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第九十四話 寧王殿下の償い




翌日の総攻撃を前に、清栄門(せいえいもん)の私の軍営は静まり返っていた。


幕舎の外では兵たちが焚火を囲み、鎧を磨き、矢羽を整えながら決戦に備えている。


だがその中央・私寧王の本営には、別の緊張が張り詰めていた。






私は、地図が広げられた卓の上に手を置き、深く息を吐く。





「……いよいよ明日、凰影門(おうえいもん)へ進軍する。しかし私には、もう一つ成すべきことがあるのだ」



それに、岳珩(がくこう)が黙って頷く。


その瞳は氷のように冷たく、それでいて烈火のごとく忠誠を湛えていた。


「正妃を、お救いするのですね」


私は頷き、声を潜めた。



赫連 景(かくれんけい)は、凌雪(りょうせつ)を人質にして私を縛ろうとしている。だが、あのような卑劣な鎖に永遠に縛られていては、我が剣も軍も意味を失う。……ゆえに明日、魅影(みえい)に託した策を実行する」




卓上には小さな巻物。そこには魅影からの報告が細かに記されていた。




「すでに魅影は城内に潜り、凌雪を門壁の前まで導くと申してきた。

城の警備は赫連 景が明後日の鳳関に備え、凰影門の兵を集めたため手薄になる。そこを突く」



岳珩が腕を組み、険しい声で言う。


「殿下自ら動かれるおつもりですか。私一人でも足りましょう」




―――私は、それに首を振った。




「いや。凌雪は私の正妃。私が行かずして、誰が行くのだ。……この手で凌雪を救い出す。それを成してこそ、この戦に臨む覚悟が立つのだ」


岳珩はしばし黙し、やがて膝をついて答える。


「承知しました。ならば私も共に。殿下の盾となり、血路を開きましょう」


幕舎の中に、再び沈黙が落ちる。

外では軍鼓の音が遠く鳴り、明日の決戦を告げていた。



だが私の胸に響くのはただ一つ――愛しい妻を必ず救い出すという決意のみだ。

私は灯火の揺らめきの中で、剣を強く握り締める…





「凌雪……必ず私が迎えに行く。待っているのだ」








凰影門(おうえいもん)侵攻の翌日―――





東の空が白み始めた頃、決意の甲冑に身を包んだ私の元に音もなく一人の影が現れる。


それは全身を黒衣に包んだ魅影だった。





「……殿下」





彼女は地に膝をつき、囁くように報告した。





「正妃様はご無事でした。本日奥方を門壁近くの隠し通路までお連れいたします。見張りの兵は明日の鳳関(ほうぜき)に備え、城門の兵が出発し手薄になる刻……その一瞬を突きましょう」





私の胸に鼓動が激しく打ち寄せる。


「凌雪……」


声にならぬ声が喉を震わせる。

岳珩は剣の柄を確かめ、静かに言った。


「殿下。ここより先は刹那の勝負。私が血路を開きます。殿下はただ奥方をお連れになりお戻りください」


私は力強く頷き、瞳に決意を宿した。



「それから魅影、もし凌雪が“真に私の御意か”と疑念を抱いたその時はこの繍帕(しゅうば)を…」






私はあの別れの朝に、凌雪から送られた「栗鼠(りす)の刺繍」のついたそれを魅影に渡す。




その繍帕は蕭烈微(しょうれつび)が施したために、彼女は「初めて子の事を祝われた」と言って喜んでいたものだ。可愛らしい子栗鼠が、木の実を手に喜んでいる様子が描かれたそれを、私はぎゅっと握りしめた。




