第六十話 皇太子殿下と蕭烈微の頼みごと
寧王殿下と韓碧心殿は、婚儀の翌日、二人揃って私にお話に来られた。
お二人の婚儀は、政治的な思惑が絡んでおり、彼女には他に恋い慕う方がいると…。
それは“大理寺少卿の裴昭”という方で、殿下はお二人が、いずれ結ばれるよう協力するとの事だ…。
私はそれを聞いて、複雑な気持ちになった。
ここにも政の犠牲になり、想いを遂げられなかった女子が一人いたのかと…。
韓大臣は娘の幸せよりも、政治の都合でその相手を選んだ。
大理寺少卿の裴昭よりも、寧王殿下の方が何かと都合が良いからだ。
夫となった寧王殿下の支援で、いつの日か大理寺少卿と…とはいっても、そう簡単にはいかないだろう…。
もしかしたら、それは叶わぬ事かもしれない…。
私はそれが、身にしみてわかっている。
―――それからすぐに天黎は春節を迎え、皇太子殿下が景国から蕭烈微を皇太子妃として娶られる日が来た。
私は寧王殿下と婚儀に参列はしたものの、具合が悪くなりすぐに寧王府へ戻ったため、妃殿下のお姿は、後ろ姿しか見ていない。
それから一か月ほどしたその日の午後、寧王府に皇太子殿下と妃殿下が遊びに来られるとの報せが入った。
寧王殿下は公務で席を外され、側妃は二日ほど前からご実家へ帰られているので、私が一人で対応せねばならない。胸の奥に、微かな緊張が走る。
私は寧王妃としての務めを果たすべく、心を落ち着かせて、皇太子夫妻をもてなす準備を整えた。
庭園の最も美しい場所を選び、茶席を設え、四季折々の菓子を用意させる。
やがて、遠くから馬車の音が聞こえ、寧王府の門が大きく開かれた。
煌びやかな装束を纏った皇太子殿下と妃殿下が、優雅な足取りで庭園へと入ってこられる。
私は深々と頭を下げ、寧王妃としての礼を尽くした。
顔を上げた私の目に映るのは、皇太子殿下の凛としたお姿。そして、その隣で微笑む妃殿下の美しい顔立ち…
なぜだろう…面紗をつけられているが、どこかで見覚えがあるような気がする。婚儀の日はお顔を一目も見ていないのに…
私は思わず、妃殿下のお顔をじっと見つめた。
妃殿下はそれに少し驚かれて、私から咄嗟に顔をそらし、皇太子殿下の後ろへ身を隠される。
「凌雪…。あ…蕭烈微は…」
「え?」
その時、皇太子殿下が何かを言いかけたので、私はハッとしてお二人をお席に案内した。
皇太子殿下のお隣に妃殿下が並んでお座りになり、私は向かい合わせでお茶をお注ぎする。
すると皇太子殿下が、周りに使えた寧王府の従者たちに“下がれと”命じられた。
庭園に三人だけになると、殿下は周りを確認するかのようにして見渡し、小さな咳払いをして姿勢を正される。
「凌雪…。これから言う事を心して聞いてほしい。そして誰にも口外せぬと」
「え…あ、はい」
一体何を言われるのだろうかと、こちらまで緊張する。
すると、妃殿下がおもむろに面紗を外され、真っ直ぐに私を見据えた。
「この顔に見覚えがあるだろうか?」
皇太子殿下にそう言われて、妃殿下をじっと見つめるがあまりよく思い出せない。
そしてその顔立ちは、息をのむほどに美しかった。
妃殿下のお顔の肌は絹ように白く透き通り、光を浴びて淡く輝く。
その中に印象的に浮かび上がるのは、吸い込まれるように黒く、大きく見開かれた瞳だ。長く豊かな睫毛が、神秘的な雰囲気を醸し出している。
鼻筋はすっと通り、彫刻のように美しく、紅引いた柔らかで艶やかな唇は、見る者を惹きつけた。
全体として、繊細な美しさを纏っていたが、その完璧すぎるほどの造形の中に、覚えは全くない…
「私は…このように美しい方なら、一度見たら忘れないと思うのですが…」
そう言って首を傾げると、皇太子殿下は小声で私に思わぬことを話した。
「蕭烈微が暮れに市井で、お前に出くわしたと言うので、仕方なく話すことにしたのだが…」
「え?暮れに市井で?私は妃殿下には、お会いしていないかと…」
「よく見るのだ」
そう言われてじっと見つめていたら、妃殿下は照れたように私から目をそらす。
「凌雪、あまり蕭烈微をじっと見つめるな」
「え?あ…今見るように言われたので…」
見ろと言ったり見るなと言ったり…相変わらず皇太子殿下は訳が分からない。
「蕭烈微は、男なのだ」
「ふふっ。一体何を言われているのですか…そんな妃殿下に失礼ですよ」
皇太子殿下の言葉に、一瞬何を言われているのかがわからず、私は笑って答える。
「やはり凌雪は気づかぬではないか。私が言ったであろう。女子の姿で会ったのならまだしも、素顔ではわからぬと。凌雪は鈍いのだ」
なんだか、とても失礼な事を言われているような気がしたが、殿下に言われてもう一度妃殿下をじっと見つめた。
こんなに美しい人が、男って…
殿下は平然と言われているが、妃殿下が男…
「え?!妃殿下が男性??」
事の大きさに気づき、思わず大きな声で驚くと、殿下は周りを見渡し“大きな声を出すでない”と私を窘めながらとても慌てている。
「妃…妃殿下が…なぜそのような事態に…。女が…男に…いや、なぜ公主が殿方に…」
「ほら見ろ。凌雪が混乱したではないか」
皇太子殿下がため息をつき、そう隣の妃殿下に話しかけると、妃殿下は静かに男性の声色で返事をした。
「暮れに…周婆の店で隣り合わせになった、二人の男を覚えていますか」
暮れに周婆のお店に?
