第七十三話 野蛮な皇太子妃
凌媛羅に会った数日後、再び父帝に呼ばれた私は、兄上が今日から三日ほど、蒙成国へ行くため公務を変わるようにと託る。
それに快く頷き、金鑾宮から出て、正門へ向かう回廊へ続く階段を降りようとした時だった。
「凌雪!」という、聞き覚えのある声が聞こえて来て、思わず目の前の梁を除け屈んでみてみる。
すると、少し離れたところにある石畳を、足早に歩いて行く凌雪と蘇璃が目に入るではないか。私が慌てて、階段を駆け下りてみると、今度はそれを追うように兄上と韓昭が走っていくのが見えた。
一体何が起きているのか頭の中が混乱したが、兄上と凌雪は、太子府の方に向かって走っていく。
”そのまま後をつけようか”とも思ったが、もし二人に会ったら何と言えばいいのか悩み、その場所を行ったり来たりしながら考え込んでいた。
すると少ししてから兄上と韓昭が出て来て、足早に門の方に向かい、皇宮を出て行く様子が見えるではないか。
凌雪は一体どうしたのだろうか?そこで様子を伺っていたがなかなか出てこない。
「凌雪が太子府に…。一体何の用が…」
暫く考え込んでいたら、兄上が出てきた方向から、今度は凌雪と蘇璃と、そして蕭烈微が出て来た。
私は声を掛ければ良いものを、咄嗟に壁に隠れ三人の様子を伺い見る。
こうして遠くから凌雪や蘇璃と並んでいるのを見ると、蕭烈微が一瞬男に見える自分がいた。
背が高くすらりとしていて、美しいが、何か作られたような違和感があるからだ。
三人は特に言葉も交わすことなく、笑顔で手を振り合っている。
その時ふと、この間凌媛羅が言っていた、蕭烈微が男だという事が頭を過った。
「まさか。その辺のどこにでもいる女子ではなく、景国から嫁いできていると言うのに…か??」
そう言って一人鼻で笑い、自分の愚かさを自嘲する。
凌媛羅は、明らかに様子がおかしかった。母上が、“側妃は兄上の事で頭がおかしくなっている”と噂するほどだ。
私としたことが…その様な者の戯言を、気に掛けるとは。
すると凌雪と蘇璃が、正門に向かおうと蕭烈微に背を向けたその時だ…。
黒装束の男が数人現れ、蕭烈微を取り囲む。
私は一瞬、叔父上の黒襲門が凌雪を襲いに来たのかと思ったが、皇宮に来るなど絶対にない。すぐにそれは違うと気が付いた。
男は四人ほどだ。
距離を取りながら、蕭烈微の周りを囲んで、頃合いを見計らいながら回っている。
凌雪がそれを見て「誰か来て!」と叫んでいた。
私は、咄嗟に助けに行かねばと思ったが、皇宮の中に入る時、入り口のところで剣を預けた。これはすぐに内衛をよびに行かねばと、踵を返そうとしたその時だ。
虫が潰れるような声がして、それに視線をやると、蕭烈微が黒装束の男たちに素手で立ち向かい、蹴り上げながら次々と倒していくのが目に入る。
あまりにも驚いて、それをじっと見ていたら、奥から宮廷内を回っていた内衛が数人駆け寄って来て、蕭烈微をまた取り囲んだ。
その足元には、蕭烈微に蹴り上げられた男たちが四人意識を失い倒れている。
凌雪は蘇璃と抱き合い、震えながら、少し離れたところでその様子を見ていた。
蕭烈微は、内衛に可愛らしく膝を折り挨拶をすると、大丈夫だと話している様に見える。
「殿下…」
「えッ…!?」
その時、背後から急に岳珩に声を掛けられて、あまりにも驚き小さな声を上げる自分がいた。
「一体、どうされたのですか」
「岳珩!どこに行っていたのだ!」
「どこにって…殿下が、蘇貴夫人の所に置いてある荷物を、取って来てから馬車に乗ると。ずっと待っていたのですが、全く来られないので、様子を見に来たのです」
「そうだ。そうだった…」
「大層驚かれて…何があったのです…」
「岳珩…世の中には、お前のように強い女子が沢山いるのか?」
「え?」
「さっき蕭烈微が、黒装束に囲まれたのだ」
「え?!皇宮でですか?」
「そこの東宮脇の太子府の側だ!」
「殿下は大丈夫なのですか!?お怪我は!?」
岳珩は慌てて私の体を、上から下まで確認している。
