尖塔がそびえ立つ。その周囲にも小さな灯篭、祠、池や回廊などがある。
「ここは……」
ジグラスに到着するなり、空は塔を見上げて呟いた。
「ん? 空、ここ知ってるんッスか?」
「はい。正確には、この町とはまた別のこの塔の中で目を覚ましたのが、わたしの記憶の始まりなのです。あの建物はジグラスと言うものだったのですね」
すると、今度はひまりが空の顔を覗き込んだ。
「ん~……」
「えっ? ひ、ひまり? わたしの顔に何かついているのですか?」
「いや、何もござらん。記憶喪失、記憶の始まりがジグラス……。まるで伝記の八士のひとりのようだと」
「八士のひとり、ですか?」
「ああ。まあその話は、今回の清掃業務のあとにいたそう」
クエスト発注主は、ジグラス・アイアンマウンテン分院管理者兼『祈り手』であるエウニル(正しい名は『エウニル・ジグラス』。ジグラスの祈祷師は俗名を捨て祈り手としての名と立場を与えられる)。エウニルは人数分のロープと安全帯を用意し、「塔のてっぺんからぶら下がってデッキブラシをかけてほしい」と言う。
外壁の汚れは日常的な掃除では追い付かず、こうして外部から働き手を募って徹底的な汚れ落としを依頼しているのである。手順は、デッキブラシ担当とポンプによる水汲み上げ担当に分かれ、水が塔全体を濡らしている間にブラシ掛けし、さらに水を流して浮いた汚れを落としてゆくというもの。
集められた人数は二十人。十五人がデッキブラシ、五人が交代で水汲みを担い、一日がかりで中央尖塔を清掃。一定の時間で役割を交代するが、水汲みは主に男性が担う。その後は二日かけて周囲の設備を清掃してゆき、伸び放題の草も刈り取ってゆく。刈った草は管理棟のそばの小型サイロに押し込んでしまう。エウニルは「これを発酵して畑の肥料にするのだよ」と言う。
三日かけてジグラス全体の清掃クエストは完了。冒険者たちはギルドに戻って報酬を受け取り、そのお金でめったに食べられない魚料理に舌鼓を打つ。それを見越して飲食店も、日頃より多くの川魚や海産物を取り寄せていた。