たしかあの時は…寧王殿下の事を父上に相談に行った時だ…
寧王殿下が、側室を娶られることで、自分の決意も揺らぎ始め、どうしてよいのか悩んでいたので、久しぶりに周婆のお店に足を運んだ。
周婆はとても優しくて強い、太陽の様な人だ。
戦でご主人と息子さんを亡くされて、それ以来一人で店を出し切り盛りしている。
苦しい時も、悲しい時もいつも明るく励ましてくれて、いつしかあの優しい味が、私の心を癒してくれるようになっていた。
皇太子殿下とお別れした後も、周婆のお店を訪れた。
あの時は思わず泣いてしまい、彼女は、他の客を追い出してくれたのだ。
「桂花糖粥を、教えていただいて…」
「あぁ…あの時の!」
「蕭烈微は、訳がありこのような姿になっているが、景国の第二皇子だ」
「第二皇子?」
「これは、全て蕭烈微の妹蕭烈月を助ける為。今、蕭烈月は蒙成国の人質になっているのだ」
「陛下は、これをご存知なのですか?」
「韓昭以外、誰も知らぬ。景国から来た従者は、全て訓練された秘密を守れる者達だ。しかし茶会や女子の催しの際には、手が及ばぬ。それを凌雪に、蕭烈微を助けてほしいのだ」
「それは構わないのですが…でも、もしこれが陛下に知られれば大変な事になります」
「わかっている。だから誰にも言わないでほしい…全て私の責任でなんとかするゆえ」
「私は…誰にも話したりしません…が…」
「寧王にも、決して話すではないぞ。それから凌玄珣や凌孟昊にもだ」
こうして皇太子殿下と妃殿下は、私に秘密を打ち明けると、二人でそのまま太子府に戻って行かれた。
皇太子妃が男であるという事実に、私の心は激しく動揺する。
まず、信じられないという驚愕が全身を貫いた。高貴な皇太子妃として、完璧な女性として振る舞っていたお方が、実は男性であったという現実は、私の常識を根底から揺るがしたのだ。
一瞬、自分の耳を疑い、目の前の光景が幻ではないかと錯覚するほどに…。
しかしこの秘密が知られた時、皇太子殿下の立場はどうなってしまうのだろうか。
きっとただでは済まされまい。妃殿下が男??景国から嫁がれたと言うのに??
