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第五十三話 寧王正妃としての決意

体調を崩した私は、この日一日床に臥せていた。


その日“皇太子殿下が寧王府を尋ねて来る”と、昨日の夜に知らせを聞いていたが、朝になると思っていたよりも熱が高く、ご挨拶をすることもできない。


寧王殿下が、心配して私の為に、朝一番で靈麗(れいれい)を呼んでくれた。


「凌雪、かなり気が欠如しているようです」


「気の欠如?」


「何か辛い事があったのですね…」


何もかもわかっているようなその口ぶりに、思わず涙が溢れそうになる。

それを黙って堪えていると、靈麗がそっと手を握ってくれた。


「気を補う鍼を打って、今日は私の出すお薬をちゃんと飲んでくださいね。

明日には気分も晴れ、良くなっているでしょうから」


「ありがとう…」


その時もらったお薬は、心配事を和らげるからとそう言って笑った靈麗。


私は、どうやら知恵熱だったらしい。


東宮の執務室で、皇太子殿下に姉の事をお願いした4日後、皇后陛下のお茶会で彼女に会う。


帰り際、私を捕まえた姉は本当に嬉しそうに皇太子殿下との交宿日が決まったと言っていた。

良かったと思った反面、その日から考えない日はない…。


どんなに強がっても、皇太子殿下のお顔を見れば心が揺らぐ。


―――私には無理だ。お前に寧王が触れると思っただけで、毎夜おかしくなりそうなのだ。

――そう言って、私に触れた皇太子殿下の唇…


私だって同じ気持ちだ。

決まっている事とは言え、姉上と…。


殿下…私達は、なぜこんな運命を背負って生まれて来たのでしょう。


寧王殿下は優しい夫だ。そのお人柄から、兄上と一緒にいるようで安らぐ。

いつも私を気遣ってくれるし、どんな時も怒ったりしなかった。


今日一日、とても心配をかけていたと思う。


夜になり、彼は軍営から戻った足で私の様子を伺いに来た。

疲れた様子で、殿下も元気がない。


少し話したあと、着替えて来るので待っていろと言われ、寝台で横になっていたら、うとうとしてしまう。


それからふと、私の額の辺りに触れた優しい感覚に目を覚ますと、私のそばに腰かけた寧王殿下が、穏やかに微笑んでいた。


「…うとうとしてしまいました」


「気にしなくてよいから…。湯あみをしていたら遅くなったのだ」


「殿下…こちらへどうぞ」


そう言って私は起き上がり、寝台の奥に横になるよう彼に促した。


殿下はそちら側へそっと移動し、私を抱き寄せて横になると、穏やかな声で話し始めた。


「凌雪…。もし凌媛羅ではなく、凌雪が兄上の側室であればどうなっていただろうか」


そう言われて、ふと顔を上げようとすると、殿下は自分の表情(かお)を見られないよう、私を再度強くその胸に抱き寄せる。


「……」


「これは、想像でしかないのだが」


「……」


「私といるよりも、凌雪は幸せだっただろうか…」


今日の寧王殿下は明らかにおかしい。一体何を聞いてきたのだろうか。

今朝、皇太子殿下にお会いして、何かを言われたのかも…


「何かあったのですか…」


そう尋ねて、私が体を起こしたら、殿下も同じように寝台の上で体を起こし、私をじっと見つめた。


「今日、叔父上の所に行ったのだ…」


「慶淵王殿下の所ですか?」


「そこで兄上が“凌媛羅との婚姻を破棄する”と言った上奏を陛下に出していたと聞いた」


「……」


―――慶淵王殿下が、皇太子殿下の上奏文の事を知っている。


「どうやら情報元は、凌媛羅らしい」


「姉上が?」


「私達の婚儀の日に、兄上が華琳と話しているのを聞いたそうだ。兄上と凌媛羅の婚約を破棄したいとの上奏文を父帝に出したと…」


「……」


「叔父上は、“兄上が雪の事を慕っているから、そうしたのだ”と言っていた」


それを聞いて、私は父・凌孟昊(りょうもうこう)が言っていた話を思い出す。


もし皇太子殿下が、“寧王殿下と私の婚姻を破棄を嘆願する上奏文”まで書いていたと知ったら、寧王殿下は、なんと言うだろうか。慶淵王殿下は、その上奏文の事は知らないのだろうか…。


