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第七十話 意外な蕭烈微

皇太子妃・蕭烈微(しょうれつび)

それは仮の姿で、本当の姿は景国第二皇子だ。

私は彼の本当の姿を知りながら、この天黎での暮らしをずっと助けている…


「お嬢様、今日は皇太子妃殿下と刺繍をされるのですよね。とっても楽しみですね」


蘇璃(そり)は、妃殿下が男の方だと知らない。だから楽しそうに、今日の刺繍の用意をしているけれど、私はとても心配だった。



――――果たして蕭烈微は…


「あの方…刺繍まで、できるのかしら…」


皇太子殿下から、妃殿下が殿方だと聞いた時には、心から驚いた。


しかし彼は、女子(おなご)がすることは本当になんでもよくできる。書だろうが、茶だろうが、琴だろうが‥。


だが刺繍まで…、今まで、やったことがあるのだろうか?


本来殿方なら、兄上のように文武に力を入れたかったはずだ。けれどその生涯を女子として生きねばならないなんて…


私なら絶対に、できそうにない。


兄上や父上のように、男として生きる…

戦場で血を見ながら…



「……」


――――考えただけで、倒れてしまいそうだ。


それから約束の時刻になり、私は蘇璃と王府を出発すると、皇宮にいる蕭烈微の元を訪ねた。


このころは悪阻(おそ)も治まり、少しずつ食べ物もおいしく食べられるようになって、こういった外出は、とても良い気分転換になっている。


あれからというもの、あんなに優しかった蘇貴夫人が、手のひらを返したように冷たくなり、私の子が、皇太子殿下の子ではないかと、何かと嫌味を言ってくる。


寧王殿下はそんな時、私の事を庇ってくれてはいた。


しかし、それも…よくわからなくなってしまうようなことを、耳にした。


この間、書房に続く回廊の脇で、殿下が慶淵王殿下とお話しされていたのを、たまたま聞いてしまった。


≪もし子が本当に兄上の子なら、私だって許しません≫と、言っていたのを…。


殿下は私の事を、心から信じていないのだ。

だってまだそんな事を、言っているくらいなのだから…。


それにその時、一つ気になる事があった。


良く聞こえなかったのだが…“子は親の味方をしろ”とかなんとか…でも寧王殿下の父は陛下だ。慶淵王殿下ではない。


けれど、それだと話のつじつまがおかしい…

だって、自分の為に兵を出せと…蒙成(もうせい)国がどうとかこうとか…


蒙成国と戦でもするつもりなのかしら…?

父上に、どうなっているのか聞いてみようかしら…。


もっと近くで、聞いてみればよかった…


「どうしたの?ぼんやりして。ほら凌雪、これを見てごらん?」


私が蕭烈微の部屋で、皇后陛下に差し上げる繍帕への刺繍を、一緒に仕上げていた時だ。


隣の蕭烈微が針を置いた瞬間、その手元に、息をのむような美しさが広がっていた。

広げられた布地の上には、見事な牡丹の花が咲き誇っているではないか。


ただの花ではない。

それは、幾重にも重なる花弁の一枚一枚が、濃淡さまざまな糸で緻密に縫い上げられ、まるで本物と見紛うばかりの立体感を帯びていた。


絹糸の光沢が、見る角度によって繊七色に煌めき、朝露に濡れたかのような瑞々しさを宿している。

花の中心には、金糸と銀糸が繊細に絡み合い、おしべと、めしべの微細な構造までをも表現されていた。


その周囲を舞う蝶は、羽根の鱗粉までが感じられるほど精巧で、今にもひらりと飛び立ちそうな躍動感に満ちているではないか。


「素敵!殿方なのに、こんなに素晴らしい刺繍ができるなんて…」


そう思わず声を上げてしまうほど、その刺繍は本当に素晴らしく、まるで芸術作品だ。

私は、思わず見入ってしまった。


「小さなころから、女子として育てられたのだから、これくらいは簡単なものだ」


そう言ってにこりと笑った彼は、次は可愛らしい栗鼠(りす)が施された繍帕を、側においてあった刺繍箱から取り出して見せてくれる。


「わぁ…。すごく可愛らしい…」


「それは、凌雪の赤子に」


「え?」


「一針、一針、心を込めて手を動かしてみた。この栗鼠の様な可愛らしい子だと良いなとおもって」


そう言って微笑む蕭烈微に、なんだか胸が熱くなり、私はその繍帕を手に思わず涙をこぼしてしまう。

子ができて、初めてではないだろうか。赤子に、こんなに優しい言葉を掛けてもらったのは。



―――どうしてこのような事に、なってしまったのか…。


私の皇太子殿下への想いは、決していい加減なものではなかった。

けれど、寧王殿下に嫁ぐと決めてからは、少なくとも寧王殿下には誠実に向き合ってきたつもりだ。


皇太子殿下へのお気持ちに蓋をし、寧王殿下のお気持ちに添う意味を大切にしてきた。そして懐妊の時は、戸惑ったけれどうれしかったのは本当だ。これからも穏やかに、暮らしていけるだろうと…そう信じて疑わなかったのに。