様々な疑問が渦巻き、頭の中は混乱の極みに達した。
しかし、その混乱の中には、複雑な感情が入り混じっている。
妹を助ける為だとおっしゃっていた…
見知らぬ天黎に来て、ただでさえ不安だろう…。なのに、ほんとの自分を隠さなければならないとは…。そして正体が、いつ皆に知れるともわからない中での日常…。
それは、表向きの華やかさとは裏腹に、計り知れない重荷があるだろうと、痛いほど心苦しくなった。
そして夜になり、寧王殿下が王府に戻られ夕餉の後、韓碧心と三人でお茶を飲んでいた時のことだ。
「そうだ!殿下も正妃も聞いてください!この間見て来た芝居が、とても感動したのですよ」
「芝居を?」
「殿下も、正妃と見に行かれては?女形の花洛がとても美しくて…」
うっとりする韓碧心に、殿下が茶器を手に聞き返す。
「女形か?」
「そうなのです。お二人とも信じられますか? “花洛”が舞台に現れた瞬間、あの重厚な劇場に、ふっと風が吹いたようだったのです。まるで――そう、お伽噺の仙女が現れたみたいに!」
嬉しそうに手を組み、身を乗り出す韓碧心に、私は思わず微笑んだ。
韓碧心は、素直で本当に明るい性格で、彼女の話は毎度面白く、それを聞くのがとても好きだった。
「女形とは思えぬほどの美貌で、舞うたびに袖が風に揺れ、金の髪飾りがしゃらりと鳴って…ああ、思い出すだけで胸が高鳴ります!」
「そんなにお美しかったのですね」
そう私が応じると、韓碧心はうっとりと目を細めた。
「ええ、もう…その一挙手一投足が絵のようで。凛として、儚くて――殿下にも、ぜひ一度ご覧いただきたいくらいです!」
殿下は茶を口に運びながら、相槌を打っている。特に興味がある様子でも、退屈している様子でもない。それが、韓碧心の興奮を煽ったようだ。
「しかも声が…もう、まるで鈴のような澄んだ響きで。なのに台詞になると、芯のある艶やかさに変わるのですの。男の方とはとても思えませんわ。私なんて、途中から自分が女であることを忘れてしまって…!」
韓碧心があまりに熱心に語っているその時、私はふと、皇太子殿下が連れて来た、蕭烈微の事を思いだした。
確かに…蕭烈微も美しく、とても男の方とは思えない。
その姿を目に浮かべ、天女のように舞う蕭烈微を想像した。
「殿下…」
その時ふと、私が寧王殿下にお声をおかけしてしまい、韓碧心と殿下の視線が一斉にこちらを見つめる。
「ん?」
殿下の返事と共に、韓碧心も私の口から何が語られるのかその目に期待の色を滲ませていた。
「え…あ…、もし殿下が女子の格好をされても、そうなるのでしょうか…」
それに韓碧心の視線が、ちらりと殿下に注がれる。
思わぬことを言われ、殿下も戸惑い返事に困っているようだが、私の頭の中には皇太子妃殿下の信じられない真実が、ずっと駆け巡っていた。
「殿下は…少し無理があるのでは」
真顔で答えた韓碧心に、今度は殿下が困ったような顔をして私に視線を送る。
「誰にでもなれるわけでは、ないという事ですか?」
「それはそうです。中性的な美しさと華やかさを持つ、一部の男の特権です」
「では、私生活もずっと女子の格好を?」
「いや、それは違うのでは。彼らは役者として女子になり舞台に立ち、舞台を降りれば男に戻るのでしょう」
「ずっと女子でいるのは、大変なのでしょうね…」
「……」
「……」
黙ったまま、私を見つめる殿下と韓碧心の視線に気づき、ハッと我に返る。
蕭烈微の事を考えていたからか、おかしなことを言ったのだろうか。
皇太子殿下には秘密だと言われているのに、悟られてはいけない。
「あ……。えっ…あ…私は…男になってみたいのです」
「えっ?凌雪が?」
「え??正妃が?」
二人の視線に、思わず変な事を口走ってしまい、今度は殿下と韓碧心が目を丸くしてこっちを見た。
彼らは同時に驚きの声を上げ、その後声を出して笑いだす。
「凌雪が男でなくて、本当に良かった!」
「正妃が男なら、今頃大将軍のご子息に??」
「それは、弱すぎるだろう!」
「国が、滅びてしまいますね!」
好き勝手なことを言って笑っている二人をよそに、私は蕭烈微の事を考えていた。
だって…女として生きるという事はそう言う事なのだ。
―――私が男として生きるのと同じ…
寧王殿下は皇子として、何不自由ない暮らしをしてきた。男として文武両道で、学び、守られ、自由に声を出し…
蕭烈微は、それをすることができない。
皇太子殿下が言っていた。蕭烈微は、生まれた時から女子として生きて来たと…。
私は市井で、男の姿の妃殿下を見た。頭から足先まで男の姿だったが、化粧をしていない顔でも血色も良く、お連れの方と話す姿は生き生きとされていた。
本当なら、あの姿で生きていきたいに違いない…。
黙ったままため息をついた私に、今度は気を使いだした殿下と韓碧心。
「男でも良かったかもしれないな」
「そうですね。男前だったかもしれないです」
「今頃引く手あまただ!」
「私も嫁ぎたいです!」
「え?」
二人の会話はあまり聞いてなく、私は蕭烈微にできるだけ手を貸そうと心に決める。
ただ、この天黎での暮らしが少しでも、楽しく穏やかで良いものになるようにと…。