父上はおっしゃっていた。

私の行動で、皇太子殿下が危険にさらされるだけではなく、天黎(てんれい)も危なくなると。二人を、決して争わせてはいけないと。


「私は…寧王妃なので…」


「凌雪…」


「殿下は、姉上がご自身の正室で、私が皇太子殿下の側室であった方が良かったのですか?」


そう尋ねたら、慌ててとりなしているその優しいお姿に、思わず笑みが零れた。

―――寧王殿下を、心からお慕いしなければ…。


こんなに優しい方を、決して傷つけてはいけない。

それに、皇太子殿下には、正しい道を進んでもらわなければ…


「正妃は、私を慕っているとはいわぬゆえ…」


その時、寧王殿下が私にぽつりとつぶやいた。

私は今まで、それに気づいていなかったかもしれない。

そう言えば、私からその気持ちを口にしたことはなかった。


嫌っているのではない。むしろ慕っているのかもしれない。

でも寧王殿下への気持ちは、皇太子殿下を想う恋心とは違う、安らぎのある家族愛の様な穏やかなものだ。


けれど…。


「私は…寧王李璿殿下をお慕いしております」


「凌雪…」


「いつも穏やかで、優しくて…本当に大切にしていただいていると、心から感謝しております。殿下となら、きっと幸せに、暮らして行けるでしょう」


それは、私の本心でもあった。

私はこの先、寧王殿下となら、うまくやっていけるだろう。そして添い遂げる事ができるのではないかと…。

――隣で皇太子殿下と姉を見ていなければならなくとも。


そう言い終わった時、寧王殿下は少し目を潤ませながら、目の前にいる私を強く抱きしめた。


「私もだ。私は、凌雪とだから幸せに暮らしていけるのだ」


穏やかだが、決意の含まれた静かな声に、私はその胸でそっと瞼を閉じる。


これは、私の決意でもあるのだ。


私は寧王李璿の妻なのだ。


「殿下、来月二人で霜楓別苑(そうふうべつえん)に行きませんか?」


「それは構わぬが…」


「11月には紅葉が美しいらしいのです。蘇貴夫人が教えてくださって」


「母上が?」


「はい。二人で行ってみなさいと。

“少し寒いので温かくしていくように”と、おっしゃられていました」


「霜楓別苑か…ここ数年行ってないな。紅葉が本当に美しい場所なのだ。良いぞ。公務を調整する」


そう笑顔で答えた寧王殿下に、私は小さく頷く。


これから、寧王殿下と、もっと仲良くしていこう。

そして、父上がおっしゃられていたように、慶淵王殿下に付け入る隙を与えないようにしなければ。


皇太子殿下が書かれた上奏文を、早く処分しよう…。


私はその夜なかなか寝付けず、隣で静かな寝息を立てる寧王殿下の寝顔を、横から眺めた。

大将軍・凌孟公(りょうもうこう)の娘として、毅然として生きていこうと再び誓いを立てる。


―――姉上は、皇太子殿下のおそばに居て、幸せなのだろうか。


もしかしたら、人は、想い人のそばに居られるだけで、良いのかもしれない。

私はそれさえも、叶わぬのだから…。


寧王殿下をお慕い、これから、幸せにならねば。

私を大切に思ってくれている、父上や母上、そして兄上の為にも…


それからの私は、固い決意の元、寧王殿下とも、寧王府の皆ともとても仲良く、穏やかに過ごしていた。


時折お泊りに来る犬の福丸や、猫の墨華(ぼっか)墨麟(ぼくりん)墨瑠(ぼくる)達とも楽しく過ごす時間。


そして靈麗との薬草の勉強。そんな忙しい日々は、心の憂いを忘れさせてくれる。


ただ、気がかりなことがあった。


あれから皇太子殿下が、体調を理由に姉上との交宿を拒み、その代わり、姉上と連れ立って頻繁に寧王府へ遊びに来るようになったのだ。


姉上はとても幸せそうに見えるし、煊王殿下(皇太子)も上機嫌で姉上に話しかけている。

それを見るたび、私は皇太子殿下の真意が分からなくなり、戸惑うばかりだった。



――――時は駆け足で過ぎ、約束の11月。


その日は意外と早く訪れる。

私が寧王殿下と、王室の別邸「霜楓別苑」に遊びに行く日だ。


霜楓別苑は、山あいにひっそりと佇む皇室の離れで、ヒノキ造りの建物がとても美しい。


赤く染まった外観に朝霧がかかると、まるで夢の中の風景の様だった。


縁側に座れば、遠くに連なる山々と、燃えるような紅葉の波が目に映り、心を洗うような静けさに包みこまれる。


私と寧王殿下は最小限の従者を連れ、二泊三日でここに滞在することにした。


