第六十一話 蕭烈微の思いもよらぬ心
「なに?凌雪に会った事がある?」
あれは、宿幸(妃の部屋に泊まる事)と称し、蕭烈微の部屋に初めて行った時の事だ。
部屋の八卓の前で、神妙な顔つきの彼が、思わぬことを私に告げる。
「一度、宗漠と天黎の街を、見に来たことがあるのです。去年の師走になる頃だったかと…。その時彼女に会いました」
「どこで会った?凌雪は一体何をしていたのだ?」
「私と宗漠が食事をしようと、粥の店に入ったら、そこにたまたま凌雪さんも居合わせて…」
「凌雪が市井の粥の店に入るなど、何かの間違いではないのか?」
「いえ、その店の周婆という店主が、確かに“凌大将軍の娘凌雪だ”と」
「……」
「大層美しく、見とれていたので覚えています」
「……」
「その時顔を見られたので、これは殿下に話しておかねばと」
「その時も、女子の様な格好を、しておったのか?」
「あ、いえ。その時は普通に男の姿でした。景国ではそれができぬゆえ…」
「蕭烈微、お前も大変なのだな…」
そう言って、私がため息をつくと、彼は小さく首を横に振って一度頭を下げた。
凌雪が、顔を知っている…それは一度話さねば。
もし寧王にでも、言われてしまえば厄介な事になる。
しかし…
「凌雪は、もしかしたら、お前を覚えておらぬかもしれぬ」
「え?あ、でも少し話しました…」
「彼女は、少し鈍いところがあるのだ。面をつけていると、私か兄かも区別がつかぬ」
「でも、念の為に話しておかねば、万が一気づかれて、寧王にでも話されると困ります」
「それは一理あるが…」
「婚儀の日は、恐らく面紗のおかげで気づかれていないかと。寧王妃は、途中具合が悪くなり王府へお戻りになられたので」
「何?凌雪が?」
「……」
その日私は手いっぱいで、他を気にする余裕がなかった。
けれど蕭烈微は、凌雪を気にかけていたのか?
さっきは、凌雪を美しいと言い…
「本当に可愛らしい方でした…とてもお優しくて…」
そう言う蕭烈微の顔は、ほんのりと赤くなっている。
これは、凌雪に蕭烈微を女だと思わせておいた方が、良いような気がしないでもないが…
この事が寧王に知られたらおしまいだ。何となく気になるが、一応凌雪には本当の事を話しておこう。
「わかった。一度凌雪には二人で会いに行こう。蕭烈微が男である事を伝えておけば、母后の茶会など、今後何かと、助けにもなるだろうから」
こうして、私は寧王が公務を外せない日と、側妃の韓碧心が実家へ帰ると言う日を選び、二人で寧王府を訪ねる事にする。
蕭烈微の正体を打ち明けると、凌雪は大層驚いていたが、やはり市井での蕭烈微と妃殿下が、同一人物だとは結び付いていなかった。
そして帰りの馬車に揺られ、久しぶりに会った凌雪の事を考えていた時だ。
蕭烈微は、馬車の窓にかかった布を指先で除けると、少しまだ肌寒い風に身震いする。
そして、窓の外をぼんやりと眺めながら、ぽつりとつぶやいた。
「寧王妃は…なんと愛らしいのでしょうか…」
その言葉に驚いて、思わず私は彼の方に視線をやる。
私に言ったというよりも、独り言のような感じだが、それは確かに心の声を口にしたかに見えた。
「そのような事を言っては、寧王に不敬であろう」
寧王の立場を考えれば、そのような発言は不敬であると咎めた。
だが、それ以上に、蕭烈微が私の愛する凌雪を、口にすることが気に入らなかったのだ。
私がそう窘めると、蕭烈微は小さなため息を一つつく。
「私は…女子として生きてきたゆえ、周りには多くの女子がおりました。しかし、あのような方は見たことがない。美しく愛らしいのに、どこか凛とした強さも秘めていて…。そしてとてもお優しい…」
「別にどこにでもいるような女子だ。それに性格は、お前が昔いじめていた侍女によく似ている。私はそれを覚えているぞ」
「あれは…」
「そう言えば、あの侍女はもういないな。まさかお前が、殺したのではあるまいな」
「…翠玉は…私を庇って、刺客に殺されました」
「なに?……」
「それに私はいじめてなどおりません。侍女の翠玉は、私が初めて好きになった女子なのです」
その言葉に、思わず驚きで目を開く。
昔天黎に、あの侍女を従えてきたころは、酷い言葉で罵っていたのを、この目で見たからだ。蕭烈微が、好きだった女子だと?