私は兄上との事を疑い、凌雪に子が宿りしことを知った時も、心からの喜びを感じてやれなかった。


彼女を手中に収めたというのに、私はどれほどの仕打ちを彼女に強いたか…懐妊の折、凌雪はどれほどの苦痛を堪えていたのだろうか。






それと違って、兄上は―――


凌雪がその手を離れ私の元へと嫁いでからも、常にその身を案じ、その深い想いを胸の奥に秘めておられた。


いかなる時も、その御心が揺らぐことはなかったのだ。


そしてあの香袋に自らの髪を収め、凌雪に手渡した…。




父帝の血を疑い、天黎(てんれい)に逆賊の旗を翻し、万死に値する所業を犯してしまった。


今こそ、凌雪を救い出し、兄上にこの身を捧げて償おう。





こうして私は、軍師・張季衛(ちょうりこう)に軍の全ての指揮を任せると、岳珩と共に凰影門へと向かった。



魅影の指示通り”けもの道”を抜け、(もん)の死角に身を潜め、ただひたすらに時を待つ。


約束の合図である蒙成(もうせい)軍の出立の鐘が鳴り響いても、魅影は一向に姿を見せない。



「殿下、魅影に何かあったのでしょうか…」



岳珩の顔に、焦りの色が浮かぶ。

彼の言葉は、私の胸に渦巻く一抹の不安を具現化させた。




そのうちに、遠方から大地を揺るがすような地鳴りと、天を衝くような(とき)の声が聞こえ始めた。



計画通りに蕭烈微(しょうれつび)率いる景国の軍勢が、こちらを目指して迫ってきているのだ。





「殿下、どうされますか?私が乗り込んで様子を見てきましょうか?」


「しかし闇雲に中へ乗り込んでも、凌雪の居場所がわからぬ…」





そう岳珩に答えた、その時だった――――







「この女の命は、我が掌の中にある!!蒙成を攻めれば、その矢の一本が彼女を射抜くやもしれぬぞ。


どうだ、煊王李煌(けんおうりこう)!!義妹凌雪は天黎(てんれい)王家の大事な子を身籠っているのであろう?!」





空を裂くような赫連 (かくれん)(けい)の叫び声が響き、そして兄上が凌雪の名を叫ぶ悲痛な声が耳に入った。




「赫連 景!!凌雪を解放せよ!卑劣な真似をするな!」






寧王李璿(ねいおうりせん)よ!聞こえるか! この女を救いたければ、兄を討て!


 さもなくば……この場でお前の正妃凌雪の首を落とす!」





赫連 景の私への言葉だ。

それにふと石壁の隙間から視線をやると、門壁の前に赫連 景に刃を突きつけられた凌雪の姿がある。


彼の手によるその冷たい銀の刃は、今にも凌雪の命を刈り取ろうとしているかのようだった。





私は寸分も迷わず、岳珩に向かって言う―――



「岳珩、赫連 景の隙を衝き凌雪を救い出すのだ」



岳珩は、私に力強く頷いた。




「殿下。この身が必ずや殿下の背をお守りしますゆえ、一瞬だけ、赫連 景の気を引いてください。そうすれば、全てをうまく導いてみせます」



「頼んだぞ、岳珩」







私はそう頷くと、岳珩と一緒に赫連 景を奇襲し凌雪を奪還した。





剣を交え、僅かながら肩に傷を負ったものの、何とか凌雪を助け出すことができた。


その隙に、兄上が率いる我が天黎の軍が一斉に進軍を開始する。



兵士たちは血に染まりながらも、天黎のため命を懸けて戦っていた。

蒙成軍も果敢に立ち向かってくるが、先ほど鳳関へ一部の軍が向かったせいか数の上で押されているようだ。




赫連 景もまた、不利な状況に追い込まれていく。







―――その時だった。






何十万もの兵の間を、一筋の白い光のように駆け抜けて来る兄上の愛馬・玄風が目に入った。


雨のように降り注ぐ矢をかわしながら、迷うことなく赫連 景目指して疾走してくるその姿に、私は戦神の姿を見る。



本気で戦えば、韓昭(かんしょう)や岳珩でさえも敵わないと言われていた、兄上の本当の強さが脳裏に蘇った。



幼き頃から何度も戦いを挑み、勝利を喜んだことは一度たりともなかった。しかしそこには常に、私を見守る兄上の姿があったのだ。





怒りを滲ませた兄上が、私に深手を負わされた赫連 景の前に立ちはだかる。


私は凌雪を腕に抱き、共に兄上と岳珩の背の裏に身を寄せた。


これ以上、彼女を危険な目に遭わせたくはなかったからだ。




その時赫連 景が叫んだ一言で、止んだかと思われた矢の雨が、再び我々へと降り注ぐ。


数は少ないものの、剣で防ぐのが精一杯なほどの激しさだった。









―――そしてその一瞬の事だ。





私の腕からすり抜けた凌雪が、咄嗟に兄上の背を庇うようにして覆いかぶさる。

一本の矢は、その背から彼女の胸を鋭く貫き、彼女は足元から崩れるように倒れ込んだ。




「凌雪っ!!」




私は反射的にその名を呼んだが、目の前にいた兄上の狼狽ぶりは甚だしく、とても声をかけられるような状態ではない。



まるで兄上自身の全てが、目の前で砕かれ失ってしまったかのように、その顔から血の気が引いていくのがわかった。





だが、矢の雨は降り注ぎ、我々は必死にそれを防ごうとするしかなかった。






私は、震えながら凌雪を抱き上げる兄上を、この剣で庇うことしかできない。

このままでは兄上のお命も危ないからだ。




凌雪……私の正妃、凌雪……。




兄上と同じほどの苦しみが、胸を抉るように襲ってくる。




「兄上!兄上!!お気を確かに!!」



降り注ぐ矢を交わしながら、私は兄の名を叫んだ。






兄上もまた、悲痛な叫びを上げ、その目に宿る光が狂気を帯びて鋭さを増していく。


それは今までに見たことがない、すべての感情が燃え尽きたかのような怒りだった。






殺意に満ちたその眼差しが、まっすぐに赫連 景だけを捉えた――――





兄上の剣が、まるで雷のごとく一閃する。



「おのれ赫連 景――――――!!!!許さぬ!!!」



瞬きする間もなく、目の前に立ちはだかっていた蒙成の皇太子・赫連景の胸は兄上の剣によって一突きで(つらぬ)かれた。





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