第七十六話 静かなる誓い
蕭烈微と芝居を見に行き、あの黒装束に襲われた三日後。
今度は彼が、寧王府の翡翠居に遊びに来ていた。
今日は二人で、赤子の産着やおしめを縫う予定だ。
ほとんどのものが皇室で用意されるけれど、最初に身に着ける物だけは、自分で作り用意してあげたかった。
その作り方を、蕭烈微が教えてくれると言う。
私達は隣に並び、一枚一枚布を裁ち、丁寧に一針一針刺していった。
「凌雪…」
「はい?」
「寧王殿下が、此度の戦で、陛下の側に付かれるそうだ」
「え?」
「陛下に、寧王殿下を説得するように言われ、皇太子殿下は寧王府に出向かれた。寧王殿下から何も聞かされていないか?」
「あ…はい。私には何も…」
「陛下は、蒙成国を攻める前に、慶淵王殿下を討たれるそうだ」
「……」
「おそらく、それはすぐに寧王殿下のお耳にも入る」
「……」
「お二人が本当の親子だという事は、陛下も皇太子殿下もご存知ない。だからこそ…寧王殿下の動向を、凌雪が見ていて欲しいのだ」
「でも…私は…」
「万が一寧王殿下が、慶淵王殿下を逃がすようなことがあれば、すぐに教えてくれないだろうか。皇太子殿下にでも、私にでも」
「……」
「凌雪は、知らせてくれるだけでいい」
「……」
「もし、慶淵王殿下を蒙成に逃がすようなことがあれば、謀反の動きは止められない。この天黎も危うくなる。そして寧王殿下が、いつ裏切らぬとも限らないから」
「寧王殿下に限ってそんな事は…。殿下は誠実なお方です」
「血濃於水というではないか。血は水よりも濃いのだ。寧王殿下ももしかしたら、情に動かされ慶淵王殿下を助けるかもしれない…」
「……」
「念には念を入れたいだけだ。決して失敗は許されないのだから…」
「もしかしたら、お二人が親子なのは、何かの間違いでは?」
「それは私にも、何とも言えぬ。しかし景国の間者の調べでは、御医が付けた交宿記録に記された日付と、寧王殿下の生誕日が合わぬらしいのだ」
「……」
「私が嫁ぐゆえ、血縁信者は内密に調べた。その時、わかったのだ」
そう言って小さなため息をついた蕭烈微の横顔を見ながら、私はふと寧王殿下と慶淵王殿下のお顔を思い出してみる。
言われてみれば、叔父だから似ているような気がするけれど…
母上などは、陛下の額と、殿下の額がそっくりだと言っていたし、父上は凛々しい目が似ているとも言っていた。
皇太子殿下に至っては、寧王殿下とお声がそっくりだ。
時々、同じような仕草をされることもある…ご一緒に育ったからなのだろうか…。
しかし、そのような事実があれば、その時の御医が気づかないはずがない気もする。
陛下ではない人の子を身籠る―――。それが許されるはずがないのだから。
後宮は、宦官以外の男性は出入りできず、ましてやそんな事、本当にあり得るのだろうか?
「そう言えば…父から、天黎の皇室には、王家の血統を守るための道具として、代々の帝がひそかに保管していた緋玉鑑親鏡というのを聞いたな。
使用には膨大な霊力を消費するため、一般人では起動できず、天命を受けた者のみが使えるとされるのだとか」
「緋玉鑑親鏡?」
「なんでも、陛下との血縁を確かめる為それぞれの血を垂らし、文様を見るらしい」
「それで、見るわけには…」
「それは迷信だよ、凌雪。そんなものあるはずがない」
「そうなのですか…」
「あぁ…がっかりしないで?」
「あ、いや…別に…」
私は、寧王殿下が陛下のお子でないことが、気になっていたのではない。
寧王殿下が、実の父と知っていて、慶淵王殿下を討たねばならぬ事が、気になっていたのだ。
心優しい寧王殿下なら、それをどんなに憂うだろうかと…。
それから数日後、寧王殿下が閑日で御公務がお休みという事もあり、共に翡翠居で過ごす事になった。
その時、卓の上に蕭烈微と一緒に作った産着を置いていたら、殿下は目を細めてそれを手に取る。
「これは…」
「先日皇太子妃殿下がお見えになり、作り方を教えてくれたのです」
「皇太子妃は、このような物まで作れるのか?!」
「お裁縫が、得意なようですよ」
「……」
殿下は、手に取った産着をまじまじと眺め、まるで職人の作品だとそう言った。
「殿下…」
「ん?」
「お子が…」
「……」
「お子が、生まれる事が…喜ばしいと、お思いですか」
その横顔を見ていると、思わず尋ねてしまった。
優しく微笑まれている今なら、何を尋ねても許されるような気がして…。
あれから殿下の心の中に、迷いがあるのはわかっていた。