だけど…


「凌雪?大丈夫?」


「妃殿下…」


「二人の時は、蕭烈微で良いよ…」


その時、蕭烈微が私の顔を覗き込み、そっと指先で涙を拭ってくれる。どんな女性よりも美しいその顔で…

蕭烈微は、この頃、誰よりも理解ある友だった。


「この間、茶会の時も気になっていたが、寧王殿下の様子は今、どうなのだ?」


「殿下は変わらず優しいです…。ただ…子の事はあまり私に話しません。

でも、このようになったのは、全て私のせいかと…」


「そんな事、あるはずないではないか。凌雪は何も悪くないのだ。寧王妃を信じられぬ、蘇貴夫人と殿下が悪いのだ」


 子供の様に、口をとがらせて怒る蕭烈微に、思わず笑みが零れる。彼にはとても意外な事が多かった。


女性として生きて来たからか、茶をたてるのも琴も上手だったが、繊細な書や絵も上手だった。

それに、ほかならぬ武芸の腕前も達者だと言う。

おかげで、“暴れ馬の様な女子だ”と昔寧王殿下にも言われたと、笑っていた。



その時、ふと蕭烈微は男だったと我に返る。


皇太子殿下に頼まれたのもあったし、今まで異国に来て友もなく寂しいだろうと一緒に過ごす事も多かったが、よく考えたら、この蕭烈微の部屋で二人きりなのは、いろいろとまずいのではないか。


私は、心なしか蕭烈微から体を離して座り直す。


すると、この時、蕭烈微が雑談の続きで、姉上の事を言い出した。


凌媛羅(りょうえんら)なのだけれど…」


「姉上の事ですか?」


「少し前に、私の所に皇太子殿下の事で嫌味を言いに来たのだが…」


「……」


「その時…凌雪の子は、皇太子殿下の子だと私に吹聴していた」


「姉上が?」


「その後私の侍女に聞いたのだが、どうやら皇宮で触れ回っているのは凌媛羅らしく…。陛下のお耳に入ってはいけないと…皇太子殿下が、気を配って否定して歩いていた」


「そんな…」


「そうでなくてもあの女子は、皇太子殿下への気持ちが狂気じみている。最近では、毎晩私の部屋に様子を見に来るのだ」


「……」


「全ての女子が、皇太子殿下を慕っていると思っている。殿下と話した侍女にも嫌味を言い、手を挙げるほどだしな」


「姉上が…手を?」


「私も最初は面白がって挑発していたが、最近では面倒くさいので止めた」


「……」


「この間あの女子(おなご)が、正殿の前で寧王殿下に話していた。“凌雪は今でも皇太子殿下と会っていて、皇太子殿下は凌雪を慕っている”と。“子はいずれ寧王から離され、世継ぎになる”と」


「なぜそのような事を、姉上が…」


「もしやとは思っていたが、凌雪は皇太子殿下と…」



私は、蕭烈微の声が、少しずつ遠くなるのを感じていた。


姉上が…そんなに心を病むほど、思い詰めていたなんて…。

妄言を寧王殿下にお伝えするほどに?


これはきっと、私への天罰だろう。姉上が慕っていると知りながら、抑えきれないこの気持ちを皇太子殿下に告げてしまった。そんな私への…許されない天罰だ。


姉上の想いを踏みにじったのは、この私なのだから…。


私が泣きながら、小さく首を横に振っていると、蕭烈微は私を咄嗟に抱きしめて慰めてくれた。


―――でもそれは…紛れもなく男性の腕だった。


私は咄嗟にそこから身を離すと、正面から驚いた眼で蕭烈微を見つめてしまう。


「私はただ…慰めたくて…」


そう小さな声でつぶやいた彼に、私は必要以上に警戒してしまったと申し訳なく感じる。

でも、他の誰もが蕭烈微を男だと知らなくても、私は知っているのだ。だからこそ、距離を置かなくてはならない気がした。


「あ…ごめんなさい…。突然でびっくりしてしまって…」


「あ…別にいいよ。私こそ、驚かしてしまったかな…」


「…あ…では…そうだ、私の刺繍も見てください」


「…いいよ。その、梅の花は綺麗に刺繍できているね」


「あ、これは桜なのです」


「……」


「こっちは、藤ですよ」


「え?葡萄かと!」


「……」


「あ!うそうそ…藤にしか見えない!凄いよ凌雪!」


「……」


こんなことを言い、二人で笑いながら、私達の時間は和やかに過ぎて行く。


ずっと…こんな風にわずらわしい事など、なければよいのに…。


私と、皇太子殿下と、姉上と、寧王殿下…

誰にも解けない運命の糸が絡まって、誰にも綺麗に解く事などできなくて…


ただ、それに身を任せているだけ。


私はこの後、彼と二人で、菓子などを食べ、お茶をして過ごした。

蕭烈微は、私の気が紛れる話を沢山してくれる。気が滅入るような事が多い日々だが、たまにこんな日があれば救われる気がした。


「今度、私が書いた詩を読んであげようか」

「詩もお上手なのですか?」


「皇室に嫁ぐために、すべきことは全てしてきたつもりだ」

「わぁ。素晴らしいです!!刺繍も素晴らしかったけど、できない事はないのですね」


私が両手を合わせて、目を輝かせながら蕭烈微を見つめたら、彼は少し切ない顔で私を見つめた。


「そうやって…私を褒めてくれるところが、翠玉にそっくりだ」


「すいぎょく?」


「え?あ、景国にいた頃の……ばあやだ」

 

「あぁ…蘇嬢さんのような?」


「まぁ、似ているような似ていないような…。かな」


蕭烈微は、そうつぶやくと目を伏せて、右腕に着けた翡翠の腕輪を片方の掌でそっと(さす)った。


何か思い入れがありそうだが、尋ねる事もできそうにない。

それほどに美しく、とても切ない横顔だったからだ。


「凌雪…もう王府に戻る時刻だよ。今日は、長くここにいてはいけないようだ」


そう言った蕭烈微の言葉の意味が、この時の私にはわからなかった。

それがわかるのは、もっと後になってから…


「繍帕ありがとう。大切にしますね」


そう、栗鼠の繍帕のお礼を蕭烈微に告げ、私の事を呼びに来た蘇璃と一緒に、この部屋を後にする。


とても美しい…

―――蕭烈微に、見送られながら…。













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