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第八十二話 私が離すべき手


皇宮から私の軍営に、急を告げる使者が血相を変えて駆け込んできた。


「何事なのだ…」


「寧王殿下!!寧王妃凌雪(りょうせつ)殿が重傷を負われました!」


「何!?」


その一報が、まるで鋭い刃のように胸に突き刺さる。



私は慌てて椅子から立ち上がり、全身の血が逆流するような衝撃で、しばらくは息をすることさえ忘れていた。


重傷だと?あれから一体何が凌雪に起きたと言うのだ……?

彼女は、二日前にはるか蒙成国(もうせいこく)へと向かったはず。


―――道中、何かが起きたのだろうか?


その考えが頭をよぎった瞬間、焦燥感が全身を支配した。


いてもたってもいられず、すぐに馬に飛び乗ると皇宮へ向かう。


彼女の無事を確かめるまで、私ははやる気持ちを抑える事などできず、鞭を握る手に力がこもった。


馬に跨ると同時に、全身全霊で強く蹴りを入れる。

風が耳元を切り裂き、景色が猛烈な速さで、後ろへと過ぎ去っていき、進むべき道以外は何も目に入らない。


…凌雪、どうか無事でいてくれ……!


心の中で何度もそう祈りながら、私はひたすら皇宮への道を駆け抜けた。



皇宮の門をくぐると、私は皇宮の門前馬借りへと馬を預け、私は駆け足のまま中へと進んでいく。


門衛の制止も耳に入らぬほど、私の心はただ凌雪の無事を祈っていた。


その馬借りのすぐ近くに、一台の馬車が停まっているのがふと目に入った。


その馬車は、母上に仕える杜衛(とこう)のものであることを私は知っている。


目を凝らすとその馬車の扉の前に、誰かに支えられながら乗り込もうとしている女子の姿が見えた。


――それは紛れもなく、凌雪だ。


だが彼女から、いつもの穏やかな笑顔は消え、その顔は痛みに歪んでいた。


その白い衣は、肩から腕にかけて血で赤黒く染まっており、どう見てもただの怪我ではない。


「凌雪!」


思わずその名を呼ぶ私の声に、彼女はゆっくりと顔を上げた。


その顔色は蒼白で、唇は血の気を失い、目に微かな涙が浮かんでいる。


「凌雪、大丈夫なのか!」


私は彼女の元へと慌てて駆け寄ると、杜衛に変わり凌雪を支えた。


「…殿下…」


今にも零れ落ちそうな涙が、私の顔を見てみるみると溢れて行く。

私は、側にいる杜衛を気にしながら言葉を選んだ。


「凌雪…話は帰ってからだ。すぐに寧王府に帰ろう。神医にすぐ文を送る」


それに小さく頷いた凌雪を、馬車に乗せ私もそこに乗り込む。


「杜衛、私の馬を頼む。岳珩に軍営に戻すよう伝えて欲しい」


そう告げると、彼は私に深々と頭を下げ、馬車を見送った。



揺れる馬車の中…

沈黙を破ったのは、凌雪の方だ。


「殿下…慶淵王殿下が…」


「叔父上に会ったのか?」


そう聞き返すと、凌雪は涙をぼろぼろとこぼし、私に頭を深く下げ(おもて)を上げない。


私が咄嗟に両手で彼女の腕を掴もうとすると、痛みで顔をしかめた凌雪が声を上げた。


「…痛いっ…」


その声に、咄嗟に手を離してしまう。


「凌雪…」


「…殿下…慶淵王殿下を…お守りすることができず…」


「……」



凌雪は、それから事の次第を涙ながらに私に話して聞かせた。

韓碧心(かんへきしん)蘇璃(そり)達がどこにいるかわからない事、途中で叔父上の刺客に連れ去られた事。


そして…その後父帝の暗殺部隊に見つかり、殺されそうになったこと。


その矢が自分の腕に当たり、叔父上が…


「…亡くなった…?」


「…慶淵王殿下は…最期に寧王殿下の事を頼むと…。

咄嗟に殿下を庇われました。殿下を脅すために、私を連れ去ったのだと…」


「……」


「私と殿下のせいで、全ての計画が台無しになったとおっしゃって叫ばれ最期息を引き取られたのです」


「……」


「殿下…慶淵王殿下の為にも、お考え直し下さい。陛下の元、皇太子殿下の元、蒙成を討たねばなりません。殿下がお亡くなりになられては、慶淵王殿下も浮かばれないのです…」



凌雪の顔は、もう涙でぐちゃぐちゃになっていた。

それをそっと両手で丁寧に拭ってやり、私はそっと彼女を抱き寄せる。


叔父上が…私を守るために?