到着した日、私たちは一通り周りを散策して歩く。


小さなどんぐりを拾ったり、落ち葉を集めて籠に入れたり…。

ひんやりとした、冷たい風が首筋を流れ、思わず肩をすくめると殿下が私の首に巻いていた牡丹の刺繍が施された絲帛(しはく)(マフラー)を、巻き直してくれた。


それからそっと私の手を取り“とても冷たくなっている”と、その温かい手でそっと包み込むようにして握ってくれる。


「少し冷えて来たので、屋敷に戻ろうか」


それに頷き、私と殿下と岳珩(がくこう)さんは別苑に戻りお茶をすることにした。


別苑に戻ると、殿下と二人並んで縁側に腰を下ろす。

赤い葉が舞い落ちてきたら、寧王殿下はそれを指先で拾って、私の頬につけて笑った。


「凌雪の頬も鼻も、葉より赤いぞ」


そう殿下に言われて、思わず両手で頬と鼻先を触ってみる。


「本当ですか?」


散歩が寒かったからだろうかと、真に受けて驚く私に、彼は零れ落ちそうな笑顔で笑いかけた。


「ほら…唇も赤いな…」


ゆっくりと顔をこちらに近づけてくる殿下に、思わず瞼を閉じる。

優しい口づけが、殿下から私に落とされた瞬間、思わず辺りをきょろきょろと見渡した。


さっきまでそばに居た岳珩さんは、いつの間にかいなくなっている。


「なんだ、どうした?」


「岳珩さんは?」


「気を利かせて、部屋に戻ったのかも」


「外ではやめてください…」


「外でないのなら構わぬのか?」


そう真顔で言われて、思わず照れながら怒る私に、寧王殿下はつられて優しく笑う。

こんな穏やかな日が、ずっと続いて行けばよいなと…その時は私もそう心から思っていた。


それから蘇璃(そり)が淹れてくれたお茶を、二人でゆっくりと飲んでいろんな話をした。


殿下は、忙しい毎日の中で、こんなにゆっくりしたのは婚儀以来だと、大きく息を吸う。

縁側で膝枕をしてあげたら、そこからぼんやりと私を見つめ、そっと私の髪に触れ指先に絡めてはほどき、また触れてから絡めた。


「凌雪の髪は、とても艶やかで美しいな…」


殿下は私の膝に頭を預けたまま。


「こんな風に、ただ静かに凌雪を見ていられるだけで、私は幸せだ」


囁くようなその声に、優しく微笑み返す。


あれから、私は穏やかに大切に毎日を過ごしてきた。

姉上と皇太子殿下の事も、周りの雑音もあまり耳に入れないようにして、平常心を保つようにしていた。


けれど皇太子殿下は、前よりもずっと、誰の目も気にせず話しかけてくるし

この間は寧王府に姉上と遊びに来たとき、一瞬二人きりになって…



『お前の他、私には大切なものなどないのだ』

と…目を潤ませていた。

―――そう言われた時は、私も本当に辛かった。


東宮でお話した時に、納得されたように見えたけれど、もしや思い詰めていて、何かするつもりではないだろうか。…上奏文の時のように。


かといってよく寧王府に夫婦で来ては、姉上にも優しくしているようだし…


情緒不安定なのかもしれない…交宿後ずっとお身体の調子が良くないのも心配だ。


―――でも、こうして皇太子殿下の事を考えていることがもう、振り回されているという事だろうか…。


「…凌雪?……凌雪??」


膝の上から、寧王殿下に名を呼ばれハッとする。


「あ…なんでしょうか」


そう答えると、殿下はゆっくりと体を起こし、私を見て優しく指先で顎を救い上げた。


「このような時に、私のこと以外考えるでない」


そう言って微笑むと、そっと私に唇を重ねる。

最初は触れるだけの、軽い口づけだった。


一度ゆっくりと離れた殿下の目を、私はじっと見つめる。

その優しい眼差しは、想いに揺れていた。


私は知っている。


この人は嘘をつけない人だ。

優しさで包みながらも、その優しさが、皇太子殿下を想う私を戸惑わせる。


すると殿下は立ち上がり、私をそっと抱き上げ部屋の寝台へと運んだ。


寝台には紅葉色の絹が敷き詰められていて、そこにそっと寝かされる。

そして、上から潤んだ目で見降ろした殿下は、そっと両手で私の頬を包んだ。


「凌雪…その全てが、私には愛しいのだ…」


「殿下…」


「私だけを見ていろ。他の誰にも目を向けずに…」


それは、慶淵王から聞かされた事が不安なのだとすぐに分かった。


あれから慶淵王殿下は、何度も私と皇太子殿下は関係があると、殿下に言っているようだ。


寧王殿下の護衛の岳珩さんが教えてくれた。

