第六十八話 私の罪
――― “寧王殿下が全てを知ってしまった。”
そう知らせに来た韓昭さんに、私はただただ涙を流し皇太子殿下への真の決別を伝える。
私は、このお腹の子を守らねばならない。そして…寧王殿下を、これ以上苦しめてはいけない。
皇太子殿下は私を守るために、一人ですべてを背負う御覚悟だった。”独りよがりな想い”だと寧王殿下には話されたと…
しかし、一国の皇太子が上奏文まで陛下に提出しているのだ。
それを誤魔化せば、寧王殿下の疑念は更に膨らむ。
そして何より…私に対して心から誠実である寧王殿下を、これ以上欺くことはしたくなかった。
事実を知った寧王殿下は、事を問いただすよりも先に、私の体を気遣ってくれ、憤る事よりも、ご自身の感情を、できるだけさらけ出さないように話されていたと思う。
なのに私から、あのような事実を告げられ、どんなに心痛めたであろうか想像もついた。
しかし皇太子殿下との婚儀の事だけは、どうしても口にすることができなかった。皇太子殿下に白を切るように言われたのもあるが、それを認めれば、殿下のお立場もどうなるかわからないからだ。
でもあの時、きっと寧王殿下は、真実に気付かれたに違いない。
私のどのような表情も、仕草も読み取られるお方だ。それほどに私を慕い、想ってくださっている方なのだから…
あの日府医は、皇宮から寧王殿下が戻られなかった為、私の懐妊の事を話せないままでいた。
三日後、私の元を訪れた府医は、“なかなか殿下にお会いできず、いつ、説明すればよいか”と私に尋ねてくる。殿下の御公務がご多忙で、彼に会えずにいたからだ。
私は、これ以上先延ばしにできないので、自らが先に話すと伝えた。
そして更に三日後、靈麗が私の脈診を取りに尋ねてきてくれて、これからの生活の注意事項などを説明してくれていた。口にしてはいけない薬草や茶、逆に積極的に食した方が良いもの等、子の為に聞く話はどれも新鮮で楽しい。
「凌雪、まだ悪阻(つわり)があるので、しっかり休むように。無理をしてはいけませんよ」
穏やかな靈麗のその笑みに、私は心まで癒されるような気がした。
「靈麗、お腹の子は、男の子かしら、女の子かしら?」
「どうでしょうね。母親の顔立ちが少しきつくなれば、男の子だと言う迷信もあります。どちらでもきっとかわいいですよ」
優しい靈麗の言葉を聞き、そっと掌で、まだあまり実感がない腹部にそっと触れてみる。今まで感じたことがないような、喜びと、不安と、そして命の重みと…
蘇璃も私の側で、まるで自分の事かのように喜んでくれていて、靈麗と微笑みあっていた。
―――その時だ。
「入るぞ」という殿下の声と同時に、入り口の木格子の扉が勢いよく開き、神妙な面持ちの寧王殿下が、迷わず私がいる寝台に向かって歩いてくる。
その勢いに靈麗と蘇璃は深く一礼すると、二人で顔を見合わせ、様子をうかがうようにしてこちらをじっと見ていた。
「凌雪、話がある。悪いが、神医と蘇璃は外へ」
その低い声は、私にもただ事ではないと悟らせる。二人はもう一度私達に礼をすると、黙ったまま、部屋を後にした。
二人きりになると、殿下はそっと寝台に腰を下ろし私に向き合う。
「凌雪…私に何か話すことはないか」
「話す事?」
私は、まさか殿下が懐妊の事をご存知だとは思わなかったので、最初尋ねられた時は何も思い当たらず、首を傾げた。
すると殿下は両手で私の腕を掴み、感情を荒立て始める。
「大事な事だ!なぜ私に言わぬ!」
「まさか…」
今朝私の元に来た時、府医はまだ殿下に話せていないと言っていた。今朝もすれ違って、殿下が先に軍営に行かれていたと。
私がまさかと言ったのは、ご懐妊の事をご存知だという事だったのだが…
「…兄上は…既にご存知なのか」
思わぬ事が殿下の口から零れ、私は耳を疑った。
もしかして、この事を皇太子殿下からお聞きになったのだろうか。