私の皇太子殿下への想いを知り、心を痛めていたことも…
私の問いに、一瞬驚いた顔になった殿下は、すぐに満面の笑顔になって産着を卓の上に置くと、目の前にいる私を思い切り抱きしめる。
「凌雪…。私は、悩ませてしまっていたのだな…。申し訳ない…」
「殿下…」
「私にとって、正妃も子も宝だ」
「本当ですか…?」
思わずそう聞き返した。
寧王殿下は小さく頷き、優しさに満ちた目で私を見つめている。
その言葉は、本心なのだと分かった。
蘇貴夫人の言葉を聞くたびに、殿下も同じように思っていらっしゃるのではと不安でない日はなかった。
あの書房脇の回廊で、慶淵王殿下とお話されたのを耳にした時も、子を許せないのだろうかと…
――でも、この子は確かに寧王殿下のお子だ。
なのに…ずっと愛されない子になるのだろうかと、不安で仕方なかった…。
殿下は慌てて私の顔を覗き込むと、今にも泣き出してしまいそうな私の前髪に、そっとその指先で触れた。
「不安に…させて悪かった…」
「……」
「正直…そなたの兄上への恋心を認めたくない自分がいたのは本当だ」
「でも私は…」
「わかっている。凌雪が、私に嫁いできてくれたことも、今側にいてくれる意味も…。
そなたは決して、私を裏切ったりはしないことも」
「殿下…」
「子は確かに私の子だ。母上が何と言おうと、宮中で誰が何と言おうと…」
そう言って私を抱き寄せた殿下のぬくもりに、思わず安堵の涙が零れ落ちる。
これでやっと…三人で、穏やかに暮らせるはず…
この時、心から安堵している自分がいた。
子には、悲しい想いをしてほしくない。
私が父や母に愛されて育ったように…この子にも殿下に愛されて育って欲しかった…
…私にはこの時、その希望が見えていた。
「凌雪…。大事な話があるのだが」
その時、そっと身を離された殿下が、襟元を正され私の正面に向き直すと慎重に言葉を選び始める。
「何でしょうか」
「心して聞いて欲しい。…近く、我天黎は、蒙成国と戦をすることになると思う」
「……」
「実は…叔父上が蒙成国と手を組んだのだ。父帝に謀反を起こすために…」
私は思わず、両手で口元を覆う。
やはり、蕭烈微が言っている事は本当だった。
そして…
本当にこれから戦が始まろうとしている…
「韓清之は、慶淵王側に付いている。これから、韓碧心の事も考えねば」
「どうなるのですか…どうか韓碧心をお守りください」
「そうしてやりたいのは山々だが…事と次第によっては韓清之がどうなるかわからぬゆえ、碧心の身の振り方もまだ私には予想がつかないのだ…」
「あぁ…」
「そなたが身重で大変な時に、こんな事が起きてしまい、本当にすまない…」
「殿下…」
「先日、兄上が直々に寧王府を訪ねられて、私に頭を下げられた」
「……」
「私は陛下の子として、天黎を守らねばならない義務がある。私は陛下側について、叔父上を討つつもりだ」
どのようなお気持ちで、今話されているのだろうか…。
蕭烈微は言っていた。寧王殿下は実父が慶淵王だとご存知だと…
寧王殿下は、心お優しい方だ。
その事実を知りながら、慶淵王殿下を討つなど…おそらく身を引き裂かれる思いをされているに違いない…。
「殿下…」
私は思わず、両腕を広げ目の前にいる殿下を抱きしめる。
その苦しみがいかほどなのか…決して口にはされないけれど…耐えがたいはず…
「凌雪…」
「どうか…ご無事でいてください…」
そう言った私の背に、殿下はそっと手を回すと、包み込むように抱きしめ返してくれた。
私と子を…その大きな腕で…まるでそうやって守るかのように…
きっと想像もつかぬ憂いが、殿下の心の中で渦巻いている事だろう。
「私は…凌孟昊と約束したゆえ…そなたを守ると…」
「父と約束などしていなくても…殿下は、きっとそうしてくださったはずです」
言葉にした瞬間、殿下の腕にさらに力がこもった。
「私は…そなたにとって、いつも不甲斐なかった…」
「殿下?」
「正妃を守るのは、決まって兄だったからな…。
ゆえに、そなたの心が兄上に向かったとしても、なんら不思議ではない…」
「……」
「しかし兄上が、どんなにそなたを所望しようとも…それだけは譲れぬ…」
その声が、耳の奥に静かに響いてきて、胸が締めつけられるほど痛んだ。
「……」
「一度だけ許す。兄上の事も…。兄上への凌雪のその想いも…」
「私は…」
そう口にしかけた言葉を、殿下の指先がそっと唇に触れて止める。
「言わずとも、もうわかっている。
そなたと子を、この命に代えても守る。それが…私の答えだ」