「私は大丈夫なのだが…」
「皇太子妃殿下が、お怪我をされたのですか?!」
「いや…黒装束が、やられて怪我を…」
「え??」
「蕭烈微は、数年前に見た時より数段腕が上がっていた。まるでお前や韓昭のようだ…」
「……」
「あれは、暴れ馬所ではない!!猛虎だ!!」
「殿下…とりあえず王府に戻りましょう…。今日は皆で夕餉を…」
「そうだった…。もう凌雪が蘇璃と馬車に乗っていったから急がねば…」
「正妃は今日、皇太子妃殿下と刺繍を…。なので、ここにいらっしゃったかと」
「刺繍??」
私はそれを聞いて、どう見ても蕭烈微と刺繍が結びつかず、もう何を信じてよいのかわからなくなった。
兄上が凌雪を追いかけていた事をすっかりと忘れ、そのまま岳珩と寧王府へ戻る。
馬車の中で、私は岳珩にふと尋ねてみた。
「岳珩…」
「はい」
「蕭烈微が…男だという事はあるまいか…」
「え???」
岳珩は私の言葉に驚きで目を丸くし、苦笑いをする。
「いや…背も私くらいあるではないか…」
「でも、私の妹もあれくらいありますが…」
「え?」
「女子なのに身体が大きいから嫌だと、ずっと悩んでおりました」
「……」
「殿下…お疲れの様ですから、今日は早めにお休みになっては…」
「でも、あの武術は並ではなかった。護衛用に鍛錬しているのだろうか?」
「まぁ、景国の公主は、男勝りで有名ですからね。武術もかなりの腕前だとは聞き及んでおります」
「同じ女子でも凌雪と、あまりにも違い過ぎる…」
「正妃は…まぁだれが見ても可愛らしくか弱いので…」
そう言って頬を赤らめた岳珩に、なんだか少し苛立った。そう言えば、あんな事を言っている叔父上でさえも、凌雪が可愛らしいと言っていたことがあったな。あんなに殺すだの、不埒な女子だと罵りながら、陰であんなに文句を言っておいて、凌雪を目の前にしたら猫なで声だ。
「実は…少し前に凌媛羅が、蕭烈微が男だと言っていたのだ」
「…」
「今日この目で見て、よくわからなくなった」
「でも、妃殿下は、皇太子殿下のご寵愛を受けていらっしゃいます」
「……」
「それに…皇太子殿下の側妃凌媛羅殿は、今お身体の調子が悪く…妙な噂もございますので。真に受けない方がよろしいかと」
「…そうだな。あれはちょっと、普通ではないように見えた」
―――しかしその数日後、蕭烈微と凌雪を迎えに行った時の事だ。
二人は芝居を見に行くと言って、城下の楽坊に、金枝玉葉の舞を見に出かけていた。
馬車を入り口に着けて、私が降りようとした時、にこやかに楽坊から出て来た凌雪と皇太子妃を、また黒装束が取り囲む。
私は咄嗟に凌雪を守るため、剣を抜いて駆け寄ろうとしたその時だ。
そのうちの一人が、凌雪の頭に向かってその手に持った剣を振り上げると、側にいた蕭烈微がそれに気付き、瞬時にその手から剣を取り上げ、凌雪を庇った。
そして彼女は、近寄って来た別の黒装束を次々に蹴り上げ、奪った剣を持ち一人で立ち向かっていくが、私は凌雪の側に駆け寄り、彼女を庇うのがやっとだ。
すると今度は私の後ろから出て来た岳珩が、見事な動きでそこに立ち回り、あっという間に黒装束達は全て始末される。
私は、凌雪と抱き合って呆然とそれを見ていたが、どう見ても蕭烈微はおかしい。
男の私より強いではないか。それも岳珩と互角なほどに…
すると蕭烈微が近づいてきて、膝を追って小さく頭を下げると、いびつな声で私に話しかけて来た。
「凌雪一人も守れないようでは、男がすたりますね」と―――
そう言って、にっこりと笑うと、自分は”別の迎えが来るので同じ馬車には乗らない”と言って私達を見送ってくれる。
私は凌雪と二人になった馬車の中で、ずっと蕭烈微の事を考えていた。
男がすたると言われても…
私は怖いのではなく、蕭烈微の異様さに驚いたのだ。
「あれでは、本当に男のようではないか」
「え…」
そう言った私に、凌雪が驚いている。凌雪はいつも彼女と一緒にいて、全く違和がないのだろうか?