殿下の皇太子殿下への気持ちが揺れている事。

私の気持ちを、不安に思っている事…


なのに、まるでその事を煽るかのように、皇太子殿下は姉上と寧王府を訪れる。

一体どういうつもりなのだろうか…。


「凌雪、余計な事を考え過ぎだ」


どうやらこの時、心を殿下に見透かされていたようだ。

その続きを諦めたかのようにため息をつき、寝台から降りようとした寧王殿下に、思わず後ろから抱き着いた。


私が気を散らせていたばかりに、嫌な思いをさせてしまったと…


「殿下!」


それに寧王殿下が驚いたのと同時に、私の両腕が彼の首を絞め、勢いで二人して後ろに倒れる。

すると殿下の体の重さで、思わず変な声を出してしまった。


それに慌てた寧王殿下が、倒れた私を慌てて覗き込む。


「大丈夫か。凌雪!」

その顔がまた真剣で、私はとても寧王殿下をいとおしく感じた。


こんなに私を大事にしてくれる人はいないのに、

私の心はいつも彷徨っている。


「ごめんなさい…」


思わず漏れた心の声だ。

ごめんなさい…私はその思いのどれくらい、応えられているのでしょうか。


私にできる事は、おそばに居てそのお気持ちを受け止めるだけなのです…

寧王殿下は、“私が空気を読んでいなかったこと”を謝ったと思っていた。


彼はその言葉に優しく微笑むと、その大きな手の平をそっとこの頬に添え、唇で

瞼にそっと触れる。


閉じた瞳に与えられたそのやさしさは、まるで「他を見るな」と言われているようだ。


それから、頬に落とされたぬくもりが、ゆっくりと私の顎先から唇へ降りて来る。

それはまるで、私の気持ちを確かめながら探している様に感じた。


柔らかく唇が重なり、それが少しずつ深くなるにつれ殿下の吐息が絡み始める。

何度も角度を変えては、私を強く求め始めた…。


それがゆるく離れた瞬間、私が寧王殿下の名前を微かに呼んだ。


「……李璿殿下」


その声に、更に深く吸い寄せられるように、殿下の唇が重なる。

私のこの指先が、寧王殿下の胸元を掴んだ…


その動きに、殿下は導かれるようにして、私の首筋から耳の下へと、優しく何度も何度も口づけを落とした。


「お前は、私のものだ。今ここにいるのだから…」


吐息交じりに耳元でささやいた声が、一瞬皇太子殿下にとても良く似ていた…。

肩に、鎖骨に、胸元に…


殿下の唇が降りるたび、私の中の後ろめたい気持ちがゆっくりとほどけていく。


その唇がたどる場所全てが、私の中に寧王殿下のものだと、印になって刻まれていくような気がした。


『わたしのものだ』と、皇太子殿下も言っていた。


なぜこの時代の女は、誰かの者にならなければいけないのだろうか…

自分で決める事もできず、身を委ねるだけ…


殿下の絡む舌先から漏れる甘い吐息に合わせて、その手でそっと私の帯が解かれた。


その手は優しく、再び重なった唇と共に衣がゆっくりと剥がされて、私の中に会った名残の影が一つ、また一つと消えていくようだった。


肌をすべる指先が、まるで記憶を書き換えるように、皇太子殿下との記憶を消してほしかった。苦しくて…


―――辛すぎるからだ…


…私は、寧王殿下に愛される価値なんてないだろう。


そんな風にふと思い、一筋の涙が零れ落ちた。

優しいこの人の愛情を受ける事が、こんなにも心を締め付けるようになるなんて思ってもいなかった…


その時、寧王殿下の腕が強く私を引き寄せる。

そしてその寄せ合う体温の中で、熱がゆっくりと深くなっていくのを感じた。


指先が絡まり、視線が重なったとき、その奥に不安が滲んでいるのがわかる。


その時、私は思わず殿下の頬を両手で包んだ。


「凌雪…」


その声と同時に、殿下の唇で塞がれた私の唇。

そして、言葉にしなくても伝わる寧王殿下の愛が、熱く、緩やかに、私の中で律動が紡ぎだされる。


この人を愛していこう。

そしてただ寄り添い、穏やかに暮らそう。

きっとこんなにも私を、思ってくれる人はいない…


互いの心音に耳を澄ませ、私は少しだけ殿下に身を寄せた。

すると、それに応えるように、寧王殿下は優しくその腕で私を包み込んでくれる。


それは、寧王殿下との幸せな時間だった。それがずっとずっと続いていくのだと…この時の私はそう信じていた。







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