第九十二話 息もつかせぬ死闘
私は蒙成国皇太子・赫連景に、薄暗い地下道から城門の前に引きずられるようにして連れて行かれる。
その中で、鳴り響く喧噪が唐突に途絶えた。
凰影門の門壁の前に、私を連れた赫連 景が姿を現したからだ。
陽光を反射する皇太子殿下の天黎蒼龍の軍旗、風に翻る蕭烈微の深紅の軍旗。
そして…寧王殿下の緑龍の軍旗―――それが一斉に静寂を纏う。
赫連 景の腕に、絞められるようにして抱えられた私の首元。
そこに押し当てられた刃が、初夏の光に冷たく反射した。
「天黎皇太子・煊王李煌!!」
赫連 景の声は天空を切り裂き、戦場を一瞬で凍りつかせていく。
「そなたの義妹、寧王の正妃をここに見よ!」
青葉がざわめく音さえも、不気味な静寂に吸い込まれてゆくようだ。
私は瞳を揺らがさず、まっすぐに前方を見つめていた。
「…凌雪!!」
皇太子殿下の私の名を叫ぶ声が、静寂の中響き渡る。
赫連 景は指先で私の顎を持ち上げ、冷笑を浮かべた。
「この女の命は、我が掌の中にある!!蒙成を攻めれば、その矢の一本が彼女を射抜くやもしれぬぞ。
どうだ、煊王李煌!!義妹凌雪は天黎王家の大事な子を身籠っているのであろう?!」
殿下の御心を思うと、今にも胸が張り裂けそうだ…。
皇太子殿下には、私の命ではなく絶対に天黎を選んでいただきたい…
だが、それを煽るかのように赫連 景はさらに声を高らかにして叫んだ。
「寧王李璿よ!聞こえるか! この女を救いたければ、兄を討て!
さもなくば……この場でお前の正妃凌雪の首を落とす!」
赫連 景が刃をぐいと押し当てると、私の喉元に鈍い痛みと共に赤い線が浮かぶ。
そこにいる、天黎の兵たちの息が止まった。
この鼓動が、戦場全体の静寂に重なるようだ。それくらい静まり返っている。
そして皇太子殿下が、馬上からこちらに向かって声の限り叫んだ――
「赫連 景!!凌雪を解放せよ!卑劣な真似をするな!」
だがここにいる赫連 景は、冷ややかに目を細めただけだ。
私は遠く目の前にいる皇太子殿下のお姿を、真っ直ぐに見つめた。
その表情には、心からの憂いが影を落としている。
かつて深い想いを抱いた彼の、悲しみに満ちたその眼差しに、私の胸は締め付けられるようだった。
そしてその左側前方には父・凌孟昊がいる…
ここまで育てていただき、心から感謝しております。
不肖の娘だったことを詫びると同時に、先立つ不孝をお許しください。
どうかいつまでもお元気で…
私はきっと、天黎の為にここで死にゆくでしょう…
寧王殿下…子は一緒に連れてまいります。
…この先いかなる苦難が降りかかろうと、どうか気高く生きてください…
その時、ふと寧王殿下の緑龍の旗の下を目を凝らして見つめた。
寧王殿下のお姿は、どこにも見当たらない…
あそこにいる方は、確か…寧王府に何度か遊びに来られた軍師の方だ。
寧王殿下…
御心に深い傷を負わせてしまい、申し訳なく存じます。
深き情愛を賜りながら、この身は、その半分でもお返しできたのでしょうか。
私が去った後、殿下が悲嘆に暮れることを思うと、心残りでなりません…
殿下と、そして子と三人で睦まじき日々を重ねとうございました。
ただこの身に賜りました御厚情、心より感謝申し上げます…
最後に一目、そのお顔を拝見したかった…
「赫連 景!天黎は、ここに屈しません!私を殺せば良い!」
赫連 景の耳元で、私がそう叫んだその時だった。
「凌雪!!」
聞き覚えのあるその声と共に、門扉の隙間から疾風のような影が飛び込んでくる。
それは…
「寧王殿下…!!」
「早く、こっちに!!」
殿下の鋭い双眸は、炎のごとき怒りと焦燥に燃えていた。
赫連 景の刀が私の首に迫る瞬間、殿下は身を翻し、自らの肩を刃にかすめさせながら私を赫連 景の手から強引に引き離す。
その瞬間、微かに殿下の熱い血が飛び散り、私の頬を濡らす。
「殿下!」
叫ぶ間もなく赫連 景の剣が閃光を放ち、殿下の剣と激しく打ち合った。
「私は大丈夫だ!」
火花が飛び散り、金属音が交差する。
二人の姿はもはや人の目には追えぬほどの速さで乱舞し、息もつかせぬ死闘の幕が切って落とされた。
その横では、殿下の護衛岳珩さんが疾風のごとく動いている。
赫連 景の護衛兵がなだれ込むと同時に、岳珩さんは黒い影のように立ち塞がり、その手の剣を自在に操り次々と敵兵を切り倒していった。
「寧王殿下…」
私はその場に腰を抜かしたように倒れ込み、ただそれを呆然と見つめる。
「寧王殿下に、指一本触れさせぬ!」
その岳珩さんの声は鋭く、城門に響き渡った。
赫連 景は歯を食いしばり、寧王殿下を睨みつけている。
「愚か者め…自分の命を捨てるつもりか!」
殿下は血に濡れた剣を振りかざし、赫連 景に真っ向から応じた。
「この命など、惜しくはないのだ!!凌雪を奪うことだけは、決して許さぬ!」
岳珩さんが殿下の背を守り庇いながら、赫連 景の兵達を烈火のごとく切り払っていく。
その光景を私はただ震えながら、黙って見ていた。
――殿下は、自らを省みず、必ず私を救い出そうとしてくださっている。ご自身の命を賭けて…
その時だった――
赫連 景の動きが一瞬わずかに遅れた。
それを逃さず、寧王殿下の剣が赫連 景の肩を深く切り裂く。
「……っつ!」
その時、赫連 景の口から低いうめき声が漏れ、鮮血が宙に飛び散った。
寧王殿下はその隙を突き、そこにいた私の手を強く引き寄せ、腕の中に抱き込んだ。
「凌雪、こっちだ!」
寧王殿下の声は鋭く、命を賭けた決意に満ちていた。
岳珩さんがすかさず前に立ち、迫る蒙成の兵を払っていく。
だが赫連 景も負けてはいなかった。
彼は、傷を押さえながらも、声を力の限り張り上げる。
「構わぬ!矢を放て!その女を逃すな!」
次の瞬間、城門の“守りの壁”から一斉に弓兵が矢を番え、こちらに狙いを定めた。
無数の矢先が光を反射し、空気が凍りついたかのように重くなる。
「殿下!」
思わず声を上げる私の視界に、矢の雨が迫る。
その時だった――。