「そうは、見えなかったが…」
「本当は翠玉を深く愛しているからこそ、自身の危険な秘密から彼女を遠ざけ、守ろうとしたのです。
自分の秘密が露見すれば、最も近くにいる翠玉が巻き込まれ、命の危険に晒される。そのことを恐れ、わざと冷たく当たることで、彼女に自分から離れていってほしいと願う、苦渋の選択でした。
でも…翠玉は、最後まで私を守ることを、心に決めていた。その目が…寧王妃にとても良く似ているのです…」
「……」
「寧王殿下がいらっしゃるのに…。私は、ただ彼女に会いたいと思う…」
蕭烈微は、私の存在など気にする様子もなく、窓の外を眺めたままそうつぶやいた。これは…非常にまずい…警戒すべきことではなかろうか。
私は情けないことに、「しかし…凌雪には寧王という夫がいる…」と牽制するしかなかった。まだよくわからない蕭烈微に、凌雪や自分のことなど話せるはずもなかったからだ。
「殿下…」
「なんだ」
次は何を言い出すのかと、私は蕭烈微に対して身構える。
「この間お話しましたが、天黎の事は恐らく殿下よりも詳しいかと。中に居れば気づかぬことも、外から見ればわかることもあるのです。慶淵王殿下は今、本気で謀反を起こそうとしています」
「それは、こちらでも調べがついている……。」
「その際、景国は殿下にお力をお貸しすると約束しますが、殿下にも、一つここでお約束をしていただきたい」
「それは一体何を…」
「寧王殿下は、慶淵王側に付く可能性があると聞き及んでおります。もしその時、一緒に謀反を起せば同罪。景国が鎮圧をお手伝いします。ゆえに、その折には寧王妃を、私が娶ることをお許しいただきたい」
「な…」
何を言い出すかと思えば…
私は、蕭烈微が言い放った言葉に、冷水を浴びせられたような心地になる。
想像もしていなかった彼の言葉に、私の中で激しい動揺が走った。
「そ…そんな事が、許されるはずがなかろう!」
思わず大きな声になる私に、蕭烈微は表情一つ変えずに答える。
「では、凌雪を処刑するのですか?夫が謀反を起こし、その正妃が無事にいられるはずがない。大将軍凌孟昊さえ、その処分に口は出せないはず」
「……まだ…謀反が起きるとは決まっておらぬ。そして寧王が付くとも」
「景国の調べでは、寧王殿下のお気持ち一つで、すぐにでも事は起きるでしょう。慶淵王殿下が説得している今、時間の問題かと」
「……」
「寧王は…凌雪がいる限り慶淵王には寝返らぬ…」
それが、私の下している判断だった。
たしかに寧王は、韓清之の娘を娶った。その際、慶淵王側がいよいよ動くのではと警戒していたが、動きはなかったのだ。
それにあれから寧王は私に、韓碧心との婚姻は叔父を黙らせるための偽りであり、韓碧心は大理寺少卿と深い中にあると…そして、誰よりも凌雪を大切にし、守ると…そう言って来た。
――――“凌雪は、私の正妃なのだ”と…
あの目に、嘘偽りも、ためらいもなかった。
あれは、寧王李璿の本心だ。
寧王は凌雪を危険にはさらさない。だとしたら、絶対に慶淵王側にはつかないであろう。
しかし私だって、彼女を誰よりも大切に思い守りたい。
忘れようとしても忘れられず、今日のように会えばまた思いは募る…。
万が一、蕭烈微の言うようなことになれば、私だって黙ってはいない。
なのに凌雪を、蕭烈微に娶らせる?
寧王に嫁がせたことでさえも、この身を裂くほどに辛く、許せるものではなかったのに、景国に…しかも蕭烈微になど…まるで人質ではないか?
私は膝の上に置いた拳を、強く握りしめる。
あれから天黎の間者を使い、景国では調べられていない事実を突き止めた。
それは、蒙成国の皇太子が、蕭烈月に思いを寄せており手放さぬことだ。攫うようにして景国から連れ去り、人質として暮らしているが、娶ろうにも蕭烈月が首を縦に振らぬらしい。
天黎の公主華琳が婚姻する事もあり、蒙成国の皇太子・赫連 景の事は調べていたが、蕭烈微から話を聞かねば、蕭烈月の存在はわからなかった。
反対に、景国は慶淵王と寧王の事を調べつくしてくれたが、想像以上に兵を揃えて準備をしている。
それに…私は蕭烈月を取り戻すと約束した。そのため華琳の婚儀の前に、蒙成国の皇帝と会えるよう文を書いた。国境で皇太子にも会う予定だ。
それと引き換えに、今や、半数近くの兵が、慶淵王側に付き始めている天黎に景国が共に兵を出す。
―――慶淵王を倒すために。
それがすまねば、蕭烈微をどうすることもできない。
その後、蕭烈微はうまく皇太子妃として日々をやり過ごし、凌雪との距離も縮めていった。
それに気が気ではなかった私は、何度も蕭烈微をけん制したが、凌雪が全く警戒心を持っていない。蕭烈微の想いに、まるで気づいていないのだ。
そして、この蕭烈微の願いを聞き入れたがために、天黎の危機に直面しようとは…
この時の私には知る由もなかった。