咄嗟に…

殺そうとしていた凌雪まで庇うなど…


それは…きっと私の為だったのだろう。

自分が亡き後、私が凌雪と共に生きられるようにと…


―――叔父上は、心から私の事を思っていたのだ。


細作(さいさく)を使って、念入りに調べ上げた結果、兄上と凌雪の事を知ってしまった。

それに私が、耳を貸さなかっただけだ…。


叔父上が言っていたことは、すべて真実だったのに――


しかし、時折見せる笑顔は、誰よりも私が幸せになる事を望んでいた。

愛する人と、結ばれるようにと…


凌雪と兄上の間で、叔父もまた翻弄されていたのだ。


母上が言っていた。


――≪この身から生まれた子が愚弄され、よそ者の種を慈しめと?ふん、そのような戯言を、誰が喜んで聞くというのだ。慶淵王もおなじ気持ちだ≫と…


あれは、叔父上が兄上の事を知ってしまった後の暴言だ。


凌雪を殺そうとしていたのではない。“兄上の子を身籠っている凌雪”が気に入らなかったのだ。その疑念を拭えぬまま、この様な暴挙に出てその結果が…自分の死を招いてしまった。

でも叔父上は…

最期に凌雪を庇ったと言うのか…



「凌雪…」


「はい…」


「私は、叔父上をまだわかっていなかったようだ」

「……」


「己の欲望のために、よくもここまでやるものだと、正直腹の底で侮蔑していた。

けれど…私はその心を知ろうとしなかったのだ…ずっと…



叔父上は、私の事を心から想ってくれていたのに…」



そう言って泣き崩れ、顔を覆った私を、凌雪はそっと抱き寄せて背中を摩ってくれた。


「私は…最期に叔父上の敵を取る」


「殿下…!」


「頼む凌雪…わかって欲しい…」


「……」


「私は天下が欲しいわけでも、兄上に敵意を持っている訳ではない…ただ…」



「……」



「叔父上の…いや、父上の無念を…私が晴らす」


「……」


「凌雪、離縁しよう。これだけは私の言う通りに。明日それを持って凌家へ戻るのだ。頼む…」



「殿下…」


「頼む…これだけは…私の最期の願いを聞いてくれないか…」


そう言った私を、彼女はただ黙ってじっと見つめていた。

私は…そなたを幸せにすると約束しておきながら…



こんな事なら、初めから兄上に託せばよかった。


その手を…私が先に離していればこんな事にはならなかったのに…

今頃兄上と、幸せに笑い合っていたかもしれないのに…



その時、馬車は王府の前でゆっくりと停まった。



「二日後…蒙成が奇襲を仕掛ける。…そして私は、軍を率いて陛下を討つ」


「……」


「凌雪は明日中に…凌家へ…」




「いいえ。私は戻りません」


「凌雪…」


「私は、寧王殿下と既に同じ道を歩いている身。この子と共に…」


叔父上…


凌雪の子は、確かに私の子で間違いないでしょう。

そうでなければ、彼女はここにとどまるとは言わないはずだ。





最期に凌雪を守って下さったのですね…。


私は今、叔父上に心から感謝しております。

その無念、必ずや私が晴らしてみせましょう。


例え戦には負けようとも、必ずや陛下のお命を…






こうして私は二日後の朝、まだ夜が明けきらぬ頃…


蒙成による奇襲攻撃の前に、凌雪と別れの言葉を交わす。

凌雪は目に涙を溜めていたが、凌孟昊の娘らしく気丈に振舞っていた。


「殿下…どうぞご無事で…」


きっと…凌雪の顔を見るのも最後になるかもしれない。

だが…私は最後まで、そなたを愛し…



「これを…」


「なんですか…これは…」


「私が記した離縁状だ」


「……」


「私が反旗を翻せば、すぐにそなたにも危機が及ぶ。これを…

自分はもう、寧王とは関係がないと…そう申せ」


「……」


「兄上は、そなたの命を取りはしない。必ずやうまく行く。

そして、これを…兄上に渡してくれないか…」


私は、兄上に記した文も凌雪に託けた。



そこには、凌雪は何も知らぬ事。

戦に紛れ凌家へ戻ることが遅れたが、既に離縁し縁は切れている事。


そして、凌孟昊の娘であるがゆえに叔父上にずっと命を狙われていた事を全て書き記す。


それから…私が叔父上の子である事。そして母上には、兄上の慈悲を―――と。


ゆえに命を奪われた叔父上の為敵を討つために、陛下へ謀反を起こす事などが全て書き綴られていた。



凌雪は何も知らなかったと…


「後は…頼む。それからこれを…。」


私は、翡翠で作られた牌を凌雪に渡した。


「これは…?」

「幼き頃から、私が身に着けていた牌だ。これを…我が子に」


「……」



彼女はそれを両手でそっと受け取ると、小さく何度も頷き嗚咽をこらえる。

そして私は…その手を兄上に託した。


大切な、私の凌雪の手を…

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