第六十七話 知らされない懐妊
それから七日ほどして、私は韓碧心から思わぬことを聞かされる。
少しずつ、景都に春が近づいてきて、時は折しも春冠祭が近づいてきたその日。
居間に呼び集めた自分の友らと、茶会をしていた韓碧心が、通りがかった私を見つけ声を掛けて来た。
「殿下」
そこで、私に気づいた者たちが、一斉に一礼する。
「今日は、賑やかなのだな。笑い声がそこにまで響いていた」
そう言って微笑みかけると、韓碧心が”もうすぐ春冠祭だ“と、そう言った。
もうそんな季節か、とふと窓の外の陽気に視線を向ける。
「殿下、来年の春冠祭は賑やかになりますね」
「来年?なぜ来年?」
そう言って不思議そうに首を傾げた私に、韓碧心は嬉々として告げる。
「春冠祭りでは、赤子の為に、父親が春冠を用意するではないですか?生まれて最初の年は男の子でも、女の子でも生誕祝いに。それでもし赤子が女の子なら、嫁ぐまで毎年ですよ?」
そう言って笑った韓碧心につられて、周りの者も顔を見合わせてにこやかに私を見た。
一瞬韓碧心が、何を言っているのかがわからず困惑していたら、両手を口元に運んだ彼女は、驚いて目を軽く見開いた。
「もしや、まだお聞きになられていないとか?申し訳ありません。てっきりご存知だとばかり…」
慌てて頭を下げる韓碧心に、私は戸惑いながら面を上げるように言い、言葉の意味を確かめる。
「一体…」
「…正妃が…ご懐妊されたと…」
「……」
「府医も神医も、確かだとおっしゃられていたので、てっきり殿下もご存知なのかと」
「……」
「あれは…確か殿下が、急用で皇宮にお泊りになった日でございます。府医は、殿下にご報告をと言って、ずっとお帰りを待っておられました。なので、てっきりもうご存知だと思っていたのです。正妃もお話しているとばかり…」
「あの日は、戻れなかったゆえ、もしかしたら府医も凌雪も機会を逃したのかもしれぬ。
あれからも私はとても忙しく、府医には全く会えていないし、凌雪とはゆっくり話せていないのだ。
気にせずともよい。遅かれ早かれ耳にすることなのだし、大層喜ばしい事ではないか」
そう言ってにこやかな笑顔で、彼女の肩に手を掛けてやると、韓碧心やそこにいる友らは、安堵の表情を浮かべ、賑やかに私を見送った。
あれから何度か顔を合わせたが、凌雪本人からもその事実を聞かされていない。韓碧心も内心疑問に思っているはずだ。
王家の懐妊ともなれば、慶事になるし父帝も母上も大層喜ぶはず。そのような福を運んでくる懐妊の知らせを、なぜ凌雪は私に言わず黙っているのか…
一度は打ち消した凌雪への不信感が、再びドロドロと胸の中を渦巻いていくのを感じる。
それを必死で振り払うようにして、馬に飛び乗り、私はそのまま軍営へ向かった。
軍幕では、また叔父上が待っていて、私の顔色を見るなり何かあったのかと尋ねて来る。それに答える気にもなれず、私は黙ったまま自分の椅子に腰を掛けた。
「寧王、今日は朗報だ」
「朝早くから、何なのです」
私は、冷ややかな目線を叔父上に向ける。誰のせいで、こんな気持ちになっていると思うのか。それも知らず、にこやかに機嫌が良い叔父上が正直目障りに感じた。
「狼牙寨の狼主・熊覇と手を組んだぞ」
「狼牙寨と?」
「そうだ!このあたりの国はどれも手を焼いていると言う、あの獰猛な民族だ!」
「手を組んで、どうすると言うのですか。一緒に景国にでも、攻め込むおつもりですか」
私は、苦笑いをすると、軍法を手に取り小さく首を横に振る。
また訳の分からぬことを言い出したと、呆れたからだ。
狼牙寨と言えば、どの国もあえて目を瞑っている、手が付けられない獰猛な一族だ。
聞けば、黒襲門の獄風がそこの出身で、熊覇をよく知って、そこから話がまとまったらしい。
「わからぬようなら説明してやろう。私は、実は蒙成国と、昨日密約を交わした」
「えっ?」
「皇太子が蕭烈微を娶ったため、私の計画は水の泡になるところだったが、調べていくうちに、蕭烈微の妹が、蒙成国に人質になっている事が分かったのだ」
「人質に?」
「遊学と言っていたが、蕭烈微は妹の蕭烈月を取り返す交渉の為に、何度も蒙成国に足を運んでいたらしい」
「……」
「その事で煊王と、蒙成国の皇太子が国境で密談をするという情報を掴み、韓清之と、その後蒙成国の皇太子・赫連 景と話をするため、我々も駆け付けたのだ」
「……」
「そこで、一体何が分かったと思う!」
叔父上は意気揚々と、私にその話の続きを話して聞かせた。まるで既に天下をその手中に納めたかのような溌溂とした声に、私の心はげんなりとしていた。
「何が…わかったのです」
「寧王よ!聞いて驚くな!
蒙成国の皇太子・赫連 景は、なんと!天黎から公主を娶るにもかかわらず、蕭烈微の妹を寵愛しており、景国から無理やり拉致した状態らしいのだ!