「凌雪…蕭烈微はおかしい。昔から女らしいところは微塵もなく、前天黎に来た時も、陛下の馬に矢を放っていたのだ」
「……」
「兄上の蒼羽隊にも、奇声をあげながら、しょっちゅう切り付けていた」
「……」
「さっきの立ち回りも、どう見ても岳珩と互角だ…。一緒にいておかしいと思わないのか?」
「…別に…。さぁ…。どうでしょうか…」
「あれを見ても??」
「あれをと言われても…いつも立ち回られている訳でもないので…」
「……」
「腕がなまらないように、夜中に鍛錬はされているとおっしゃっていました」
「夜中に鍛錬??」
「え?あ、いや…よくわかりません」
凌雪が戸惑うときは、大概何かを知っているが誤魔化している時だ。その後必ず、よくわかりませんと答える。
凌雪は、、何かを知っているはず…。
私は目を細めて、凌雪をじっと見た。
「皇太子妃は、もしや男ではないのか?」
「え??」
「いや、やっぱりそれは的外れか…。隣国の公主でありながら、そんなはずはない。しかも、何度も昔から、天黎にも来ているし…」
「……」
「男でないにしても…兄上は…」
それまで凌雪を慕っていたのに、今度は蕭烈微に熱を上げるなど不自然極まりない気がする…。
まさか蕭烈微は、韓碧心のように別の男を慕っていて、兄上との間に密約があるとか…。
凌雪は、蕭烈微と会うと見せかけて、兄上に会っている??
そうすればこの間、皇宮で見たことも説明がつく。
まさか凌雪は、”刺繍をする”と言って、未だに兄上と通じていると言うのか??
いや…しかし…この間兄上は、蒙成国へ行かれる日だった…
そんな余裕のない日に、凌雪を呼ぶだろうか?
私は、頭の中を整理する為、小さく首を横に振る。
しかし蕭烈微は、あぁ何度も刺客に襲われ、あれでは一緒にいる凌雪が、いつか巻き込まれても困るではないか。
「あまり…皇太子妃には会わぬ方がいいかもしれぬ。あの刺客は普通ではない。雪が巻き込まれたら元も子もない」
「あ…はい」
「それに蕭烈微は、いささか野蛮すぎる気がする」
「でも…この間これを…」
凌雪が胸元から取り出した繍帕には、見事な牡丹の刺繍が施されていてそれは目を見張るものがあった。
まるで芸術作品の様で、達人が作ったと言われても過言ではないものだ。
「これは…?」
「皇太子妃が刺繍されて、私に下さったものです」
「なに?!これを皇太子妃が?!」
「それから、栗鼠の刺繍が施された繍帕を、赤子にも」
「……」
「皇太子妃は野蛮ではありません」
「……」
「書も画も箏も琵琶や詩さえも、お見事なのです」
蕭烈微が??
まさか兄上は、その意外性に惚れこんだのだろうか??
知性や教養と言う、見た目ではわからぬ魅力に…
考えてみれば、凌雪はその辺りは平凡だ。詩会に出す詩は、いつも凌玄珣が作っていたと聞いている。刺繍も、前に見せてもらったものは、私が“見事な葡萄だ”と褒めたら、さかさまにされ“藤”だと怒っていた…。
皇太子妃の牡丹とは比べものにならぬ。
「まぁそうは言っても…今日のようなことが起きれば、危険が及ぶかもしれないし…。気をつけるに越したことはない」
そう言った私に、凌雪は小さく頷き、それからは蕭烈微の話はしなかった。
しかしその後、私は蕭烈微の正体を知ることになる。
それは…そんな遠い将来ではなかった…。