確かにあの時、私は韓昭さんに先に話した。もうこれ以上、皇太子殿下のお気持ちを惑わしてはいけないと、そう思ったからだ。
「え…あ…」
「ご存知なのだな」
私の腕を掴んだ寧王殿下の両腕が、力なく離れて行き、それと同時に落とされる深いため息。
「殿下…」
「なぜ、私よりも先に兄上がご存知なのだ…。なぜ私には知らせぬ…」
「寧王殿下には、一番にお話しするつもりでした。あの日、殿下は皇宮から戻られず、府医もずっとお会いできないと…今朝も相談に来られたのです」
「……」
「それに…寧王殿下は、あの日お心を乱されていたので…」
「……」
「落ち着いた頃に、お話しした方が良いかと思っていた私が間違いでした。申し訳ありません…」
「…子は…」
その時、殿下が何かを言いかけて不意に止めた。
続きが気になったが、子の事が心配なのだろうかと、深く考えるようなことはしなかった。
私の中で、寧王殿下のお気持ちを疑うような事は微塵もなかったし、懐妊の事も、誰よりも喜んでくれるとそう信じていたからだ。
「きっと、元気に生まれてきてくれるでしょう。府医も、神医もついていて下さるので」
なので、心からそう思っていた。元気な子が生まれて、きっと私と殿下はこの先、穏やかに暮らせると…。
殿下はその目を少し潤ませると、私をそっと抱き寄せる。それは静かな喜びだと、そう思っていた時だ。
「私は…凌雪は愛せても、子が愛せるか…自信がない…」
それは思いもよらない殿下の言葉だった。私はそれを聞き、咄嗟に彼から身を離してしまう。なぜそんな事を言ったのか…このころの私は、寧王殿下の出生の事も知らず慶淵王殿下の言葉にそれほど惑わされているとは知らなかったからだ。
「…それは…どういうことですか…」
震える声で聞き返してみたけれど、彼はもう一度私を抱き寄せ、小さく首を横に振っただけでそれ以上何も口にすることはなかった。
一抹の不安が頭を過ったが、殿下も急にこのような事を聞かされて、戸惑っているのだろうかと理解しようとした。
…まさか自分のお子を疑うなど、夢にも思っていなかったからだ。
それから数日後、私は寧王殿下と揃って、陛下に懐妊の報告に上がった。
正殿内は淡い春光に包まれ、香炉から立ちのぼる白煙が静かに揺れている。
陛下は満面の笑みを湛えて、心からの喜びを表した。
「そうか、凌雪に子が……それは誠よき兆しだ」
私達が報告を済ませると、陛下はそう穏やかに微笑まれ、そこにいる誰もが笑みに包まれる。
「寧王、お前もいよいよ父となるか。兄の煊王より先とはな!!」
冗談交じりの言葉に、居合わせた文官たちからも小さな笑いが漏れる。
しかし、その輪の中にいながら、寧王殿下はどこか所在なさげに沈黙していた。
軽く頭を下げ、礼は整えている。けれどその口元の笑みは浮かんではすぐに消える。
私の隣で、じっと動かぬその姿は、他の誰とも違う冷ややかな温度を帯びていた。
陛下が「子が無事に生まれるように」と、嬉しそうに話されるたび、寧王殿下は視線を伏せ、眉間にしわを寄せているからだ。
――私は、この時はっきりと気が付いた。
寧王殿下はこの子を、素直に喜べていないのだ。
この子が、本当に“自分の子”なのか――その疑念が、殿下の心に深く沈んでいるのだという事に。
≪私は…凌雪は愛せても、子が愛せるだろうか…≫
あの言葉の真意が、今わかった。寧王殿下は事実を知って以来、わたしと皇太子殿下との事を未だに関係があると疑っているのだ。
しかし、それは私がした事への罰でもあるような気がした。
このような人を欺き、皇太子殿下への気持ちを抑えることができなかった自分への罰なのだと…。
でも、この罰を子に背負わせてはいけない。
この子には、何の罪もないのだから…。
私は何も言えず、ただ静かに頭を下げ、陛下の祝福の言葉を受けた。
隣に立つ殿下の横顔に、拭え切れない深い悲しみを覚えながら…