それを、皇太子が交渉に来たらしい。景国に蕭烈微の妹・蕭烈月を返還するようにと」
「兄上がそうするのも当たり前です!妃の妹君が拉致されるなど。
景国と蒙成国が戦にならぬのが、不思議なほどだ!それでは、景国王が攻め込むのも、時間の問題ではないですか」
「そこだ。なぜ景国が早急に攻め込まぬのか、それには理由があるのだ。
景国は今相当国力が弱っていて、我らの調べよりも遥かに分が悪いらしい。
そして、蒙成国は天黎を敵に回したくはない上に、蕭烈月を返還したくないそうだ」
「……」
「なので私が、蒙成国の皇太子赫連 景と手を組むことにした」
「そんな…何かの冗談でしょう」
「冗談でこんな事を言うはずがないであろう。
景国は、天黎を味方に付け、蕭烈月を奪還するつもりらしい。
天黎が動く前に蕭烈月を返還するように煊王が迫ったらしいが、どうしても応じたくないと」
「それでは、隣国を巻き込んで戦が始まってしまいます。そんな事になれば…」
「その前に、私の側の兵と蒙成国が手を組んで、李乾徳を倒す」
「叔父上!!」
「狼牙寨とも話はついている。私とお前の軍と、辺境の蒋玄庭の軍と南の凰影門、そして蒙成国と狼牙寨。これらの兵で、李乾徳と煊王を権力の座から引きずり下ろすのだ!!」
「私は、兵を出しません!」
「まだそんな事を言っているのか!皇太子と凌雪に裏切られていたのだぞ!あの女子は、かわいさ余って憎さ百倍のはず!!ここで、凌孟昊とも決別できる!!」
「凌雪の事は、憎んでいません。もう放っておいてくれませんか!」
私がそう言って叔父上から顔を背けたら、彼は両手で私の胸元をつかんで鼻息を荒くした。
今度は、力尽くで言い包めようと言うのか、必死だ。
「ばかな!あの女は、皇太子と契りを交わしているのだ!
そんな女を、なぜおまえがそうまでして庇わねばならぬ!皇太子と一緒に葬ればよいのだ!!」
「凌雪は私の正妃なのですよ。もういい加減にしてください!私が凌雪と幸せになってはいけないのですか!」
「大義の前には、女子の一人や二人と言っているのだ!」
「女子の一人ではありません!凌雪は正妃であり、私の子の母になるのですよ!」
「…な…なんだと…」
「凌雪は懐妊しているのです。なので、もうこれ以上…叔父上は私に余計な事を吹き込まないでください…」
喉から絞り出すかのような私の嘆願に、本当の父であるなら分かってほしいと、願わずにはいられない。この心の苦しみを、少しでも軽くするが親ではないのか…。
今の叔父上は、自分の野望の為に全てを正当化しているだけで、私への思いやりなど微塵も感じられない。
そう思うと、私の胸元をつかんだ彼の手を力強く解き放ち、思わず背を向けてしまう。
「寧王…」
「その計画は、全て白紙に戻してください。私は凌雪と、子の為その様な話には加担しません。これ以上戯れ言を言うなら、父帝に話します。」
「お前の父は、この私だ!」
「私の父は、皇帝陛下ただ一人です!!」
「な…何を言っているのだ!蘇貴夫人から事実を聞いたのであろう!それでも私に歯向かうと言うのか!」
「私は、何も聞いておりません」
「李璿!!」
「もう帰ってください!!これ以上私の気持ちを、かき乱さないでいただきたい!!」
「私は本当の事をお前に話しているだけだ!あの女が懐妊したなど…それは本当にお前の子なのか!」
そう慶淵王が口にした瞬間、私は全身の血が頭に上り、気が付くと両手で叔父上の胸を掴み壁際に追い詰めるほどの怒りを露わにする。
今までの恩義があるからこそ、黙って話を聞いてきた。
実父だと思えば、それからは同情もした。その口から発せられる言葉は、全て私の為なのだと母に聞かされ、そう理解しようともした。
凌雪の事も、“実の息子を思えばこその心配なのかもしれない”と…けれど、叔父は私の気持ちなど何も理解していない。
私がどれだけ凌雪を大切に想い、どれだけ愛しいと思っているのか…
そして…兄上と凌雪の事が、どれほど私を苦しめているのかを…
「私の子でなくて…他に誰の子だと言いたいのですか…。それ以上言えば、叔父上でも許しません」
そう言って、更に叔父上を掴む自分の両手に、力を込めたその時だった。
「お前だってわかっているのだろう。陛下だって、私の子を、我が子だと信じているではないか」
そう言って笑った叔父上の胸を、私は思わず力強く突き放すと「いい加減にしてください!」
と大声で怒鳴り軍幕を後にした。
岳珩が、慌てて私の後を追いかけて来るのも振り切り、私は馬に飛び乗るとそのまま寧王府へ戻り、凌雪の部屋へ真っ直ぐと向かう。
叔父上の話が真ではないと、ずっと自分に言い聞かせて来た。かつては兄上を想っていたとしても、今は正妃として誠実に私に心を寄せていると、信じようとした。
でも抑えようとしても、沸々と沸き上がる疑念を叔父上がいつも確信に変えようとする。
韓碧心から、凌雪の懐妊の事を聞いても、あまりにも突然の事で実感がわかなかった。
忙しく、府医にも会う時間が取れていない上、”彼女がすぐに言い出せなかったのだろう”と、深く考えないようにし、今夜あたり気を取り直して、直接凌雪に尋ねようと思い直していたのだ。
しかし、今叔父に言われてふと疑問に思う。
――なぜ懐妊したことを私にすぐに話さず、幾日も黙っているのか。
叔父上に、言われたからだけではない。
私と凌雪の間に、兄上という存在が刻まれた為、その疑念はより一層、胸を締め付けた。彼女の沈黙は、まるで私を欺いているかのように思え、その腹に宿る命が本当に私のものなのか、拭いきれない不安と、許しがたい怒りが込み上げてくる。
それを凌雪に問いただすため、私は迷わずその足で翡翠居へ馬を走らせた。




