第八十九話 天黎の決断
「よし!寧王の軍がついにこちらに帰順するぞ!」
私は、寧王からのその報せに、喜びを隠せなかった。
これで蒙成に、勝利することができると―――
「殿下…私は寧王殿下を、信じきれませぬ…」
「凌孟昊…」
辺境から戻ったばかりの彼は、諭すような静かな声で話を続けた。
「雪児が今赫連 景の手にあり、寧王殿下が娘を何とか助けようとされている事は、私も深く理解しております」
「凌雪は必ずや無事に取り戻す。凌孟昊、これから鳳関での入念な策を練らねば」
「いいえ。殿下が鳳関へ出向かれる事に、私は反対でございます」
「そなたは娘がどうなっても、構わぬのか?!」
「いいえ。私も娘には無事に帰ってきてほしい。それが親心というもの」
「……」
「だた…娘の命は既にないのではと、そう思っているのです…」
辺境から戻ったばかりの凌孟昊が言った意外な言葉に、私は言葉を失った。
―――凌雪の命が既にない?
「我が娘は、身重であり地下牢から蕭烈微に拉致され、その後行方が分かりません。どこで遭ったのかはわかりませんが、恐らく赫連 景に捕まったのは確かでしょう。
ただ…赫連 景は狡猾で有名です。そのような者が人質として利用するのに、生かしているとは思えぬのです」
「……」
「今や、天黎は蒙成の敵。その敵の王妃を利用はすれども、生かしておくことはまずせぬはず」
「しかし、寧王を脅すのには利用できるではないいか。生かしておく価値は十分ある」
「いいえ。生かしていると見せかけて、こちらの攪乱を狙っているのでございましょう。
現に姿を見たものが誰もおらぬ様子」
確かに…
生きていると見せかけて、繍帕や衣の切れ端を送り付けているのか?
寧王の文には、その姿を見たとは書かれていなかった…
「では…凰関の休戦会談で、私が確かめてこよう…」
「なりませぬ。鳳関での会談に挑めば、殿下のお命はございません。
例え天黎の兵が包囲したとしても、あちらも予測しているはず。
用意周到に策を練ってくるでしょう。こちらが優位という事は決してございません」
「しかし、私は”凌雪が生きていると言う望み”がある以上諦めぬ!」
「殿下が娘を想ってくださる気持ちは、私も心から感謝しております。
しかしあのような愚娘の事は、もうどうかお忘れください…」
「そなたは、自分の娘を見殺しにするのか?!」
「いいえ!!」
凌孟昊は目を真っ赤に潤ませ、私を真っ直ぐに見据えた。
「凌孟昊…」
「娘を見殺しにするのではございません…殿下をお守りするという事でございます!もし凌雪の命を最優先に考えて行動すれば、皇太子殿下寧王殿下、共に命はありません。そうすれば、この天黎はおしまいです!
鳳関にはいかぬよう、どうか‥‥
寧王殿下がこちらに付いたのであれば、攻め込めば必ずや勝利を得られます。なのでどうか…ここはひとつ御冷静な判断を」
「……」
「すぐに寧王殿下に文を書かれて、鳳関にはいかぬと…
そして寧王殿下には、兵を率いて凰影門に進軍するようご命令ください」
「凰影門へ?」
「今あそこは、天黎で唯一蒙成の軍営になっている場所。
あの門を奪還し、蒙成に一気に攻め込むのです。
蒋玄庭が西から攻め込み、景国が東から。
正面から寧王殿下が攻め込まれるのを見届けてから、こちらの軍を追従させましょう。
すれば、必ずや勝てます!」
「……」
「今朝、蕭烈微から文が来ましたが、東の景国側からは既に進軍が可能だと。
明日鳳凰影門に向かうと」
「明日?」
「鳳関のお約束されている日より一日前に動きます」
「ならぬ!!凌雪が生きていたらどうするのだ!赫連 景が何をするかわからぬ。
ここにいては手も足も出ぬのだ!凌雪の安否がわからぬのに…私は凰影門を攻めるなど…」
「おそらく…寧王殿下の文にも書かれていた通り、生きていれば娘は今凰影門にいるでしょう」
「……」
「蕭烈微に文で問うたのです。娘を景国に連れて行ったのかと。今朝来た文に寄れば、景都の外れの林関に連れて行ったと」
「林関ならすぐそこではないか!なぜ凌雪は皇宮へ戻らぬのだ」
「韓碧心の為です…」
「韓碧心の?」
「韓碧心の父は韓清之。皇宮に戻れば命がないと思ったのでしょう」
「ならば凌雪は…」
「おそらく寧王殿下がいらっしゃる清栄門を目指したのでは」
「……」
「幼き頃より雪は、天黎の関門の地図で、玄洵と石を駒に見立てて転がして遊んでおりました。ですから清栄門の位置も頭に入っているはず」
「……」
「その途中で、赫連 景に捕まったのでしょう。清栄門の辺りは、もう天黎ではなく蒙成の兵が占領しているのですから…」
私は凌孟昊の言葉に、寧王から来た文をもう一度読み返した。
私の中で迷いが渦巻いている。
天黎を守らねばならぬ使命と、凌雪の命を救いたい思いと‥‥
寧王の文には、凌雪を助けて欲しいと切実な思いが綴られていた…
それと同じように、私も凌雪が生きていれば、見殺しになどできぬ。
皇太子 煊王李煌殿
不肖の弟・李璿、ここに筆を執ります。
我は父帝にも、兄上にも背き、罪は山よりも重く、海よりも深し。
命を以て償わんとすれど、到底足らぬこと、重々承知しております。
されど、願わくは愛妃・凌雪の命だけは、兄上のお力にてお救いください。
我が身はすでに塵と帰す覚悟なれど、妻と子の命までは奪われたくはございませぬ。
今ここに誓います。我が率いる慶淵王配下の軍勢、すべて天黎へと帰順させました。
兄上の御旗の下、共にこの国を守り、蒙成を討つ覚悟でございます。
すでに軍へも伝令を放ち、ただちに蒙成討伐の布陣に入らせております。
兄上、どうか御身をお守りくだされ。
父帝にも必ずお伝えくださいますよう。
赫連景の狙いは、兄上の御首、そして我が首にございます。
父帝は、二子を同時に失っては到底お耐えになれませぬ。
兄上こそ、天黎の柱なれば。
我が身は盾となり、赫連景と相討つ覚悟。
されど、その間だけでも――どうか凌雪をお守りくだされ。
不肖の弟 寧王 李璿 拝
李璿……私は…どうすればよいのだ…
こちらに帰順した兵には、全て伝令が指令を伝える。
凌孟昊が言うように、凰影門に向かわせるべきか?
だが、寧王が一緒に送って来た赫連 景の文には、もし私と寧王が来なければ、凌雪の首をと書いてあった…
凌雪…今そなたは一体どこにいるのだ。
なぜこのような事になった…
凌孟昊が言うように、凌雪は既にもうこの世に…
寧王から文が来てすぐに密偵は凰影門の中をずっと探している。
しかしどこにいるか、全く見つからぬと。
凌孟昊は恐らくそれで、凌雪はもう死んだと言っているのか…
「凌雪…」
もしも…それが本当ならば私は赫連 景を決して許さぬ…
通常…休戦会談というのは、本来和平を視野に入れたもので、決して相手を討つ目的で顔を合わせるのではなかった。
そこで、凌雪を利用して私の首を取ると言うのなら…
「殿下…ご決断を…」
「わかった…赫連 景が鳳関へ出立する前日、凰影門を攻撃する。…それを…
寧王と、全軍営へ伝令せよ」
「御意」




